熊本で育て!若い国際協力のチカラ

【画像】筑紫汎三(ちくしはんぞう)さん

熊本県協力隊を育てる会 会長
筑紫汎三(ちくしはんぞう)さん

JICAでは研修員受入事業、草の根技術協力事業、ボランティア事業などさまざまな角度から国際協力を行っていますが、それぞれに強力なパートナーを得て事業が成り立っています。
今回は、その中でもボランティア事業を長年にわたり支援してくださっている、熊本県協力隊を育てる会の筑紫汎三(ちくし・はんぞう)会長にお話をうかがいます。

熊本県協力隊を育てる会には本年11月に、JICA九州の国際協力事業にご尽力いただいていることに対し村岡所長から感謝状を贈呈させていただきました。

Q1 熊本県協力隊を育てる会の発足の経緯を教えてください。

昭和40年に発足した青年海外協力隊を題材にした「アサンテ・サーナ」(谷口千吉監督)*という映画が創られました。当初、劇場で上映する予定でしたが、商業ベースに合わないということで上映できなくなり、全国各地の協力隊の帰国者が中心となり自主上映を行うことになりました。その際上映のために集まった組織を何か活かせないかということで協力隊をサポートする組織として、昭和51年に東京で「協力隊を育てる会」が発足しました。その後、協力隊、育てる会発足に尽力された末次一郎氏が来熊され、熊本でも育てる会を発足するよう要請されました。そして、昭和59年に全国で8番目の「熊本県協力隊を育てる会」として発足しました。
*JICA九州図書室にて視聴(VHS)できます。

Q2 これまでの活動についてお聞かせください。

協力隊の派遣前の活動として、応募促進活動、また隊員の出発前には派遣壮行会と帰国者の帰国歓迎会を継続して開催してきました。また、派遣中の隊員には、全国で唯一、熊本の地元紙である熊本日日新聞を定期的に全ての熊本出身隊員に送る事業を熊本善意銀行の協力を得て実施しています。また、これも全国で唯一の会として派遣隊員のお母さんの会「アサンテ・サーナの会」が組織され、例えば、来熊したJICA研修員に和装の着付け体験などを継続して実施しています。派遣中の隊員の家族との情報共有も定期的に実施しています。
さらに、協力隊の現職参加の推進ということで、芦北町に働きかけ、現職参加制度のための条例を整えていだだきました。すでに3名の役場職員が現職参加し、帰国したのち現職に復帰して地域のために働いています。
また、熊本県協力隊を育てる会は、協力隊事業だけでなく熊本県の国際交流事業にも早くから取り組み、現在の「熊本県国際協会」発足当時より様々な形で熊本県における国際化事業に貢献をしてきました。

Q3 これまでの活動で苦労したことはありますか?

「小さなハート」運動の際に、ブータンの隊員からの依頼で体操服を集める事業を行いました。協力隊の帰国隊員がいる学校などに呼びかけをしたところ、予想以上に多くの体操服が集まってしまい、体操服を現地に送るための費用だけで航空運賃だと200万、船便でも数十万がかかるという事態になりました。その時は、なんとかして送ることができましたが、それが一番印象に残っていることです。

Q4 これからの協力隊に期待することは何ですか?

協力隊に参加して、帰国した人たちが、現地で国際協力活動を通して体験したことを活かして、もっともっと日本国内で地域のため、日本の社会のために貢献していただきたいと思います。そのためにも、JICA、協力隊を育てる会が、そうした帰国隊員が活動できるよう、より組織的にサポートしていくことも必要なのではないでしょうか。
 今、経済的には円高ということで日本の産業の空洞化に対してよく言われますが、日本の技術は多くの世界の国々から求められているのではないでしょうか。そうした立場に立って、日本の若者も日本の労働マーケットということに囚われずに、世界の中の日本というような意識をもってほしいと思います。

Q5 今回の表彰を受けてのご感想は。

私どもの会の活動について認めていただき非常にありがたいことだと思います。今回表彰をいただいたことを糧として、さらに知恵を働かせて、協力隊事業が地域社会のために貢献できるように、また、協力隊の存在、JICAの存在を熊本で広げていきたいと思います。

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感謝状贈呈式にて

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表彰を受けてのスピーチ

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「ボランティア家族連絡会」で、派遣中のボランティアのご家族に会の活動を説明

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ボランティア壮行会にて出発前のボランティアたちと