佐賀県 くらし環境本部文化スポーツ部文化課主事
細山田明佳(ほそやまだ さやか)さん
佐賀県では24年度採用から、都道府県レベルでは全国初のJICAボランティア経験者枠が新設されました。この春から佐賀県職員としての新たなスタートを切った細山田さんにお話をお伺いします。細山田さんは2011年6月までの2年間、タンザニアで理数科教師として活動されました。
子どもたちに囲まれて
東アフリカ・タンザニアの首都ダルエスサラームから北に約800kmの距離に位置し、全校生徒1000人を超えるングドゥ中等学校にて理数科の科目を週に30コマ程担当していました。中学生には身の回りにある物で簡単な実験を行い、フラッシュカードを作成して物理の公式や単語をリズミカルに暗記できるような授業を展開し、高校生に対しては、国家試験問題を中心に数学を教え、計算力と集中力を養うために100マス計算を導入しました。
学校活動以外では、JAST奨学金委員会に所属し、年1回の会報を作成したり、各中等学校や専門学校からの奨学生の選抜と承認を行っていました。2年間で60名を超えるタンザニアの子ども達に学費と寮費を援助し、お金のことを一切気にせずに学業に専念できる環境を提供するよう努めてきました。
生まれ落ちた国が違うだけで可能性に差が生じることに理不尽さを感じ、世界各地で起こっている出来事に最前線で関わりたいと思ったからです。
活動先の学校での授業の様子
生徒一人一人に心を配る活動を心がけた
赴任当初、生徒が授業に積極的に参加しないこと、定期試験でカンニング行為が多発すること、そして体罰が当たり前のように行われていることに頭を悩ませました。しかし、派遣されてすぐにタンザニアの慣習に口出しをすることはあまり良いことではないと判断し、周りの様子や環境を約半年観察する中で、自分の構想を大きく3つにまとめました。1つ目は、“北風と太陽作戦”と名付け、体罰を与えて何かを強制したり、規制したりするのではなく、ポジティブに生徒に働きかけ、そして自分自身で気づきを得てもらうという方法を。2つ目は、生徒一人一人を気に留め、心を配るよう意識すること。タンザニアでは教師が生徒の名前を覚えず、名前で呼ぶことはほとんどありません。そこで、毎回の授業での出欠確認を利用し、生徒の名前と顔を一致させ、積極的に名前で呼ぶよう試みました。3つ目は、目標を“難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く”と掲げ、理数科の科目に好感を持てるよう工夫した授業を展開することでした。
もちろん楽しかったこともたくさんあります!学校の黒板作りを同僚や生徒と一緒に行ったこともその1つです。苦労して手に入れたハケで、なかなか伸びないペンキを懸命に塗りました。みんなでペンキだらけになりながらも、出来上がった黒板で授業できる喜びを同僚や生徒と共に分かち合うことができました。
私は4代目の協力隊として赴任しました。赴任当初は前任者と比較されることもあり、ストレスを感じることも多かったですね。ところがある日、“外見はみんな似ているけど、中身は全然違う。あなたにはあなたにしかない魅力があるね”と言われ、自分のことをしっかり見ていて、評価してくれる人もいるんだ、と嬉しくなりました。常にKaribu(welcome)精神に溢れているタンザニア人。すぐに私のことも大家族の一員に迎え入れてくれ、いつも心を配って寄り添ってくれる存在であることが心強かったです。
ただ、日常生活でのライフラインの不十分さには苦労しました。1日に12時間以上の停電があり、家の中に唯一ある蛇口から水が出るのは週に1回程度。赴任当初は途方に暮れ、日本の生活を羨ましく思う時もありました。しかし、こういった状況も醍醐味の一つであり、無数に輝く星や信じられない程明るく美しい月との出会いを楽しみながら生活していこうと何事もプラス方向に捉えることで、ピンチをチャンスに変える術を身に着けた体験となりました。
『人に尽くす情熱家でありたい。』
この理念のもと、タンザニアで教師の仕事を通して、人々が元気になるような活動をしてきました。そこで得た大きなエネルギーを今後は日本を活性化させるために幅広く活用したいと構想し、社会全体の奉仕者という仕事に興味を持ち始めたことがきっかけです。
工夫しないと生きていけない状況で身についた“柔軟性と粘り強さ”。そして、“9回裏2アウト”の状況からも、望みを捨てずに果敢にチャレンジしていく姿勢です。当時の私の口癖は“Kila kitu jinsi ipo(どんなことにも解決策はある)”。今でもそう信じて毎日を過ごしています。これらは研修などで身に付くものではないですし、今の日本社会が真に求めていることだと思います。
この2年間は、許す力を養成される機会にもなりました。アフリカは許し合う文化だと表現されることがあります。“許すから許される”のであり、その穏やかな関係の中で成り立っているものが確かに存在することを知り、人間の持つ本来の温かさに触れたような気がしました。ただ、許すという行為は、責める行為よりも何倍も難しく未だに完全な習得には至っていません。タンザニア人のように許すタイミングを上手く見図れる人間になりたいと思っています。
そして、途上国で鍛え抜かれた柔軟性と粘り強さを様々な面や角度から発揮していき、自調自考出来る、そして先憂後楽の精神を兼ね備えた職員を目指します!
*******************************************************************
タンザニアでは、人々が元気になるような活動をしてきたと話されていた細山田さん。
協力隊経験で培った柔軟性と粘り強さと共にその情熱を、今度は佐賀県で活かしてくれることでしょう。
細山田さんの今後のご活躍を期待しています。