マダガスカル協力隊員 インタビューシリーズ

障害児・者支援

喜納隊員
職種:障害児・者支援
配属先:オーキ・デ・ブランシュII
トアマシナ校

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学校案内をする喜納隊員

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マダガスカル国トアマシナ市

インタビューア(以下「イ」。):喜納さんは沖縄県那覇市の生まれで、お姉さんが3人いる4人兄弟の末っ子とのことですが、どのような子供だったのでしょうか?

喜納隊員:いたって普通の遊び好きな子供だったと思います。姉はスポーツも勉強もできる優等生で、学校では「〜(姉の名前)の弟だろ?」と先生に言われることもありました。特に3番目の姉は自宅学習の習慣がついており、非常に優秀。全然勉強しない私のことを心配し、団欒中に突然スパルタ学習が始まることもありました。ひどいエピソードを思い出しました。小学校の文化祭で何をやろうかとクラスで相談し、プールを釣堀にしようと思い立ち、友達と近所で釣ったティラピアをプールに放流し始めました。ある日、友達がプールのフェンスを越えている所を先生に見つかり、私も校長先生に呼び出され、「転校しなさい」と脅されました。

イ:それはひどいですね。

喜納隊員:その後もプールを掃除することはなくて、ティラピアはプールで放流され順調に成長、繁殖を続け、プールはティラピアだらけになっていました。次の年のプール開きになる前に、罰として自分たちでティラピアを駆除し、掃除をし、無事プール開きにこぎつけました。後から担任の先生から聞いた話ですが、保護者から「魚の泳いでいたプールで子どもを泳がせるのか?」と苦情を受け、大きな問題になっていたらしいです。

イ:それはそうでしょうね。空手を始めたのもその頃ですか?

喜納隊員:小学校4年生くらいだったと思います。きっかけは、空手をやっていた叔父でした。女性ばかりの家庭環境を心配した叔父が、小学4年生の私を道場に連れていってくれました。それからです。中学校は不良と言われる子も多かったのですが、私が空手をやっていることは周囲に知られていて、絡まれることはあっても、喧嘩にはなりませんでした。

イ:それ以来、空手はずっと続けたのでしょうか?

喜納隊員:いいえ。中学、高校は学校のバスケットボール部で、その間、空手はあまり真剣にはやりませんでした。バスケ部の成績も平凡でした。

イ:勉強の方はどうでしたか?

喜納隊員:結局、あまり勉強もしておらず、真ん中か真ん中より下の方かでした。

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自宅の壁に貼られた単語帳

イ:宮城県の大学に進学されていますが、その理由はなんですか?

喜納隊員:宮城県を選んだ理由は沖縄県外に出たい、雪の降る生活をしたいというものでした。スポーツが好きでしたが、スポーツで職を得るのは難しい。教員である母親の影響で特別支援学級にも心理的壁がなかったことから、福祉に興味を持ち体育学部健康福祉学科に進学しました。生活してみて分かったのですが、東北地方は自然環境が厳しく、人々が辛抱強く生活していることにびっくりしました。沖縄は自然環境に恵まれ、温暖な気候で、外で寝ても死ぬことはありません。初めて沖縄の良さを知り、そして沖縄の生活や食事に起因する健康問題や、子供の教育環境の問題を意識するようになりました。

イ:卒業後はすぐに沖縄に戻ったのですか?

喜納隊員:はい。沖縄に戻って一年、麻痺を持ち、車椅子で移動する高校生のサポーターという役で、一人の学生につきっきりでした。その後は特別支援学校高等部や中学の特別支援学級で、算数等を教えました。

イ:仕事はいかがでしたか?

喜納隊員:計4年間の勤務でしたが、最初は知らないことばかり。多くのことを学びました。「あれをやっておけばよかった。」、「自分じゃない他の人が指導していれば、その子はもっと成長していたかもしれない。」と思うことは、よくあります。

イ:どうして協力隊に参加しようと思ったのですか?

喜納隊員:最初にボランティアに興味を持ったきっかけは、高校生の頃、同じ高校の卒業生で教育実習に来ていた方が、新卒でバングラデシュに協力隊員として赴任するという話を聞いた時でした。その数年後、大学4年生の時の講話で、新卒で協力隊に参加し帰国したOBの話を聞く機会があったのですが、衝撃を受けました。「社会経験がない人間が、外国に行って何ができるのだろう?」という疑問も持ちました。英語ができるわけではない自分は、外国で仕事をするという視点がまるでなかったこともあり、ショックでしたね。卒業する年は東日本大震災もあり、被災地でボランティアの活動も目の当たりにしました。その後、沖縄に戻って1年目の春休みに、バングラデシュで5日間のボランティア活動に参加しました。働きながらも、協力隊参加はぼんやりと考えていました。

イ:なぜマダガスカルを希望したのですか?

喜納隊員:行くなら、日本から簡単に旅行では行けないような国をと思って。結果、第一希望のマダガスカルへ赴任が決定しました。

イ:任地トアマシナの生活はどうですか?

喜納隊員:沖縄とそれほど違いはないと思います。年間を通して温暖、雨も多い。マダガスカル最大の港町で、インド、アラブ、中国、韓国系の人たちが多くいて、物資は豊富。食べ物も、肉、野菜、果物、ハラル食材も揃う。麺類も豚肉が入っており、沖縄そばに近い気がします。また魚介類も多い。干した小魚を炒めたものがご飯によく合います。揚げ物も多く、自転車で揚げ物を探しては買って食べています。

イ:何か困るということはないのでしょうか?

喜納隊員:特に不便は感じないが、車の整備不良や運転の荒さは日本とは違う。サイドミラーを歩行者にぶつけるのは当たり前ですね。

イ:それは危ないですね。こちらの障害者支援センターでの仕事はいかがですか?

喜納隊員:日本では、重度の障害を持つクラスであれば、生徒5人に対して指導員が3人つくのが普通ですが、ここでは生徒10人に対し教員1人です。児童の障害の度合いも様々な中(軽度の知的発達障害、身体的麻痺、癲癇持ち、ダウン症、自閉症等)、日本と同じような個々に合わせた教育は難しいのが現状です。障害者教育は日本に比べれば進んではいないと言えるかもしれません。人手が足りないので知的クラス、情緒クラスなどの違いはないが、文字を読む、数字を理解する等の他、ものづくりや掃除などの作業を通じた教育はやっています。

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授業で児童のサポートを行う

イ:喜納さんの描く目標は何でしょう?

喜納隊員:今の学校では、子供が挑戦し、できるまで指導員が待つことができないことが多いと思います。例えば服を着替えるための時間がなくなり、指導員が手助けするなど、指導員が課題を解決してしまうことがある。しかし障害者教育では、子供の個性に合わせて、一つのことができるようになるまで待つこと、そのままではできないなら、できるようになる環境を用意すること、一つの動作ができるようになり、できる喜びと自信を持つことが重要です。これらは自立のために必要な過程であり、この学校でも子供一人一人の成長を支えられる指導員が生まれてほしいですね。人手が足りなくて、指導員が直接手助けしてしまうことは仕方がない部分もありますが、少しでも子供が自立できるような手助けの方法を提案していきたいです。
また教材不足で指導員が木製の黒板に文字を書くことが多いですが、文字を読めない子はついていけません。私はこの国で手に入るもので教材を作り、子供達が「これならできる!」と思って学習に取り組んでいく環境を作っていきたい。今はしゃべることができない、自閉症を持ち集団学習が苦手なできない子供でも、算数の授業に参加できて、色や数、同じ、違うといった概念の発達を促せるよう、色のついた磁石を使った学習方法を導入しようと思っているところです。今教室にある木製の黒板に磁石はつかないけれど、鉄製のボードを使えば可能だと思います。子供たちがそれらの教材を使って学習が進められよう、指導員のモチベーションとスキルの向上を目指しています。

イ:マダガスカルに来て気づいたことは?

喜納隊員:自分の弱さです。他の隊員は停電、断水にもめげずに生活しているが、自分はそのようなことはなく、恵まれた環境に甘えて生活している気がします。

イ:日本に帰国してからは何をする予定ですか?

喜納隊員:沖縄に戻って、大げさに言えば、視野の広い教育に貢献したいです。特に中学校で、障害を持つ人たちにも開かれた教育環境の整備に取り組みたい。障害者も健常者も同じクラスで勉強し、生徒同士が違いを認め合い、助け合うクラスができればいいと思います。そのためには障害に対する知識や理解が必要でしょう。でも子供たちは同じ環境に置かれれば、互いに学び合い、教えあうことができます。今働いている学校でも同じです。障害の軽い子供は障害の重い子供の面倒を見ながら学習をしている。(取材の時も自閉症を持つ子供が隣の子に軽くたたかれて、心身のコントロールを失った際、隣の年上のクラスメートが校庭に連れ出し、気持ちを落ち着かせた。)生徒同士が楽しみながら学んでいく姿を生徒の保護者や周囲に見せ、理解を得ることで、そのような環境作りができるのではと思っています。障害を持つ人とともに生活することで、自分の視野は広がることもありますから。私は障害者のサポートという仕事を通じて、できなかったことが徐々にできるようになる過程が楽しめる視点を持つことができるようになりました。障害者と一緒に生活することで健常者に対してもどう声かけすれば良いのかが徐々にわかるようになりました。歯磨きができる、挨拶ができる、授業中クラスの中にいれる、そんな小さなことで良い。誰もがその環境さえあれば、挑戦でき、その過程を楽しむことができると思います。挑戦して失敗しても良い、その過程で小さな進歩に気づくことができる環境づくりをしたいと思っています。

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学校の児童・先生たち