血統主義から社会的契約に変わる国籍

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.411 6 December 2017
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

今秋のオーストラリア政界は、二重国籍問題で大きく揺れた。事の始まりは、7月に野党上院議員の二重国籍が問題となり、その後、ジョイス副首相も二重国籍者であることが明らかになって騒ぎは大きくなった。10月27日、豪州高等裁判所がジョイス副首相を含む3議員(2名は判決前に辞任)の議員資格無効判決を出したことで、政局含みにもなった。

豪州議会は、上院で与党保守連合が29議席、野党労働党が26議席、下院で保守連合が76議席、労働党が69議席と勢力が拮抗、現職議員の辞任によって政権交代の可能性もあったのだ。最終的に二重国籍で辞任、資格はく奪となった議員は7名いたが、首班指名権を持つ下院で辞任した議員が与野党にばらついたため、政権交代には至らなかった。ジョイス副首相は、すでにニュージーランド国籍を放棄、12月の補欠選挙に出馬するという。

このニュースを聞いて意外に思ったのは、オーストラリア人も二重国籍を気にするということだ。海外生まれが全人口の約30%(2014年豪統計局)を占める移民国家豪州は、先祖や出生地などの国籍を保持したままの人が多く、2500万人口の約6分の1にあたる400万人が2つの国籍を持つとされる。なかでも英国国籍を持つ人は、それを誇りにしており、なかなか放棄したがらない。米国、カナダ籍を持つ人も多いが、圧倒的に多いのは、隣国ニュージーランド(NZ)籍だ。NZ人は、原則、豪州内で自由に働き、永住することも許される。そのため、豪州籍を取らない人もいる。

私が豪州駐在記者時代、加虐的な小話が全国紙「ジ・オーストラリアン」に載っていた。

「ある列車のコンパートメントに豪州人、NZ人、スコットランド人、キューバ人が乗り合わせた。列車が動き出すとスコットランド人がスコッチウィスキーを鞄から取り出し、一口飲んでビンを窓から捨てた。他の客が『もったいない』と言うと、『私の国には捨てるほどありますから』と笑う。しばらくして、今度はキューバ人が懐から高級葉巻ハバナを取出し、一口吸って窓から捨てた。『ハバナは私の国にたくさんあります』と言う。すると、豪州人がNZ人を抱きかかえ、窓から放り投げた。『私の国にはNZ人が余っています』と言って片目をつぶった」

二重国籍者が多い豪州だが、同国憲法は複数の国籍を持つ人物が連邦レベルの公職に就くことを禁じている。ブラジルのように二重国籍について寛容な国もあるが、英国の植民地として建国されたオーストラリアは、うっかりすると英国籍の人物が国家の要職に居並ぶ危険性があるため、二重国籍者に厳しい憲法が制定されたのだろう。

日本でも昨年、野党代表の二重国籍問題が大きなニュースとなった。日本の場合、一定の年齢になると、原則、二重国籍は認めない。だが、二重国籍でも日本国籍があれば国会議員にはなれる。とはいえ、政府の要職となると国家の独立保全の視点から別の話になる。

国境を越える人の出入りが激しくなった現在、日本国籍の色合いも微妙な変化が起きている。国際結婚が多くなり、多様な顔をした日本国籍保有者も増えてきた。欧州系、アフリカ系、中南米系の血を持つ人は、外観だけでは日本人なのか、外国人なの分からないことがある。日本人の血を引かなくても、日本文化などに憧れて日本国籍を取得する外国人もいる。

五輪ハンマー投げの金メダリスト室伏広治氏、陸上のサニブラウン・ハキーム選手、ケンブリッジ・飛鳥選手、野球のオコエ・瑠偉選手、卓球の張本智知選手、テニスの大阪なおみ選手などスポーツ界には、日本人以外の血を持つ人が多い。そして日本人は彼らが「JAPAN」の文字を胸につけて競技をすると、同胞として熱狂的に応援する。彼らの国籍がどこなのか、あまり問題ではない。

二重国籍者が一つの国籍を放棄したとしても、自分の体内に流れる2つの民族の血まで放棄するわけにはいかない。国籍はこれまでの生物学的な色合いが薄れ、社会的、心理的な区分けになっているのだ。

今年のノーベル文学賞に輝いたカズオ・イシグロ氏は、日本人の両親のもと長崎市で生まれた英国人だ。日本のマスコミは、日本人が受賞したように大騒ぎをしたが、英国では一人の英国人作家がノーベル文学賞を受賞したことを喜ぶだけで、イシグロ氏が日本生まれであることを伝えるマスコミはほとんどなかった。欧米では、国籍は血統ではなく、それぞれの理由から個人が国家と結ぶ法律上の繋がりという考え方が徹底しているからだろう。

私は血統主義が国籍の基盤だった時代に育ったせいか、一系の血筋が薄れてしまったら、国籍を縁(よすが)にした愛国精神が薄弱になるとのではないかと心配になる。頭が固い旧世代の人間なのだろう。しかし、「JAPAN」を背負ったアフリカ系の陸上選手らが日本のために必死に戦っている姿を見ると、それは杞憂なのだとも思う。国籍はもっと幅広い概念で同朋を纏める呼称に変貌しているのかもしれない。

国籍のコンセプトの変化は、日本社会に大きな変革をもたらす可能性がある。最近、日本国籍を求める国籍条項を超法規解釈して、外国人を雇用する地方自治体が増えているという。国籍の風通しが良くなることは、働く機会を求めて日本にやってくるアフリカやアジアの人たちにとっては歓迎すべき変革だろう。国内における外国人の生活環境改善は、海外での開発援助などと並ぶ日本の重大な国際貢献策だ。国籍について幅広い論議を行い、多民族共生型国家の地平を拓く準備を始めたい。