人が人の作業を完璧に判定出来るのか

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.415 31 January 2018
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

1月13、14の両日、恒例の大学入試センター試験が行われた。今年は全国695会場で約55万人(外国語)が受験したという。あいにくの雪で交通機関が乱れ、受験生を慌てさせた地域もあったらしい。毎年、テレビなどでセンター試験のニュースを見ると、“頑張れ受験生”と独り言を言ってしまう。早朝に起きて試験会場に行き、試験の進行に関わった大学教授時代の厳寒の冬も、今は懐かしい。

試験翌日の新聞に掲載されている問題の中から、国語、英語、地理・歴史の問題にチャレンジするのも、最近の習性になっている。受験生気分になって問題を解き、「まだ大丈夫」とホッとする年がある一方、「難しい」と凹む年もある。

今年の出題問題を見ると、相変わらず選択形式のものが多い。文部科学省は2020年度から現行のセンター試験に代わり、受験生の思考力、判断力に重点を置く記述式問題を一部に採り入れた「大学入試共通テスト(仮称)」を実施するという。小学校時代から○×方式やマークシート方式の試験に馴染んできた受験生は、様変わりする共通テストに苦労することだろう。

大学新入試に記述式を採り入れることに異論はない。〇×や選択方式では、まぐれ当たりもあって点数が真の能力査定にならないこともある。まぐれ当りによる加点は論外だが、正解でも言葉の表層的な意味を知っているだけで、淵源を知らないというのでは、本当の知識とはいえない。社会がグローバル化すればするほど、知は歴史、文化、地理、さらに国際政治、経済、社会などの事象と複合的、重層的に繋がり、幅と深みを帯びてくる。現行の方式で高い点数を得ても、大学や大学院で専門性の高い学問を学ぶ素地とならない危険性がある。まして多様な国際社会で活躍する柔軟な知とはなり難い。

では、記述方式の試験にすれば完璧な判定が出来るのか、と問われるとこちらも即座に「イエス」と言いかねる。記述方式の最大の難点は、採点者によって点数にバラツキが起きることだ。昨年末、文科省によって実施された試行調査(プレテスト)には記述方式を含む問題が出されたが、複数のベテラン採点者による採点でも、偏差が発生することが指摘されている。

記述方式の採点の難しさは、私も痛感している。私は大学教官時代、期末などの試験問題のすべてを小論文形式にしていた。採点者にとっては、○×式や選択式のほうがずっと楽だ。だが、国際開発の意義を理解するには、援助用語や過去の援助政策事例などを覚えるより、なぜ、開発協力が必要なのかという基本理念を立論して、それをどう実施すれば相手国市民の民生向上に繋がるのか、自分の頭で考えることのほうがずっと重要だと思っていたからだ。

こうした出題方式には、些かの疑問も感じていなかったのだが、採点する時はいつも苦悶した。大した才能を持ち合わせていない平凡な人間に、学生という人間をランキングする資格があるのか省察すると、自分の評価に自信が持てなくなってしまうのだ。

卑近な事情もあった。それは、採点時の自分の状況が均質ではないことだ。百を超す小論文を一日で読み切ることは出来ない。日々の体調、精神状態は変わる。言い換えれば、同一条件下の判定でないということだ。さらに大学教官時代、期末試験が終わった後は、JICAなどの仕事で海外に飛び出すことが多かった。研究室で読み切れなかった小論文をカバンに詰め込み、空港待合室や機内で読んだこともある。静かな研究室でじっくり読んだ小論文に比べ、機内などで慌しく読む小論文の査定は、どうしても同じにならない。

採点の苦吟から出た私の結論は、人が人の所業に均質な等級をつけることは不可能だということだ。これは入試や期末試験だけの話ではない。修士や博士論文の審査でも同じことが言える。いや、教育だけでなく社会全体に言える。官庁や企業の事業の競争入札などにおいても、判定者の考えが少なからず採否に影響を及ぼす。指導的な個人の嗜好が判定を左右することを避けるため、合議によって意思決定をする組織も多い。だが、それとて間然するものがないとは言い切れない。

ODAの世界にも似たような悩みがあると聞く。過日、アメリカの開発コンサルタントが案件の採否を巡って公募した米国国際開発庁(USAID)を提訴したという。自分たちの提案書のほうが素晴らしいのに負けたのは、審査方法に瑕疵があったからという理由らしい。幸いなことに日本では、そのような話は聞いたことがない。JICAの入札は価格と技術点の合計が審査の基準となる。価格は数字の通りだが、技術点には判定基準に沿って担当者の考え方が入る余地がある。そのため、採点の公平性、透明性を高める万全の対策が図られているのだ。近年、応札者には判定結果の情報開示も行われており、負けた業者が公に不満を言う事例はあまり聞かない。

「言葉は思考を偽装する」という格言がある。文章も同じだ。カラフルな修辞を駆使して本質を偽装することも不可能ではない。現在、入札において大きな問題がないとはいえ、JICAは今後も気を緩めず申請書の質を正しく読む努力を続けなければならない。私もこれからも小論文などを査読する機会があると思うが、文章行間の真意を読み取る努力を怠らないようにしたいと思っている。