「ODAジャーナリストのつぶやき」の18年を振り返る

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.417 7 March 2018
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

2000年5月から18年間に渡って書き続けてきた本欄だが、本年度末をもって終了することになった。本稿を入れて3月末まであと2本の「ODAジャーナリストのつぶやき」となる。

駆け出しの新聞記者だった頃、ある先輩に「ジャーナリズムの対義語はマンネリズムだ。書く記事にいくらかの自信が持てるようになっても、つねに時流を読む努力を続け、定型化した思考に陥ってはならない」と諭された。日々刻々と移り変わる社会事象を柔軟な頭で捉えないと、記事が錯誤する危険を教えてくれたのだ。

今、この言葉を反芻してみると、過去18年間、つねに新しい空気を取り入れて書いてきたつもりでも、時の流れの中で論調もマンネリ化、切れ味を失っていることを否定できない。降り注ぐ歳月のチリは、知らぬ間に頭の隅に溜まり、思考を鈍くさせていく。もう、筆(今の時代ならパソコンのキーか)を置く時が来たことを悟る。

寒さが厳しい2月の夜、書斎の椅子に腰かけて天井を見上げながら、最初の原稿を書いた2000年春当時の日本の開発協力の位相を思い浮かべてみた。その頃の日本の政府開発援助(ODA)は、前年(1999年)末に発表された経済協力開発機構開発援助委員会(OECD-DAC)の援助実績で、1兆1957億円(約153億ドル)、2位のアメリカ(約91億ドル)を断然引き離す10年連続最大の援助国の座を、まだ維持していた。

しかしながら、すでにバブル経済が弾け、日本全体が「失われた10年」と呼ばれた長期低迷期に入っていた時期でもあり、ODAに対する考え方も90年代半ばまでの「イケイケ・ムード」は、もはや消えていた。厳しい財政事情でODAの一般会計当初予算は、1998年度から削減が始まっており、ODAに対して新たなアプローチを模索する序章の時だったともいえる。1999年に公表された「中期目標」は、1978年から過去5次にわたって発表された「中期目標」に必ず入れられていた量的目標は掲げられていない。つまり、日本のODAは量の拡大からの変換点に差し掛かった時期だったのだ。

書斎の書棚に並んでいた2000年の「我が国の政府開発援助(ODA白書)」(外務省経済協力局編)が目に入った。取り出してページをめくってみると。「ODAはわが外交の重要な手段であると同時に国益、国際協力の観点から必須不可欠な要素」、「量的規模の見直しを含め、さらなる改革に向けた努力が求められる」といった文章が散見される。

この白書が求める「さらなる改革」の方向性は、透明性、効率性の向上という惹句に帰納される。具体的な施策としては、国民の理解を深化するため顔の見えるODAの促進、グローバル化に対応する援助、NGOなど市民社会との連携強化などが挙げられている。それまであまり大きな比重を占めていなかったODAの評価体制の充実が取り上げられているのも、この時期の特色だろう。

実施体制は大きく変わった。特殊法人だった国際協力事業団(JICA)は、2003年10月をもって独立行政法人国際協力機構(JICA)となり、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんが初の民間人のトップとして理事長に就任している。1985年頃から“JICAウオッチャー”を自任してJICAを身近に見てきた身には、2003年はJICAの変貌を実感する年でもあった。それまでのどちらかと言うとリアクティブなJICAから、プロアクティブなJICAに変わる胚胎が芽生えてきたと言えよう。お世辞ではないが、その胞胚は、その後、芽を出し着実に育っていると評価したい。

実施体制の改革は、なおも続いた。ODAの円借款を担う海外経済協力基金(OECF)は、連載が始まる半年前の1999年10月に日本輸出入銀行と統合して国際協力銀行(JBIC)になったが、2008年10月、旧OECFに当たる部門が国際協力機構と統合して新・国際協力機構(JICA)が誕生した。新・JICA誕生と同時にこれまで外務省が行ってきた無償資金協力の一部をJICAが担い、技術協力、有償資金協力(円借款)、無償資金協力の3事業を連携実施する世界最大規模の援助実施機関に生まれ変わったのだ。また、地域・国、課題別の援助実施方針を政府と分担、途上国からの要請を直接受け付けて案件形勢調査を実施するなど立案部門も拡大している。

関係者がJ・J統合と呼んだ2つの援助実施機関の統一は、相乗効果が期待される一方、技術協力実施機関とソフトローンを扱ってきた機関が一体化できるのか、疑問視する声もあった。私も2つの機関を取材しながら、多少の文化の違いを感じていたので、効果が上がるまでには時間がかかるだろうと見ていた。しかし、今、思うとそれは管見だった。相乗効果というよりも、互いが刺激し合って業務の質を高めているように見える。新体制になってから入構した職員もそろそろ10年選手となり、彼らを媒体として新たなカルチャーが育まれているように見える。

18年間のODAの奔流を小さな本欄で克明にフォローすることは不可能だ。だが、18年の軌跡を疾行しただけでも、ふた昔の月日は、我が国のODAの姿を大きく変えたことを実感する。特に地球儀を俯瞰する戦略、主張を重視する安倍外交が軌道に乗ってから、ODAと国家戦略の連携は密になっている。ODAに戦略性が高まり、対象領域も拡大した。ODAは戦後の賠償援助のくびきから脱し、新時代に入ったとも言える。

だが、地道に人づくり、国づくりに精出すというJICAの現場の基本理念は、永遠に変わらないだろう。相互依存度が高まる国際社会の健全な発展に助力をするという日本のODAの方向性は、不滅でなくてはならないと思っている。