しゃべらない話

耳が聞こえない。世界中にいる聾者を支援するために1人の日本人の聾者が立ち上がった。

2015年11月19日

〜「話す」だけが伝える手段ではない〜

講師の廣瀬芽里さん

アメリカの生活を振り返る

 福島県では、会津若松市、福島市、郡山市の3か所でJICAボランティアの秋募集説明会を開催しましたが、郡山市で開催した募集説明会では、聴覚に障がいをお持ちの方を主な対象とした応募の呼びかけを行いました。

 当日、募集説明会に集まった参加者のうち実に15名が聴覚に障がいをお持ちで、ご多忙の中ご出席いただいた福島県聴覚障害者協会・吉田正勝会長からは「本日、活動報告をいただく廣瀬さんのように、聴覚に障害があっても世界で活躍できることを一緒に学んでいきたい。」とご挨拶をいただきました。
 また説明会の冒頭、会場スタッフの紹介では、JICA二本松の三義望企画役が得意の手話で挨拶を披露し、参加された皆様から喜んでいただきました。

今回、活動報告を行っていただいた広瀬芽里さんは、聴覚に障害を持ちながらも青年海外協力隊員としてドミニカ共和国に派遣されました。
廣瀬さんは、協力隊に参加する前までイタリアで開催されたデフリンピックの通訳や、世界19カ国から集まった聾者と共に2か月かけて自転車でアメリカ大陸横断に挑戦したこともあります。またダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業に応募した際は、聾者の需要と供給をリサーチするために渡米した経験もお持ちです。

アメリカでの生活を、廣瀬さんは「アメリカでは聴者に混ざって仕事をしていました。」と当時の状況を振り返り、相手が簡単な手話を覚え、廣瀬さんも紙に英単語を書いてお互いのコミュニケーションを取ることで信頼関係を築いていったことを報告しました。そして「海外には筆談や手話が出来ない聾者がたくさんいることも知り、ショックを受けました。」と感じたそうです。

 アメリカから帰国後、廣瀬さんは手話のインストラクター、ツアーコンダクター、プロジェクトコーディネーターを経て、国際協力の世界へ。

〜ドミニカ共和国での挑戦〜

「子どもの家」と書かれている

施設の名前を書き換えて記念撮影

郡山会場の様子

 晴れて青年海外協力隊員となった廣瀬さんは、2013年1月に6名の仲間と共にドミニカ共和国へ派遣されました。
 廣瀬さんの活動場所は、ラロマーナ県周辺住民への支援を目的に1976年に設立されたNGO「こどもの家」。5歳から13歳までの聾者80名が教育・保健・職業訓練のプログラムを受けている施設でした。

 『「聴覚に障害がある子どもたちでも、しっかりと自立してほしい。」という願いを持って活動に励んでいた。』と廣瀬さん。先方政府からは、子どもたちの自尊心を育む活動が期待されていましたので、まずは「聴者と聾者の距離をなくしたい。」という思いから、当初は差別的な表現が含まれていた施設名を子どもたちとペンキで塗り直し、「Hogar del Niño(こどもの家)」と書き換えたそうです。

 また、聾者と聴者が垣根なく生活できるよう「生徒のご両親のための手話クラス」、「配属先のスタッフのための手話クラス」、「国家に手話を取り入れる」など様々な活動を展開しました。

 廣瀬さんは、青年海外協力隊員として活動するにあたり「同じ聾者だからこそ、ドミニカで障害を持っている人の目線に立つことが出来る」と考えたそうです。彼女は、帰国後の現在も聾教育関する本をスペイン語で製作するなど精力的に活動を行い、報告の最後に「2016年1月に再びドミニカ共和国に戻り、NGOの職員として働くことが決まりました。」と講演を締めくくりました。

 手話通訳を除いて会場が「静寂」に包まれる異例のJICAボランティア募集説明会。参加者の方々が両手を挙げてひらひらと動かす「手話の拍手」が印象的なイベントでした。

(文:国際協力推進員・室井研一)