JICA沖縄【大学生×草の根】シリーズ第1弾 −名桜大学生が「カンボジア平和博物館づくり協力事業」の園原謙さんを取材−

2016年9月28日

【大学生×草の根】シリーズは、草の根技術協力事業※の現場で活躍するウチナーンチュ(沖縄の人)を沖縄県内の大学生が取材してインタビュー記事にする企画です。今回は、シリーズ第1弾として「カンボジア平和博物館づくり協力事業」で6年間プロジェクトマネージャーを務めた沖縄県立博物館・美術館の園原さんに名桜大学の学生がインタビューしました。
大学生たちの真っ直ぐな質問に、普段はなかなか聞くことのできない熱い思いが飛び出しました。

草の根技術協力事業とは?

プロジェクト概要

沖縄県平和祈念資料館と沖縄県立博物館・美術館がカンボジアのトゥールスレン虐殺博物館とカンボジア国立博物館職員の人材育成を実施したものです。その成果が評価され、2015年度にはJICA理事長賞(事業部門)を受賞しました。プロジェクト概要は下記のリンクをご覧ください。

人物紹介

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左から松田さん、菅井さん、渡久地さん

【インタビュワ—】
山原(やんばる)の豊かな自然に囲まれた沖縄本島北部の名護市にある公立大学 名桜(めいおう)大学で学ぶ3名
  • 松田 千穂、沖縄出身、国際学群国際文化専攻、3年
    「国際貢献に携わるお仕事に就くのが夢です。」
  • 菅井 宇美、茨城出身、国際学郡国際文化専攻、3年
    「沖縄が大好きです!」(インタビューでは写真撮影も担当)
  • 渡久地 春奈、沖縄出身、国際学群経営専攻、3年
    「フェアトレードを広めたいです。」
【取材相手】
沖縄県立博物館・美術館 博物館班 班長 園原 謙さん

インタビュー記事「ウチナーンチュの誇りを胸に、平和を繋ぐ」

菅井
園原さん、どうぞよろしくお願いします。
早速ですが、まずは園原さんの博物館でのお仕事について教えてください。
園原
私は現在、沖縄県立博物館・美術館に勤めています。沖縄県平和祈念資料館でも学芸員として働いていました。私がまだ学芸員になりたての頃、平和祈念資料館は現在の10分の1程度の規模の小さなものでした。(園原さんは1982年より同資料館に勤務。)
1975年の開館当初の資料館は、銃や軍刀、水筒やベルトなどの軍装品が展示されているだけで、まるで軍人記念館のようだと批判されていました。そこで78年に抜本的な展示改善が行われました。だって"この武器カッコいい"ということを観てもらいたい訳ではないでしょう?コンセプトを変え「住民の視点」を取り入れた現在のような展示へと変えていった経緯があります。
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菅井
(当時の白黒写真をみながら)そうだったんですね。
園原
博物館をスタートさせるために最初にやることは何だと思いますか?
松田
…モノを集めることですか?
園原
そう、資料の収集ですね。その次にやることが、調査、研究をして展示すること。そしてもうひとつが教育普及です。この4つの柱の活動で博物館が成り立っています。
博物館の基本にはモノを通して人々にメッセージを伝えるということがあります。
しかし、かつての沖縄の資料館では、住民の体験を示せるものは、戦争でほとんど失われてしまい展示できるモノがないという問題がありました。そこで当時の資料館をつくる人たちが考えたのが、戦争を潜り抜けてきた"人々の記憶こそが一級資料だ"ということでした。人々の記憶を展示するために証言展示という方法はここから生まれました。

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撮影:菅井さん

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撮影:菅井さん

松田
そんな過去があったなんて、初めて知りました。
園原さんがカンボジアへの草の根技術協力を始めたきっかけはなんですか?
園原
2008年〜10年まで平和祈念資料館へ2度目の赴任になりました。その時には資料館も自分自身も成長し、以前と比べればいろいろな事ができるようになっていました。新しいことに挑戦したいと思っていた時に、カンボジアのトゥールスレン虐殺博物館への協力の話をいただきました。
トゥールスレンはかつて高校の校舎だったところが、ポル・ポト政権時代に政治犯の収容所として使用され、多くの人々が虐殺された建物をそのまま博物館として残した場所です。その頃は拷問道具がただ置いてあるだけといった状態で、昔の沖縄の資料館を思い出しました。若い頃に手作りで資料館をつくってきた経験が活かせるかなと思いました。

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カンボジアの首都プノンペン市内にあるトゥールスレン虐殺博物館の外観

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展示方法の指導を行う園原さん

渡久地
沖縄の地上戦とカンボジアでの内戦にはさまざまな違いがあると思いますが、博物館での展示の手法などに違いはありますか?
園原
その質問はこれまでも、記者などからよく聞かれました。
確かに、沖縄戦はアメリカ兵と日本兵の戦いに沖縄の住民が巻き込まれた戦いで、カンボジアは同じ国民同士で虐殺が行われたという構造的な違いはあります。しかし、どちらも多くの尊い命が奪われたことに変わりはありません。ピースミュージアムとして博物館が人々に伝えるということは、戦争の構造の違いはあまり問題ではないと考えます。戦争の相手を憎むのではなく戦争そのものを憎み、戦争という魔物に対抗するために博物館はメッセージを伝える必要があると思います。
身近な人を失うなど、心に傷を負ったカンボジアの人々とウチナーンチュは共感するところが多く、トゥールスレン虐殺博物館で働く人たちと若いころの自分が重なりました。そういう意味では、カンボジアの人も沖縄の人もあまり違いはないと思いますよ。
松田
なるほど。
この草の根プロジェクトを進める上で工夫したことは何ですか?
園原
プロジェクト実施中は毎年、カンボジアの博物館職員を4人日本に招へいし、1ヶ月の研修を実施しました。沖縄県内外の博物館を周り、展示の方法で伝わる内容が変わるということなどを教え、指導していきました。彼らの館の状況を考え、新しい施設だけを見せるのではなく、古い施設にも連れて行き、古いからこその良さや工夫次第で良い展示になるということも伝えました。他には、カンボジアの昼休み(11時〜14時)に合せて休み時間を長めにとるなど。いつも同じ目線になって、感性を共有することを意識しました。
また、傷ついた心や平和への想いなど、彼らと共感する部分を意識して伝えるようにしました。その想いが、プロジェクトを成功させるんだ!というお互いの強い信頼関係に繋がったと感じます。
松田
辛い時もあったと思いますが、やってよかったと思った瞬間や協力を続ける上での原動力はなんでしたか?
園原
カンボジアの博物館職員の意欲的な態度と学びたいという熱意です。彼らの成長した姿を見たときはとても嬉しかったですね。
また、私たちが一方的に教えているわけでなく、彼らからカンボジアの文化やそれを誇るカンボジア人の心を学ぶことができました。相互に教え、学ぶ関係づくりは、国際協力において大切なことだと思います。
松田
私もそう思います!

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撮影:菅井さん

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トゥールスレン若手職員

菅井
園原さんにとって「伝える」とはどういうことですか?
園原
何を伝えるかにもよりますが…。やはり私たち戦後生まれの第一世代は、70年前に戦禍を免れた中から拾い集められた数少ないモノ(資料)を通して、ものを大切にする心や平和を創造する心を伝えていく使命があると思います。あの時、戦争を生き抜いてきた人々は焼け野が原の中に残されたモノを拾いながら"ウチナーンチュとしての誇り"を拾い集めていたような気がします。
ところで皆さんは自分のおじいちゃんやおばあちゃんなどから戦争体験を聞いたことはありますか?
一同
あまり、ありません。
園原
ぜひ聞いてみてください。辛い話をするのは嫌だと思われるかもしれませんが。ファミリーヒストリーを知ることで、今ある自分の命への慈しみがより増すと思いますし、家族をもっと大切にしようと感じることができるかもしれません。

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菅井
最後に、園原さんの今後の目標を聞かせてください。
園原
カンボジアに関しては、これまでに築いたネットワークを活かしてカンボジアの優れた歴史的な資料を沖縄に持ってきたり、沖縄のものをカンボジアで展示したりと、展示交流をやってみたいですね。
あと、伝統芸能等をとおしてカンボジアの若者と沖縄の若者の交流を深めてもらえると嬉しいです。
一同
今日は、本当にありがとうございました。

インタビューを終えて(大学生の感想)

私たちは、普段名桜大学でそれぞれの専攻に分かれ勉強に励んでいます。これまでの学生生活の中で博物館に足を運ぶ機会は多くありました。しかし、博物館の存在の意味や4つの柱となる活動、展示方法で伝えたいことが違ってくることなど初めて知ることばかりでした。また、国際協力というと保健やIT分野などがイメージとしてありましたが、博物館のような私たちの身近にある仕事が途上国の人々の役に立っていることを知れたことも、今回の発見のひとつでした。ウチナーンチュとしての園原さんの平和への強い思いと、次の世代へ繋げたいという熱い気持ちが伝わってきました!