2017年度帰国 青年海外協力隊(JOCV) 平井 瑞恵(南城市出身)

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職種:作業療法士
派遣国:エクアドル
配属先:CRIE No5 クエンカリハビリステーション専門センター
派遣期間:2016年1月~2018年1月
略歴:福岡リハビリテーション専門学校 作業療法学科を卒業後、4年間福岡にある社会福祉法人ゆうかり学園で作業療法士として働く、その後4年間沖縄小児発達センター働き海外青年協力隊として2年間エクアドルで活動をした。

インタビュー

1.任地の気候や食べ物、生活環境などを教えてください。
エクアドルはコスタ地域・シエラ地域・オリエンテ地域・ガラパゴス地域があり、それぞれ気候、食べ物、文化など多少の違いがあり、いろいろな文化や気候の違いに触れることができる。主食はお米・芋。コスタ地域は海鮮料理(セビーチェやエンセボジャード)などが多く、シエラ地域は肉料理(クイ、オルナード)が多い。オリエンテ地域は川魚(アヤンパコ)や芋虫なども食べることができる。ガラパゴス地域はコスタとはまた違った海鮮料理が楽しめる。季節は寒気と雨季があり一年間で大きく気温が変化することは少ないため、フルーツが豊富。野菜もたくさん育つがエクアドルの方はあまり野菜を好まない。
地域によって貧富の差は激しい(特にコスタ・オリエンテ地域)。シエラ地域にはインディヘナと呼ばれる先住民が住んでいるが、少しずつ減少してきている。オリエンテ地域にはシュワル族などアマゾンに住む先住民が数族存在する。まだ、開拓されていない民族もいる様子。
大きい都市であるキト・グアヤキル・クエンカは発展しており電気・水道・ガスも普及している。その他の都市でも電気・水道も普及しているが時々停電などがおこることもある。
私はアスアイ県クエンカというエクアドルの第三の都市に住んでいた。クエンカという町はアンデス山脈中の谷に位置するため、天気が変わりやすく一日に4つの季節を感じることができるといわれている。標高は2,500m。朝・夜は冷え込み、特に8,9月は寒く最近では異常気象により時々あられが降る。市街地は丸石で舗装された道路、大理石で建てられた建物、塔のある教会がたくさんあり、世界遺産に登録されている。
クエンカはアメリカの方々に人気があり、エクアドルは生活費や税金が安いため退職後に移住する方が多い。
2.活動された内容を教えてください。
私の配属先は保健省管轄の外来型小児専門リハビリテーション専門センターで、作業療法士として発達に遅れがある子供たちとその家族に対してのリハビリテーションを実施した。配属先は元々フランスのNGO団体が立ち上げたリハビリテーションセンターのため、フランスのリハビリのやり方や評価用紙などを持っており、同僚の方々も知識や技術を持っていた。しかし、目には見えにくい障がい(脳機能との関連性や精神面、認知面など)を理解することが難しく、セラピスト主体で子供たちにとっては受け身的なリハビリが行われていたため、同僚と話し合いながら遊びを通して子供たちが楽しく、能動的に成長できるようなリハビリを提供できるように努めた。その中で、それぞれの国の文化や習慣を共有しながら子供たちのリハビリや評価などを考えた。また、エクアドルJICAボランティアには医療部会があり、医療部会で研修や在外研修を実施。その中で、健康診断・生活習慣病について・褥瘡(床ずれ)について・日本人の持つ独自の感性も含めた障がいを持つ子供や大人の方々との関わり方や支援の考え方などを伝えた。 その他、日本祭りを実施し折り紙や浴衣の着付け体験、書道による名前書きなど日本文化を伝えた。
3.活動にあたり障がいとなったことやそれを克服していった事例があればお教えください。また活動はどうでしたか?
小学生の時より学習面の能力に自信はないので、初めから語学は苦手としていた。なので、語学研修の時点から現地で語学学校を探そうと思い、任地(クエンカ)に到着して先輩たちの伝手で語学学校に通った。一番苦労したのは、文化や習慣の違いである。当たり前が当たり前ではない世界に飛び込み、今までとは違う生活・仕事をする。それが、一番の障がいだったと思う。私の意見が現地のスタッフに受け入られるまでは、忍耐強く我慢しながら自分の伝えたいことを紙に書いて伝えるようにしたり、相手のセラピーに興味を持ちながら話し合ったり、勉強会を開催したり、勉強会の資料の訂正を頼んで自分の意見を伝えたり、質問されたことに対しては調べて次の日に伝えるようにした。しつこすぎて現地のスタッフは面倒になったこともあるだろう…意見が食い違い喧嘩ごしになることもあった。それも私と現地スタッフの価値観や概念などの大きな違いからだと思う。しかし、私は彼らを信用したいと思った。なぜなら、数人の現地スタッフは少しずつ私のセラピーの真似をしていたからだ。いつも私が子供のリハビリについて話そうとしたら怒った表情をしたり、すぐにどこか違う場所に行く同僚が私のセラピーを子供たちに試している姿に彼女たちにもプライドがあるけど、もっと支援方法を知りたいと思っているということを感じた。そこから、私も彼女たちに対する見方が変わり、エクアドルの習慣や文化をベースとして相談するようになった。私自身、相手の意見の背景を考えるようになり、わからないことも素直に伝えることができるようになった。その根本にあったのは信じることであった。現地スタッフも私の意見を受け入れ、お互い各国の文化や習慣を共有することができ、長所と短所も含めて話し合うことができるようになった。言葉の壁もあるが、相手を信じて、違う文化や習慣を受け入れ、相手と共有することで少しではあるが異なる文化や習慣の溝を埋めえることができたと思う。最後数か月はそれがお互いの力に変わり、切磋琢磨して仕事をすることができた。
4.失敗談や楽しかったこと、困ったこと、大変だったことは?
失敗談としては、始めにCPや現地スタッフの方々のニーズとして人員補てんが強かったため調整員にも相談し、担当の子供を減らした。結果的には一人の現地作業療法士といい関係をつくることができたが、他の作業療法士とはうまく関係をつくることができなかった。もう少し時期を遅くして時間割について配属先にアプローチすることで、他の作業療法士と関係が築くことができたのではないかと思った。
楽しかったことは、行事に対するイベント(クリスマス・年末・シャーマン・女性の日など)。センターに通っている母親たち主体でのイベントや保健省主体のイベントなど同僚と楽しむことができた。また、保健省主体で実施したイベントでは、習字で子供たちの名前を書くブースを作って実施した。
私は任地や配属先、ボランティアの方々(同期・医療部会・先輩隊員など)、調整員などに恵まれたため、大変だったことはあまりなかった。
5.2年間のボランティアを漢字一文字で!
「絆」
6.これから海外に出ようとしているウチナーンチュに一言。
各国の文化や習慣を楽しんで下さい。