平成19年度帰国 青年海外協力隊 前幸地 和美
職種:ハンドボール
派遣国:ホンジュラス
配属先:ペダゴヒカ大学(教員養成大学)体育科(首都デグシガルパ市内)
派遣期間:平成17年4月〜平成19年4月
略歴:琉球大学教育学部中学校教員養成課程保健体育科卒後、県内大岳小学校・首里、神森中・浦添商業高校勤務、一般企業勤務を経て(途中南風原中学校勤務)海外協力隊参加。
インタビュー
平成19年4月にホンジュラスから帰国された前幸地さんに、青年海外協力隊の活動内容などをインタビューしました。
- 1. 任地の気候や食べ物、生活環境などを教えてください。
- ホンジュラスは沖縄とほぼ同じ緯度にあり気候も良く似ていて、よく青空が見られます。また首都テグシガルパは、海抜975mのところに位置しているので、日差しはあるのですがわりと涼しくすごせる所です。山が多い国のため、首都で涼しく過ごしているときに、地域によっては暖房を入れ過ごしていたりもします。位置的に暖かいと思われがちですが、アメリカから寒波が流れると、その寒波はメキシコを通りそのまた2〜3日後にはホンジュラスに届く為、Tシャツで過ごした翌日には突然ウールを着て防寒する光景もあり不思議な気もしました。食べ物は、家族によって違いますがほとんどはとうもろこしをつぶして作ったトルティージャにチーズやアボガド、日本ではぜんざいに使う小豆をつぶしたものをはさんで食べています。フルーツが豊富で、日本で2000円ぐらいする大きさのマンゴーが60円ぐらいで売られ、しかもとっても美味しい!メロンもほとんど1年中ありました。反対に魚などはスーパーなどで見かけますが、種類も少なく日本のようなおいしいと思えるようなものはありませんでした。
- 2. 活動された内容を教えてください。
- 当初はハンドボール連盟に所属し活動を行っていましたが、終盤は教員養成大学に活動先を移して大学のハンドボールの授業を担当し、またハンドボールを専門とする先生の育成を行いました。発展途上国の共通点だと思いますが、学校体育やスポーツ連盟に政府からの支援が無いに等しいことから、学校では充分な体育の授業がなされておらず、大学に入って初めてあらゆる競技のルールを学んだという学生が多かった為、まずは先生を育成するカリキュラム作りが必要という判断をし、大学でハンドボールの教授に努めました。
- 3. 活動にあたり障害となったことやそれを克服していった事例があればお教えください。また活動はどうでしたか?
- 上記のように、国の財政難により特に公立の学校では日常から体育をすることやスポーツを(趣味・競技どちらも)継続して練習することが習慣化されてないので、大学内にあるハンドボールチームのモチベーションを継続させるのに少し苦労しました。日本では学校などで教育の中に何かを継続して学ぶということが指導され、また色々なチームが刺激となりがんばれるのですが、このような国では大人になってから指導が始まる、また周りに何かを続けて成功しているなどの見本が少ないため、継続することによって何が得られるかの意味を教えるのは難しい面があります。試合1週間前に練習に来て、ハイ本番!という習慣から意識を変えさせるのには1年くらいかかりました。
- 4. 失敗談や楽しかったこと、困ったこと、大変だったことは?(プライベート・仕事、どんなことでも)
- 日本人同士の付き合いは大変なこともあったけど楽しいことも多かったです。全国からいろんな職種・経験を持った人たちが集まり、目指すところを共有し過ごした2年間はとても大きく、同じ事柄も色々なスタンスから見え方・感じ方が違い、スタンスの違いによっては目指すところの到達地点も違ってくることなど、生の体験を通して知ることが多く、貴重な体験をしました。ホンジュラス国内に従事していた様々な関係者、事務所現地スタッフ、日本人スタッフ,JIICA職員との関わりなどいろいろな人のつながりがあって自分の活動を支えられ、続けられた2年間でした。
- 5. その他、何でも感じたことを書いて下さい。
- 発展途上国に対し日本に住んでいる時は、目にした映像や耳にした話の印象が強く、ついつい「何かをしてあげる側」と思いがちでしたが、実際に現地に住んでみると色々不足したものの中でも人々はその生活に順応し、屈託なく生きていることを知りました。普段の生活の中では、少し汗ばんだときに吹く心地よい風、ぐらいの存在感がちょうどいい感じでした。しかし、やはり問題はたくさんあり、物質面もお金も支援していく必要があります。また、彼ら自身の意識の改善を行っていくことも、とても重要です。また支援していく日本側も、一部の者にしか利益が得られないお金の使い方(例えばスポーツでは柔道や剣道といった日本の国技には畳などを贈ったり(確かに柔道連盟は存在し運営も行われているが)等)をしており、援助される国全体の福利を考えた、援助される側が必要とする日本の税金の使い方を考え直さなければならないのではないかと、実際の現場ではそう感じました。様々な問題を抱える国の自立のためには、こちら側は何十年という長い月日を見据えて付き合っていかなければなりません。しかし、いつかは訪れるホンジュラスの自立には、「支えている誰かがいる」ということが立ち上がる力になると感じています。「オレ達は貧乏人なんだよ、社会はぜんぜん変わらないんだよ」そう言った、若いホンジュラス人に変化が訪れるためには、これからも支援は引き続き必要とされていると思います。
- 6. これから海外に出ようとしているウチナーンチュに一言。(準備しておくとよいことなども含めて)
- どういうきっかけであれ、日本から一度出てみることをお勧めします。言語を身につけることで、今後の視野が拡がっていくと思いますし、海外に出ると日本人が忘れかけている何かを思い出すきっかけもあり、実りの多い時間を過ごせると思います。これから海外へ出ようとしている家族をお持ちの皆さん、心配される気持ちもとても良くわかりますが、2年間の体験はとにかく本人を成長させてくれますので、後々の本人の人生の活躍を期待して海外へ出されることをお勧めします。準備しておくとよいことは…。エイサーはとにかくウケました、現地の方に。日本文化紹介をやった翌日「あの赤い色の太鼓(パーランクー)の踊りよかったよ〜」とよく声をかけられました。練習用ビデオと何個かパーランクー持って行くといいと思います。「踊り」は現地に溶け込んだり相手との距離を縮めたりする手段として活用できると思います。
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