平成21年度帰国 日系社会青年ボランティア 大城 工

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職種:日本語教師
派遣国:ブラジル
配属先:タウバテ日伯文化協会
派遣期間:平成19年7月〜平成21年7月
略歴:県立那覇高等学校、琉球大学法文学部国際言語文化学科卒。台湾にて2年間日本語講師の経験を経て日系社会青年ボランティアへ参加。

インタビュー

1. 任地の気候や食べ物、生活環境などを教えてください。

ブラジルは国土が日本の22.5倍なので北は赤道直下、南は零下まで下がります。
わたしが住んでいたタウバテの気温は10℃〜33℃くらいで沖縄とあまり変わりません。
乾燥しているので夏も過ごしやすいです。洗濯物が良く乾きます。

日系人が住んでいるので豆腐やこんにゃく、醤油など、日本食が手に入りやすかったです。
インスタントラーメンも売られていますが、「肉」「野菜」「豆」などで大味でした。

2. 活動された内容を教えてください。

1)日本語の授業(生徒は2歳〜50歳)
2)日本文化の紹介(書道や歌、折り紙、楽器など)
3)日本人会イベントの企画・運営(しょっちゅう焼きそばを作っていました)
4)地区の日本語教育勉強会の企画・運営(3か月に1回ぐらい)
5)教材作成などなど

活動は1)がメインですが、現地の先生の採用と指導を重点的に行いました。
帰国後も現地スタッフだけで学校運営ができるのが良いなと思っていたので、模擬授業などを通して授業のアイディアを出し合って経験を積んでもらいました。

3. 活動にあたり障がいとなったことやそれを克服していった事例があればお教えください。また活動はどうでしたか?
配属先のスタッフや町の方々と仲良くしていたので特に障害となることはありませんでした。
週に3日は年配の方の家へ遊びに行っておしゃべりの相手になってたのと、授業以外の時間で若者とスポーツをしたり一緒にお酒を飲んだりしたことで、皆に顔を覚えてもらえました。
地域のイベントで日本語教室を知ってもらうことで日系人でなくても日本語を学びたいという子どもが増えました。
4. 失敗談や楽しかったこと、困ったこと、大変だったことは?
赴任当初は言葉で苦労しました。
子どもを指導した経験がなかったので何を求めているのか、そもそも何を言っているのか分かりませんでした。
始めは「tio(おじさん)」と呼ばれていたのが「せんせい」と呼ばれるようになったり少しずつ日本語が上手になっていくのが嬉しかったです。
毎週サッカーをしていましたが、20歳の若者から還暦のおじさんまで一緒にプレーしてビールを飲んでいました。
本気でプレーして仲間内で殴り合いの喧嘩をするのがブラジルらしくて毎週楽しめました。
5. 2年間のボランティアを漢字一文字で
「結」
一緒に訓練を受けた同期ボランティアや任地でたくさんの方と知り合うことができました。
世界のウチナーンチュ大会で再会できた方もいます。
2年間でたくさんの人との繋がりができたことが1番の財産です。
6. これから海外に出ようとしているウチナーンチュに一言。
情報はいろいろなところに溢れていますが実際に観て聞いて味わってこそ感じることも多いと思いますので一歩踏み出してはいかがでしょうか。
何か一芸があったら外国で人気者になれます。特に折り紙の手裏剣はお勧めです。