平成25年度帰国 青年海外協力隊 仲島 涼子

【写真】

氏名:仲島 涼子
職種:村落開発普及員
派遣国:ケニア共和国
配属先:水灌漑省 水資源管理庁 アティ川流域事務所(於:イースタン州マチャコス県マチャコス)
派遣期間:平成23年年5月〜平成25年5月
略歴:NGOで開発途上国の子どもの教育支援に関わった後、協力隊に応募

インタビュー

1. 任地の気候や食べ物、生活環境などを教えてください。
−気候:任地マチャコスは首都ナイロビから南東60キロメートル、乗合バスで約1.5時間の距離にあり、標高1,600メートル、半乾燥地帯、気温は12度まで下がる時もありました。「アフリカは暑い」のイメージと異なり朝夕は特に冷涼感がありました。あまりに寒く、任地で湯たんぽを購入しました。
−食べ物:ウガリ、カチュンバリ、ギゼリ、サモサ、チャパティ等の一般的なケニア食に加え、任地のあるカンバ地方ならではの食べ物として、ムドゴイ(大豆の炒め物)がありました。どれも美味しく、よく近所のケニア人宅に招かれてはケニア料理をご馳走になりました。
「美味しい!」は、カンバ語で「レウ ムセウ!」と表します。
−生活環境:電気、水道とも不安定で、雨期になると停電が頻発し懐中電灯やロウソクで生活することもありました。雨期にはかなりの雨が降りますが、給水設備が不十分のため、朝早くから水運びをする人々の列がありました。生活と活動を通し、「Water is life.(水は生命)」を実感しました。生活品は市場やスーパーで買い揃えることが出来ました(醤油もあり!)。マチャコス市場は、色鮮やかな野菜や果物が豊富で、それらを売り買いするたくましい女性たちがひしめきあい、私のカンバ語学習の場でもあり、マチャコスで一番好きな場所でした。
2. 活動された内容を教えてください。
アティ川流域の水資源利用者組合を訪問し水資源管理に係る訓練(地域の水資源歩行調査、ワークショップ等)、地域の地図づくり、TAKA TAKA BUSTERSキャンペーン(地域の清掃活動、TAKA TAKAはスワヒリ語でゴミの意味)、学校での3R講座(Reduce-Reuse-Recycle)、ケニア手話を学びDeaf(聴こえない方)への橋渡し、「安全で清潔な水を飲めるようになること」を目的に、様々な活動と分野に挑戦しました。活動推進にあたり、いつも周りから励ましや支援をいただき心強かったです。
3. 活動にあたり障がいとなったことやそれを克服していった事例があればお教えください。また活動はどうでしたか?

−障害となったこと:二点あります。一点目は、配属先の構造です。全ての部署が個室でドア式になっており、スタッフの動きが見えないため勤怠状況が分かりません。就業時間が定められていてもスタッフによって出勤、退勤時間が異なり不公平感が生じていました。また、情報共有がないためいつ仕事をしているかわからず、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)やコミュニケーションを取ることが難しかったです。 二点目は、情報共有の難しさです。情報を本人の付加価値にしてしまい、全体で共有すべき情報を個人で握りしめてしまうため、全体の向上に時間がかかると感じました。
−克服事例:一点目の克服方法として、他の地域事務所や団体の状況(ワンフロアに各部署が集まりスタッフの動きが一目瞭然、個室なら壁ではなく窓ガラスで仕切られている)を撮影し、配属長やスタッフに利点を伝え意識改善を促しました。
二点目の克服方法として、私が率先して情報共有に努めました。セミナーや研修の資料回覧、改善取組の結果データ配信等、最新の情報や同僚が必要としている情報を提供し、関連する説明を加える中で「各自の情報を共有し、活用することでその価値が倍になり、活用方法が広がり、最終的には組織の運営強化につながり、個人へと還元される」ことを同僚が自ら学ぶことになりました。
意識の変化は目に見えず、すぐには効果が表れません。だからこそ、少しずつ変化が起きていることを感じた時の喜びや手応えは計り知れないものがありました。

−活動について:活動は、非常に充実していました。本来の活動と並行して、日本の紹介にも努めました。初代の隊員だったこともあり、任地の皆さんに協力隊の目的や活動、日本、ふるさと沖縄を知っていただきたいと、紹介ポスターを手作りし、毎年5月に配属先で展示していました。ケニアで人気の高いKARATE(空手)が沖縄発祥だと知ると、スタッフや身近な方々の沖縄への関心がさらに高まりました。

4. 失敗談や楽しかったこと、困ったこと、大変だったことは?

−失敗談:コミュニケーションを深めようと公用語スワヒリ語の他に、任地マチャコスの部族語カンバ語を積極的に話していたところ、あるスタッフから「私は(その部族出身ではないから)カンバ語はわからないわ」と言われたこと。すぐに公用語に切り替えました。異文化で多民族が暮らす中での配慮を学びました。

−楽しかったこと:ケニアの各部族語による名前や表現方法の収集です。
その1:ケニアでは訪問者に名前をつける習慣があります。40以上ある部族語の中から、28の部族語で私の名前をつけてもらいました。任地ではカンバ語で「Mwende(ムウェンデ)」と呼ばれていました。
その2:水資源管理の活動をし、配属先の標語が「Water is life.(水は生命)」だったこともあり、公用語スワヒリ語をはじめ、話者の多いキクユ語、ルオ語、カンバ語や少数民族の部族語等27の部族による表現を収集することができました。
Water is life.(水は生命)
スワヒリ語:Maji ni uhai.(マジ ニ ウハイ.) カンバ語: Kiwu ni thayo.(キウ ニ ダユ.)

−困ったこと:雨期の移動と停電です。道路基盤が脆弱で雨期には道路がデコボコになったり、陥没しました。泥濘の中をマタツ(乗り合いバス)やトゥクトゥク(三輪タクシー)が走行することになり、泥に車輪が絡まり動けなくなったり、車両の天井に頭をぶつけたりと肝を冷やしたこともありました。

−大変だったこと:安全の確保です。細心の注意を払っていても、テロ、殺人、交通事故、万引きや自然災害等々の事故に巻き込まれる可能性がありました。特に、マタツは大量の荷物と乗客を乗せて、100キロを超える猛スピードで走ることがあります。対向車も同じく猛スピード。信号の無い道を互いに譲り合わない彼ら…首都ナイロビに行くためのモンバサロードでは、時折、横転したマタツやローリーの変り果てた姿がありました。
危険を感じる時は、ケニア人マダム(女性達)と行動を共にし、情報を教えてもらい守ってもらいました。何事もなく任期を終え、無事帰国できたのも在ケニア日本国大使館、JICAケニア事務所からの安全情報発信、きめ細やかな配慮、配属先のチームワーク、家族同様に接してくれた知人たちのお蔭です。本当にありがとうございました。

5. 2年間のボランティアを漢字一文字で
「共」
−説明:任地の方々と共に喜び、共に笑い、そして共に泣き、生活と活動をしてきました。彼らの食べ物、言葉、習慣に近づけば近づくほど、共に分かち合う体験が増えました。最後には、「ムウェンデ(私のカンバ語名)は、本当にケニア人みたいだねぇ」と近隣のケニア人から言われていました。その言葉がとても嬉しかったです。
6. これから海外に出ようとしているウチナーンチュに一言。

深く掘れ、己の胸中の泉、余所たよて水や汲まぬごとに。

沖縄学の父、伊波普猷が述べた言葉です。異文化の中で、「足元を深く掘れ」との言葉を常に意識していました。異文化は内なる泉を映し出す鏡でした。
世界のウチナーンチュが各国で活躍されています。ぜひ、ウチナーンチュネットワークを創ってくださいね!!