平成27年度帰国 日系社会シニアボランティア(NSV)宮里 裕子(大阪府出身・伊江村在住)
職種:保健師
派遣国:ボリビア
配属先:オキナワ日本ボリビア協会 オキナワ診療所
派遣期間:2014年7月7日〜2016年3月25日
略歴:1987年神戸市立看護短期大学卒業、1988年より大阪府の箕面市立病院で看護師として5年間勤務の後、1993年大阪府立公衆衛生専門学校(保健科)入学、1994年より箕面市役所健康福祉部にて保健師として約12年間勤務の後、2006年より沖縄県の伊江村役場にて保健師として勤務。JICAボランティアには現職参加。
インタビュー
- 1.任地の気候や食べ物、生活環境などを教えてください。
- 【気候】沖縄と気候が似ていたが、乾期は砂埃が舞い、雨期は道が川のようになってしまうこともありました。また暑いときは気温が40度くらいになる日もありましたが、時折、急に冷たい風(南極からの風で現地ではスールと呼んでました。)が吹き、大陸性の気候のせいか夜12時をすぎると涼しく、冷房がなくても眠ることができました。
【食】移民として渡ってきたうちなーんちゅが多く住んでいるところだったので、島豆腐にかまぼこ(ボリビアは内陸なので川魚)、ゴーヤーなどの沖縄食材が手に入りました。また、ボリビアは、高地以外はほぼ米が主食なので、ほとんど沖縄と変わらない食生活をしていました。行事の時にはヤギ汁や沖縄そばも振舞われました。ボリビア料理も取り入れられており、チュラスコという塊肉を焼いた料理も、イベント時によく出されていましたが、ボリビアの肉は、筋肉質でとても硬く、慣れないうちは、顎がとても疲れました。
【生活】移住地内は日系人の方が経営する店も多く、日本語で買い物ができ、大体の物資はなんでも手に入りました。但し、停電や断水も何度かあり、断水解除後、黒い水が出て洗濯物が黒く染まったこともありました。移住地内は安全で、ボリビア人は陽気で親切な人が多かったです。
- 2.活動された内容を教えてください。
- 移住地の日系の方への保健福祉活動。具体的な内容として、高齢者への介護予防体操の指導、健診後の保健指導、学校や婦人会、青年会などでの生活習慣病予防のための健康教育、健診データなどの集計・分析による健康課題の明確化と保健事業の計画など。ボリビア国内の医療系のJICAボランティアで年に2回、健康フェア(ミニ健診、健康相談、生活習慣病の予防啓発のための展示など)を開催。
- 3.活動にあたり障がいとなったことやそれを克服していった事例があればお教えください。また活動はどうでしたか?
- 診療所で生活習慣病予防のための健診後のフォローとして、医師の健診の後、気になる受診者の方を保健室に回してもらい約60名の方に保健指導を行いました。 2回目以降も受診に来た人を保健室へ回してもらうようにしていましたが、保健指導を受けに来た人は、自主的に来室された1名で、調べてみると薬を定期的に処方してもらう必要のある人が全く診療所に来ていませんでした。生活習慣病は、ある期間、薬を飲めば治ってしまう病気ではなく定期的に診療所に来て、医師に薬の効果を見てもらう等継続した検診が必要ですが、そのような認識がなかったのかもしれません。そこで、生活習慣病がどんな病気で、放置すると重大な病気をおこしてしまうこと、その予防には生活習慣の改善が必要であることなど、理解や予防に対する啓発活動を学校や婦人会、青年会などで講話やグループワークなど行いました。啓発活動の効果を確かめる前に残念ながら任期終了となってしまいましたが、学校の先生から砂糖入りの飲料を飲む子が減ったという嬉しい報告をいただきました。盛りだくさんの活動内容で超多忙な日々でしたが、私自身やり切った感はあります。悔しかったことも多少はありましたが、全体的には楽しく活動できました。それは、オキナワ診療所のスタッフや移住地の皆さん、そしてJICAボリビアの調整員およびその他の皆さんに支えられたからだと思います。本当に感謝しています。
- 4.失敗談や楽しかったこと、困ったこと、大変だったことは?
- 失敗談は、ボリビア人の先生にスペイン語の個人レッスンをメールで16日木曜日に予約したところ、先生から15日に『君が予約した木曜日だけど、どこにいるんだい?』と電話がかかってきました。私は『予約は16日のはずですけど』と答えながら、曜日を間違えていたことに気づきました。16日は金曜日だったのです。日本人は、曜日よりも日付を優先的に記憶しますよね。でもボリビア人は逆なのです。先生は木曜日ということを頼りにしていましたが、私は16日という日付しか頭にありませんでした。私は先生に平謝り、予約日の変更をしてもらいました。日本人とボリビア人のちょっとした違いがこんなことも生んでしまうのだなあと思いました。先生から、『あの出来事は興味深かったね。面白かったよ。』と言われました。
楽しかったことは移住地の敬老会の出し物として、配属先のオキナワ診療所のスタッフ(日系人・ボリビア人)と、地元のダンス『ビバ!サンタクルス』をオジー、オバーに披露するために連日練習したこと。任地に入った直後でスペイン語を全く話せなかったのですが、ダンスの練習を通して、ボリビア人スタッフと打ち解けて仲良くなれました。言葉が通じなくても、表情や身振り手振りで十分コミュニケーションができ、一つの目標に向かうことができるのだと確信しました。
困ったことは、『虫刺され』です。とにかく、年中、蚊がいて、手足はいつも刺され跡だらけでした。とくに、ブヨ(がじゃん)は困りもので、治りが遅く内服薬まで処方してもらったほどです。しかし、デング熱にはかからずにすんだことはラッキーだったと思います。
大変だったことは、私は現職参加なので、2年にも満たない活動期間なのに、悔いのないようにと、ついつい活動内容を詰め込んでしまい、合間に旅行もしっかりやって…毎日、多忙に過ごしたことです。帰国前の4カ月は、1日の睡眠時間4時間だったのではと思います。もう少し余裕を持って、移住地の皆さんとおしゃべりしたり、じっくりと落ち着いた活動をすればよかったなあと思います。(と、結局、悔いが残ってますが…)
- 5.2年間のボランティアを漢字一文字で
- 「熱」
任地の気候は亜熱帯だけど、内陸。海風が吹かない代わりに40℃の熱風が吹くこともありました。
また、移民1世の方の開拓当時のお話に熱いものを感じました。健康長寿な1世の方に対して2世以降の方に増えつつあるメタボの状況に、私の活動もつい熱くなり…。いろんな意味で熱かったですね。でも、せっかく南米に住んでいたのに、ラテン系男性の熱いまなざしは、オバさんの私には無かったです。残念…。
- 6.これから海外に出ようとしているウチナーンチュに一言。
- 昔から伝えられている沖縄の言葉である「いちゃりばちょーでー」、「ちゃんぷるー」、「なんくるないさ」を知っているウチナーンチュの皆さんなら、どこへでも行けます、どこででも生きていけます、どんな困難も乗り越えられると思います。自信を持って海外に出てください!!