日系人・パラグアイ人が一つになって被災者を応援

2011年5月9日

パラグアイへの日本人の移住は1936年に始まり、第二次世界大戦後に本格化しました。岩手県、福島県など東北出身者が多いのが特徴です。同国内の日系人は現在、約7000人(日本国籍者及び2・3世含む)。今回の震災後、日系人、パラグアイ人が一つになって、被災者や日本を応援してくれています。

移住地の大豆で作った豆腐を被災地へ

【写真】

1950年代後半以降、JICAはパラグアイへの移住者派遣と入植後の活動支援を行ってきましたが、これら移住者は同国の農業発展に大きな貢献を果たしてきました。その一つが現在、世界第4位の輸出量を誇り、同国の主要農産物となっている大豆生産の導入です。その大豆と、大豆を加工した豆腐が、被災者への支援となっています。

震災後、パラグアイに暮らす日系移住者が母国の震災支援のために何かしたいと考えていたところ、パラグアイならではの支援の方法として、同国で日系農家が生産する遺伝子組み換えでない大豆を使った豆腐を被災者に届けるというアイデアが生まれました。これに日系農協の組合員が賛同し、大豆100トンを提供することを申し出ました。また、パラグアイ日本人会連合会は豆腐製造資金の一部となる1,000万円の募金活動をパラグアイ国内各地でスタートさせています。

パラグアイから提供された遺伝子組み換えでない大豆は、従来から日系農家と大豆の取引を行っていた日本の業者(株式会社ギアリンクス、岐阜県美濃加茂市)の協力を得て豆腐に加工され、被災地での配布が始まっています。パッケージに「心は一つ パラグアイ国民は日本を応援します」のメッセージが描かれた豆腐の製造は100万丁まで続けられる計画です。

日系人・パラグアイ人が一体となったチャリティーイベント

【写真】【写真】【写真】 【写真】

2008年から2010年までパラグアリ県サプカイ市で観光資源を活用した地域開発に取り組んだ元JICAボランティア(青年海外協力隊員)の原田千晶さん(滋賀県出身)が、当時から進めていたプロジェクトの確認や後任の隊員の訪問のため、現地に入ったのは、3月10日(現地時間)。その翌日、東日本大震災が発生しました。

「自分にできることは?」と原田さんが考えたのがチャリティーイベントの開催でした。開催予定日は4月1日〜2日。準備の日数も限られ、心配なまま、かつての活動で知り合った職業訓練提供機関SINAFOCALに相談に駆け込みましたが、「もちろん、喜んで」という言葉が返ってきました。

SINAFOCALを管轄する司法労働省とパラグアイ日本人会連合会が主催者となり、パラグアイ人(民間企業・省庁など)・日系人双方の多くの若者グループと派遣中のJICAボランティア、滞在中の日本人が協力。イベントは首都アスンシオン市内の中心部で開催され、パラグアイ人のアーティストや日本アニメ同好グループも参加しました。

被災地の状況を写したスライドショーやコンサート、日本食バザーなどが行われ、2日間で約150万円の募金が集まりました。

「震災で被害を受けた日本のために少しでも力になりたいという一心でパラグアイ人と日系人が共に力を合わせられた」と原田さん。現地に派遣中のJICAボランティア、山崎みつ美さん(北海道出身)は「イベントの準備は大変だったが、みんなでろうそくに火を灯すことで、同じ気持ちを共有することができた」と話しています。

集まった募金は、被災地に豆腐を送る取り組み等に活用される予定です。

パラグアイではそのほか、第二の都市、アルトパラナ県エステ市にあるシウダ・デル・エステ日本人会や日本への白ゴマ輸出を支える輸出業者の日本人社長からも義援金が寄せられたほか、パラグアイ随一のファッションショーとして知られる「アスンシオン・ファッション・ウィーク(AFW)」の会場でも被災地支援の募金が呼び掛けられました。