草の根協力支援型

平成16年度 採択内定案件

I. 提案事業の概要
1.国名モンゴル
2.事業名バガヌール地区生活環境整備(生活道路の舗装)
3.事業の背景と必要性
  • モンゴルにおいては、遊牧民が生活苦を理由に新たな生活の場を求め大都市圏に流入し、大都市周辺部の空き地にゲル(移動式住居)を建て密集して生活している。こうしたゲル地区では、暖房、電気、水道、排水、廃棄物等々、生活に必要な経済・社会インフラが整っておらず、とりわけこれらの移住者は有料の住民登録を行っていないため、医療・教育・福祉など社会サービスへもアクセスできない状況にある。
  • このようなゲル地区の生活改善のためには国家的な施策が必要と言えるが、モンゴル経済の現状からそれが望めない。したがって、地域住民が自らの生活を守るべく結束して立ち上がることが出来るような、草の根レベルでの支援が非常に重要なこととなっている。
  • かかる状況のもと、2003年10月、JICAモンゴル事務所は、これらゲル地区への包括的な協力プログラムとして「ゲル地区生活改善プログラム」を策定した。本プロジェクトは、この「ゲル地区生活改善プログラム」を構成する下位概念の中の一つ即ち「基礎インフラ整備プロジェクト」として位置づけられる。
4.事業の目的
  • ゲル住民から提起された課題は、生活用水の確保、ゴミ処理の徹底、道路敷きでの緑喪失による砂塵発生および路面の排水不良などであり、これらの問題を一度に解決し、しかも実現可能なものとして、ゲル内の生活道路を整備する。
  • 生活道路の整備に当たっては、通常の道路舗装工事のようにアスファルト混合物の製造プラントを設置したり、これらの混合物の敷均し機械などを使用したりするのではなく、人力作業を主体とした生活道路の作り方をゲル地区住民に移転すると共に、これを組織的に運用する住民参加型の「生活道路の整備」手法を確立する。
  • ここで確立した住民参加型の「生活道路の整備」手法を、モンゴル各地にあるゲル地区にも適用できるようにマニュアル化する。
5.対象地域ウランバートル特別区バガヌール
6.受益者層バガヌール特別区第4ゲル地区住民
7.活動及び期待される成果 【活動】
  • ゲル住民を組織化し、本プロジェクトを遂行するモンゴル人キーパーソンを通じ、これらの組織化されたゲル住民に、地区の生活様式に適した生活道路の設置位置、構造などの選択方法並びに施工技能、維持修繕技能を移転する。
  • 本案件終了後の住民参加型「生活道路整備」の手法の発展・展開を計るべく、バガヌール市道路管理者およびモンゴル道路技術者連盟メンバーに参加を要請し、上記の手法を教育指導・移転する。
【成果】
  • ゲル地区に人力作業主体、且つ、ゲル住民参加型の生活道路が作られる。
  • 生活道路の整備後、ゴミ飛散に係わる衛生問題への対処および生活用水の確保、水くみ問題への対処が可能となり、ゲル内の生活環境が改善される。
  • 住民参加型「生活道路整備」やゴミ処理を行う仮定で、ゲル地区住民の組織化や生活環境改善に対する意識改革が計れる。
  • ここで移転される生活道路建設・補修の手法は、ゲル地区のみでなく市内道路にも応用できるため、この技術を習得したゲル住民の雇用機会の増大が見込まれる。
【指標】
  • 延長500m規模の生活道路が作られる。
  • 他ゲル地区にも応用可能な住民参加型の生活道路整備ためのマニュアルが作成される。
8.実施期間2004年12月〜2006年11月(2年間)
9.事業費第一年次契約金額:1,700千円(精算金額:1,278千円)
第二年次契約金額:7,511千円
10.事業の実施体制【日本側】(日本側支援体制、広報等)
実施主体は「モンゴル国簡易道路舗装委員会」であり、当委員会は国際建設技術協会内外の技術者により実行委員会形式で結成された。この委員会メンバーは、現地と日本を往復して実際の作業を行う専門チームとこれを国内で支援するチームからなる。

【相手国側】
日本側専門チームと直接に対応するのは、案件実施のキーパーソン、サブパーソン、バガヌールゲル・ホロ長、住民およびそのリーダー、サブリーダー並びに「モンゴル道路技術者連盟」関係者である。

【生活道路の整備におけるモニタリング体制】
JICAモンゴル事務所をリーダーとするバガヌール市技術者、モンゴル道路技術者連盟および専門チーム技術者から構成されるモニタリング委員会を設置する。

II. 実施団体の概要
1.団体名社団法人 国際建設技術協会
2.活動内容社会基盤整備案件を中心としたODAプロジェクトの発掘、形成。
建設分野を中心に海外協力活動を行なうNGOへの支援。
3.対象国との関係、協力実績ウランバートル市道路改良・維持補修計画(1995年)
ウランバートル市道路整備計画(1999年)