第5回:ベトナムで「道の駅」を通じた地域振興に取り組んでいます!千葉県南房総市 加藤 文男さん

【画像】第5回は、日本の地域の技術や経験を活かして、開発途上地域の発展に貢献することを目指した事業を紹介します。地方自治体による提案事業の中から、ベトナムで「道の駅」を通じた地域振興に取り組む、千葉県南房総市の加藤 文男さんに筆を執っていただきました。

Q1. 所属団体とベトナムでの事業概要を教えてください!

提案団体/組織名 千葉県南房総市
主な活動国・地域 ベトナム社会主義共和国 クァンナム省
草の根技術協力事業を通して目指していること 「道の駅」を基盤に農業の第6次産業化を目指し、安全野菜を栽培する農地を拡大、商品開発を通して、農民の所得が持続的に向上すること。
事業名 「道の駅」を基盤とした、農業の第6次産業化による地域振興
事業概要 「道の駅」を特産物の販売推進基盤として充実させるとともに、加工事業を加速させ、省も「推奨品制度」を設け販売を支援する。さらに、集荷・販売・配送を共同化させて販路を拡大させる。

Q2. 国際協力に関わるようになったきっかけ、理由を教えてください!

私は千葉県南房総市にある道の駅、「とみうら枇杷倶楽部」の初代駅長として長年、地域振興の現場で奮闘してきました。2003年に国際協力銀行がタイ王国で実施した国民参加型援助促進セミナーに参加したことをきっかけに、日本の過疎地域の振興手法は途上国でも応用できると実感し、千葉での取り組みは間違っていなかったのだ、と自分自身も救われたように思えました。
その後、縁あってベトナム平和発展財団から招聘を受け、ベトナム中部のクァンナム省で道の駅づくりを手伝うことになりました。なんとか開設にはこぎつけたのですが、ベトナムでは民間企業が道の駅を開設することが多く、企業の利益が優先されてしまうという現状があります。「自分が立ち上げに関わったこの道の駅を、地域振興にも貢献できる場にしたい」そんな思いから、草の根技術協力事業でこれに取り組むことを決めました。つまり、クァンナム省の道の駅の開設に責任者として携わったことが国際協力に関わるきっかけです。

Q3. ベトナムで事業をはじめたきっかけや対象地域、対象者を選んだ経緯・背景を教えてください!

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郡政府職員、受益者との現地確認

実はベトナム平和発展財団から開設の候補地として推薦されていたのは別の省でした。しかし、クァンナム省は日本の知見を活用することに積極的で、担当副知事も「事業費は省も負担する」と非常に熱心でした。また、クァンナム省はホーチミン市とハノイ市を結ぶ国道1号線の中間点にあるため、地理的にも魅力的でした。
カウンターパートにはクァンナム省の副知事が会長を務める、省友好団体連合を選びました。省友好団体連合の副会長はベトナム戦争に従軍し、住民からも尊敬される温厚な方でしたし、道の駅の事業者も地元出身の成功者で、故郷に貢献したいという想いを持っていました。
日本とは勝手が違うベトナムでの事業実施には信頼できる人との出会いが全てだろうと考えました。

Q4. 事業に関わる上で、一番気を配っていること/気を付けていることはなんですか?

何度でも現場に入り、村人とハグして、同じ立ち位置で考え続けるようにしています。私たちは日本の国力を踏み台にして立っていることを忘れ、どうしても上から目線になってしまいがちですし、現地も日本側に頼りがちになります。しかし、どんなに現地に入れ込もうと、私たちは所詮旅人ですから、現地の方の知恵とやる気を原動力にしないと事業は持続しないと思います。
事業実施に際しては、省政府や郡政府からの支援を求め、受益者にも負担を求めるようにしています。自らが何等かの負担を負うことによって、事業実施中に直面する困難に立ち向かう力が生まれるように思います。

Q5. これまでに一番困った/苦労したことはなんですか?また、どのように乗り越えましたか?

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カウンターパートのクァンナム省PMCとの協議

当初、ともに事業に取り組む予定だった農民団体が、次々に離反してしまったことですね。農民団体は道路や水利施設などのインフラ整備を期待していたようで、この事業が目指すこととの間には乖離がありました。何度も話し合いを持ちましたが乖離は埋まらず、決裂。目の前が真っ暗になりました。カウンターパートと必死に現地を廻り、ようやく目の輝きの違う方たちに出会うことができました。いまではこれを教訓に、とにかく現地に足を運び、情報が入ったら即、自分の目で確かめるよう心掛けています。

Q6. では、一番嬉しかった/やりがいを感じたことはなんですか?

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ビンアン道の駅(クァンナム省)に併設した農民売店の賑わい

事業目標の1つに、「農民が農業の第6次産業化のためのスキルを取得し、安全な野菜を消費者に届けられるようになる」というものを設定していたのですが、事業途中でベトナム政府がVietGAPという安全な野菜を栽培するための基準を制定したため、大幅に事業を変更せざるを得ない状況に直面しました。新しい基準をクリアするためには、加工所の建設が必須になってしまったのです。
まずJICA、郡政府、農民団体と協議を持ち、何としてでも乗り越えるという方針を合意しました。郡政府は急遽事業費の半額を負担することを決め、農民たちは延べ370人工の勤労奉仕を買って出て、加工所の建設に取組むことを決めました。このような努力の結果、軟弱野菜でベトナム国内初のVietGAPの認証を取得することができました。
その後、近隣都市に直売所をオープンすることができ、栽培面積は11ヘクタールまで拡大しました。事業に参加した農家の所得も順調に増えています。課題は次々に押し寄せてきますが、道の駅が1つの農村振興のモデルとなりつつあると感じられることはプロジェクト・リーダー冥利に尽きます。

Q7. 事業を進めていく中で、現地の人々にはどのような変化が見られますか?
今後重要になると思われること、今後の抱負を教えてください!

ベトナム側からは「意識が変わった」という声を聞きます。現地農民にも自助努力の精神が染み込んだように思えます。また、南房総市の職員も、異国の地での事業を実施することで事業構築能力がつき、たくましくなりました。
今後の課題は、ベトナム国内での情報共有と事業連携です。また、現在のように1つずつのアイテムだけでなく、魅力的なベトナムのライフスタイルそのものを「道の駅」で売る方策を模索したいですね。
個人的には、日本が生んだ「道の駅」が途上国の地域振興にも有効に働くという実感を強くしています。体力と気力が続く限り「道の駅」の伝導を続けていきたいと思います。「Michino—Eki」という言葉が途上国に広がってゆけばステキですね。

Q8. 最後に「くさのね」で、あいうえお作文をお願いします!

 くさは草でも

 さりげなく

 野に咲き続き

 根づきたい

ありがとうございました!