プロジェクトニュース_37

2018年3月28日

参加型保全活動の経験取りまとめシリーズ 第5回 土地管理

ランドスケープの視点と参加型土地管理

生物多様性保全や自然資源管理を行うには、異なったレベルに焦点を当てることが必要です。ここでいう異なったレベルとは、ある特定の生物種、例えばジャガーの保全に焦点を当てた管理活動を行うのか、それとも、特定の森林やサンゴ礁と言った生態系レベルに焦点を当てるのか、さらには、森林、河川、農地等の幾つかの異なった生態系から構成されるランドスケープ(景観)というレベルに焦点を当てた管理をするのかと言うことです。(なお、海洋においてはシースケープという用語を使いますが、本記事では文字数の都合上、ランドスケープで統一させていただきます。)

今回のプロジェクトニュースでは、国立公園や野生生物保護区などに指定された、もしくは保護区指定がなされていなくても保護対象として管理するべき地域の管理について見ていきたいと思います。生物多様性保全や自然資源管理をランドスケープ(景観)というレベルで適切に行うことは、エコシステムアプローチの視点からも極めて重要なテーマです。

ランドスケープレベルでの自然資源管理、生物多様性保全を行う上で、土地の管理即ち、「地権者は誰か?」「地権者(もしくは地域の人々)が、いつから、どのようにその土地を利用しているか?」といった事項がポイントとして挙げられるかと思います。

コスタリカにおいて野生生物保護区や森林保護区などは国有地と私有地が混じりあっています。すなわち保護区の管理計画などを策定するのにあたって、地権者との調整が必須となります。一方で、国立公園はすべてが国有地となっています。しかしそこでも、行政機関が一方的に管理計画を策定していいというわけではありません。国立公園が国有地となる前からその土地の周辺地域の人々が地域の自然資源を利用してきた場所も少なくありません。したがって地域住民とも合意形成を進めながら土地の管理について決めてゆく必要があります。

今回プロジェクトMAPCOBIOで取りまとめた、コスタリカにおける参加型保全活動の経験の中には、保護区管理、ランドスケープレベルでの自然資源管理・生物多様性保全に関する以下の6事例がありました。

1.カニョ・ネグロ野生生物保護区管理計画更新作業への住民参加
2.モンテ・スブマリーノ(海山)海洋管理区の参加型管理計画策定
3.モンテ・アルト森林保護区保全基金における参加型保護区管理
4.バラ・デル・コロラド野生生物保護区における参加型保護区管理
5.カウィータ国立公園の協働管理
6.サベグレ川流域における持続可能な開発

今回のプロジェクトニュースではこれらの事例についてご紹介させていただきます。

1.カニョ・ネグロ野生生物保護区管理計画更新作業への住民参加

カニョ・ネグロ野生生物保護区は国家保全地域システム庁(Sistema Nacional de Áreas de Conservación:以後SINAC)のアレナル・ウエタール・ノルテ保全地域にあります。ニカラグアとの国境近くを流れるフリオ川流域にあり、ラムサール条約に登録された豊かな湿地生態系を擁する野生生物保護区として有名です。このカニョ・ネグロ野生生物保護区の44%の土地は私有地で、56%が国有地となっています。この保護区周辺には先住民のマレク族のコミュニティーや農業を営む地域住民、ニカラグアからの移民の集落などがあります。この地域は貧困率が高いことでも知られ、カニョ・ネグロ野生生物保護区からもたらされる自然資源に頼った生活を送っている人々も少なくありません。

この野生生物保護区の管理計画を策定するにあたり、最初に地域住民の参加が見られたのは1990年代初頭のことです。この時の管理計画は、1995年から2005年までの10カ年計画を策定するというものでした。この時、SINACのアレナル・ウエタール・ノルテ保全地域事務所はスペインの国際協力庁の支援を得て、カニョ・ネグロ野生生物保護区の自然資源やその保全状況、地域社会の社会経済分析等を行い、さらに地域住民との会合を重ねて管理計画を策定しました。しかし当時はまだ、管理計画策定に参加型のプロセスを取るというのは一般的ではありませんでした。当初策定された管理計画がその対象期間を終えた2005年以降、カニョ・ネグロ野生生物保護区の管理計画は更新される必要性がありました。しかしSINACの財政難によって更新がままならず、管理計画がないままの空白期間がしばらく続きました。そしてようやく管理計画更新のための予算が確保できたのは、2009年も終わりになってからのことでした。

この時のカニョ・ネグロ野生生物保護区管理計画の更新は、アレナル・ウエタール・ノルテ保全地域の地域評議会のメンバーを中心とした16名の管理計画技術委員会が担うことになりました。この技術委員会はまずカニョ・ネグロ野生生物保護区を4つのブロックに区分し、それぞれのブロックの主要なコミュニティーやキーパーソンを集めたワークショップ、研修などを計画し、実施していきました。そうして管理計画の骨組みとなる部分を組み立てていきました。

2011年には先住民のマレク族も巻き込んでのワークショップを行い、カニョ・ネグロ野生生物保護区の管理計画の更新作業を進めていきました。2012年には、より現場の実情に即した管理計画にすべく、上記の4ブロック、マレク族コミュニティー、ロス・チレス市行政、地元農家、地元企業などの代表者で構成されるカニョ・ネグロ野生生物保護区の地方評議会(先述の地域評議会の一段階下のスケールの評議会)を発足させました。そうして地方評議会での会合やワークショップを重ね、2013年から2020年までの期間を対象としたカニョ・ネグロ野生生物保護区管理計画策定作業が進展していきました。

そして2013年10月25日、出来上がったカニョ・ネグロ野生生物保護区管理計画がアレナル・ウエタール・ノルテ保全地域の地域評議会において正式に承認されました。その後この管理計画は国家保全地域評議会の審議にもかけられ、そこにおいても無事承認されました。

以上のようにカニョ・ネグロ野生生物保護区における管理計画は、地方評議会による地方ブロックごとの作業、次に地域評議会による保護区全域を対象とした作業、最後に国家評議会による承認という、ボトムアップのプロセスを取って定められました。管理計画の土台となる部分は地方評議会や地域評議会という、現場の当事者たちによって決定されるため、非常に具体的でかつ現場にあった内容であると言えます。またこのように多様なアクターが直接顔を合わせて一緒に作業を行う参加型のプロセスを取ることで、地域の人々の相互理解の促進や共通認識の醸成が促され、カニョ・ネグロ野生生物保護区の適切な管理に資する社会的な土台が固まっていくのです。

【画像】

カニョ・ネグロ野生生物保護区の管理計画策定ワークショップの様子

2.モンテ・スブマリーノ(海山)海洋管理区の参加型管理計画策定

海洋保護区の面積拡大とその適正な管理は、第10回生物多様性条約締約国会議で合意された愛知目標にも盛り込まれた重要なテーマです。ここでは生物多様性の豊かさで名をはせるコスタリカの、海洋保護区に関する取り組みの1事例をご紹介します。

コスタリカのココ島は国家保全地域システム庁(Sistema Nacional de Áreas de Conservación:以後SINAC)が管轄するココ島海洋保全地域にあり、コスタリカ本土の太平洋沿岸部から南西に550kmほど行った場所にある火山島です。ココ島とその周辺海域は世界自然遺産にも登録されており、固有種も多く、海洋島ならではのユニークな生態系が存在します。島の周辺海域は非常に多種多様な海洋生物を見ることが出来、スクーバダイビングでは世界的に有名なサイトとなっています。この島には管理を行うSINACのレンジャーや海洋警察職員の出入りを除いて人の定住は無く、自然環境の保全が厳格に行われています。

モンテ・スブマリーノ海洋管理区はそのココ島を取り囲むように設置された総面積9,640平方キロメートルの海洋保護区です。モンテ・スブマリーノ海洋管理区が設置されたのは2011年3月のことです。世界自然遺産に指定されているココ島とその周辺海域の保全を強化するため、そのバッファーゾーンとしてモンテ・スブマリーノ海洋管理区は設置されました。

モンテ・スブマリーノ海洋管理区の設置後、直ちにその管理計画策定の手続きが取られました。管理計画の中心となるのは同海域の海洋生態系と生物多様性の保全ですが、モンテ・スブマリーノ海洋管理区内で行われている活動には保全活動や調査研究活動の他に、観光業と漁業がありました。管理計画策定にあたっては、そうした活動に関わる各分野のアクターに参加してもらい、協働で進めていくという手法がとられました。

この作業は監督省庁であるSINACのココ島海洋保全地域事務所を中心として、Costa Rica por SiempreとConservation Internationalという2つのNGO、そしてプロジェクト・ビオマルクのチーム(その当時ドイツの国際協力機構がSINACと共同で実施していた気候変動対応・海洋保全プロジェクト。実施期間2010年から2015年。)が支援していく形で進められました。

選出された主要アクターは先述のSINACココ島海洋保全地域事務所、Costa Rica por Siempre、Conservation International、プロジェクト・ビオマルク の他に、コスタリカ水産庁、延縄漁業会議所等、11の行政組織・NGO・大学、研究機関・国際機関などです。

管理計画策定にあたり、延縄漁業者の生活を守る立場にある延縄漁業会議所からは様々な反対意見などが出され、作業は容易には進みませんでした。ひとまず策定された管理計画案には延縄漁業会議所の意見や提言がほとんど盛り込まれておらず、関係者間の関係は険悪なものとなっていきました。延縄漁業会議所を除けば、絶海の孤島を取り囲む海洋保護区の関係者は資源の利用や開発よりも保護に重きを置いています。参加型のプロセスをとって進めたとはいえ、延縄漁業会議所の主張が通る可能性は最初からほとんどなかったと推察されます。

こうした事態に、コスタリカの環境エネルギー省などの大臣・副大臣クラスの政治家が問題解決に乗り出すなどしました。しかし事態が大きく好転するまでには至りませんでした。本件は最終的に司法の判断を仰ぐこととなり、審議の結果延縄漁業会議所の訴えは退けられました。この結果モンテ・スブマリーノ海洋管理区管理計画はSINACのココ島海洋保全地域の地域評議会、さらに国家保全地域評議会の採決を受けて正式に承認されました。現在モンテ・スブマリーノ海洋管理区はこの管理計画に則った管理が進められています。少数意見とは言え、地域資源の活用が必要な人たちの意見をどの様に資源管理に反映させていくかと言うのは、今後の重要な課題だと考えています。

【画像】ココ島とそれを囲んで設置されたモンテ・スブマリーノ海洋管理区

3.モンテ・アルト森林保護区保全基金における参加型保護区管理

コスタリカのニコヤ半島には国家保全地域システム庁(Sistema Nacional de Áreas de Conservación:以後SINAC)の管轄するテンピスケ保全地域が置かれています。テンピスケ保全地域の地域事務所があるニコヤの街から南に10kmほどのところにあるオハンチャ市にモンテ・アルトの保護区はあります。

この地域は1960~70年代の農牧畜業の需要の高まりに合わせて、急速な森林伐採が進みました。その結果、土壌侵食によって生活用水や灌漑用水の汚染や汚濁が深刻になりました。こうした環境の悪化を受けて、オハンチャ市は同市の統合的地域開発計画を策定し、対応に乗り出しました。この統合的地域開発計画には地域の農林業技術向上や自然再生事業などの活動が盛り込まれていました。

その中の自然再生事業はCORENAプログラム(Programa Conservacion de Recursos Naturales-Convenio MAG-AID)と呼ばれるもので、オハンチャ市一帯をカバーするノサラ川流域における森林再生事業でした。このプログラムは1982年から1986年まで行われ、それによって森林再生や林業の知識や技術が地域住民にも広まっていきました。またCORENAプログラム終了後の1987年には森林局がオハンチャに設置され、森林局の職員を中心に、引き続きノサラ川流域の森林再生活動が行われました。

しかし1990年から1992年にかけて、エル・ニーニョ現象の影響でノサラ川の流量が大きく減少するという事態が生じました。特に3月4月頃、乾季の終わりが近くなる時期には河床がむき出しになる場所もみられ深刻な水不足に陥りました。これは急速に進んだ森林伐採による水源地の保水力の低下に加え、人口増加や農林業の拡大による水需要の増加によって引き起こされたものでした。こうした事態に対応すべく、有志市民や農牧省・環境エネルギー省などの行政関係者が集まり、モンテ・アルト森林保護区保全基金を発足させました。そして水源地の森林再生保全事業を開始させたのです。

一方でオハンチャ市もこの事態に対応すべく、同市の1992年から1997年の戦略計画に水の利用管理を行うコミッションを結成すること、そして先述のモンテ・アルト森林保護区保全基金の活動に対し出来るだけ助成を行うことを決めました。

モンテ・アルト森林保護区保全基金は地域一帯での大々的なキャンペーンを展開し、助成金や募金などで活動資金を調達し、ノサラ川流域の劣化した森林や土地を購入し、森林再生事業を開始しました。このキャンペーンには官民問わず多くの人々が参加・協力しました。

こうした官民連携は当時一般的なものではなく、公務員たる農牧省や環境エネルギー省職員が住民主体となっているプロジェクトにそこまで深く関与する事への適法性などについて疑問を呈されることもあったと言います。しかしコスタリカの行政監督庁に見解を求めたところ、モンテ・アルト森林保護区保全基金の事例については問題ないとされ、活動の適法性を保証する書類が発行されました。このお墨付きを得たことにより、官民連携等多くの活動がスムーズに進むこととなりました。

活動を通じて購入された土地の地歴や現況、境界線なども明確にされ、管理に用いられる主題図や地図も作成されました。そして1994年3月に正式に保護区として承認されました。当初はノサラ保護区と呼ばれていましたが、2005年から地域住民にとってより馴染み深い“モンテ・アルト保護区”に名称が変更されました。

【画像】モンテ・アルト保護区内の土地利用状況を表した主題図

正式な保護区となったため、そこの管理と保全についてはSINACのテンピスケ保全地域事務所が責任省庁として管理計画の策定等の必要な業務を行うこととなりました。その一方でモンテ・アルト森林保護区保全基金とSINACテンピスケ保全地域事務所の間では協力協定が取り結ばれ、保護区内での環境教育、森林火災警戒監視、訪問者のアテンド、森林再生活動などは協働で行うという取り決めになっています。

また保護区内のインフラ(散策道、電気、水道、水資源利用のパイプライン、エコツーリズム用ビジターセンター、管理棟など)の整備・補修、観光サービス業務はモンテ・アルト森林保護区保全基金が行っています。

こうした取り組みを進める中、1996年にドイツのAlemania Tropical Verdeという組織がこのモンテ・アルト保護区での取り組みに対して支援を申し出ました。これによって保護区内のインフラ、環境教育関係の施設やプログラム策定、生態系サービスへの支払制度の活用などが一層充実しました。

こうした様々な活動の結果、モンテ・アルト保護区には毎年千数百人、多い年では2000人を超える観光客が訪れるようになりました。そしてその収益はモンテ・アルト森林保護区保全基金の運営資金に回され、より良い保護区管理に向けた様々な活動が展開されています。

4.バラ・デル・コロラド野生生物保護区における参加型保護区管理

バラ・デル・コロラド野生生物保護区はコスタリカの北東部にあり、すぐ北はニカラグアとの国境に面し、東にはカリブ海が広がっています。この地域の国立公園や野生生物保護区などを所管するのは国家保全地域システム庁(Sistema Nacional de Áreas de Conservación:以後SINAC)のトルトゥゲーロ保全地域事務所です。この地にバラ・デル・コロラド野生生物保護区が出来たのは1985年のことです。バラ・デル・コロラド野生生物保護区の面積は81,177haに及び、コスタリカの野生生物保護区としては最大の規模です。

バラ・デル・コロラド野生生物保護区は国有地と私有地が混ざり合っており、その管理においては地権者との調整と合意形成が重要になってきます。しかし1985年にバラ・デル・コロラド野生生物保護区が創設され、1998年に参加型の生物多様性保全を目指した生物多様性保全法が制定されてからも、バラ・デル・コロラド野生生物保護区では参加型保全・管理の動きはほとんど見られませんでした。バラ・デル・コロラド野生生物保護区の創設以来、地域住民とSINACのトルトゥゲーロ保全地域の職員の間には、自然資源の利用と保全を巡る対立が長年にわたって存在し、相互不信の状態に陥っていたのです。

こうした状況に変化をもたらしたのが2008年から2011年にわたってSINACとJICAが実施したバラ・デル・コロラド野生生物保護区参加型管理プロジェクトです。バラ・デル・コロラド野生生物保護区を地域住民とSINAC職員が協働で管理していくことを目指し、実施されました。

このプロジェクトの実施を通じて、トルトゥゲーロ保全地域事務所職員の参加型管理に関する能力向上を目指すとともに、自然環境保全と地域住民の生計向上を両立させる活動を実施していきました。それが「統合農家」と呼ばれる活動です。

例えば、家畜の排せつ物、家庭の生ごみや農作物の廃棄物等をコンポストで肥料にし、家畜の飼料や農作物の生産性を向上させる。さらに家畜の排せつ物を利用したバイオガス・ダイジェスターを設置し、ガス調理器具に利用するといった取り組みが行われます。このように農場にある資源を無駄なく統合的に活用し、生計や生産性を向上させるのが統合農家の取り組みです。

プロジェクト期間中、地域住民や子供たちを対象とした環境教育も行われました。バラ・デル・コロラド野生生物保護区で行われたのは参加型環境教育と呼ばれるもので、一般的な環境教育とは少し異なるものでした。例えば身の回りの自然環境や生き物についての問いを設定し、その答えを自分たちで見つけていくといったものです。これにより自然環境保全の重要性についての理解が、地域住民、特に子供たちの間で進んでいきました。

こうした統合農家や参加型環境教育を導入するにあたって、SINACの職員と現地の農家の人々は、活動の有用性や意義、その実施可能性などについて数多くの議論や意見交換を重ねました。そして協力を得られる住民を対象に、活動を次々と実施に移していきました。その結果地域住民とトルトゥゲーロ保全地域事務所職員の相互理解が進み、信頼関係が醸成されていきました。

2011年になるとバラ・デル・コロラド野生生物保護区に地方評議会が設置されました。この地方評議会にはバラ・デル・コロラド野生生物保護区の環境、社会、経済分野の様々なアクターが参加し、バラ・デル・コロラド野生生物保護区の管理計画などに自分たちの意見を反映させることが出来るようになりました。

【画像】

バラ・デル・コロラド野生生物保護区の現場視察に出る地方評議会の評議員たちとSINAC職員

バラ・デル・コロラド野生生物保護区内には約2500人の人々が住んでおり、土地を所有している人も少なくありません。参加型で保護区を管理していくには、この地方評議会のようなオフィシャルな場でのコミュニケーションというものが非常に重要です。これによって2011年にプロジェクトが終了した後も、地域住民とSINACのコミュニケーションが途絶えることはありませんでした。また地方評議会の運営の良し悪しはバラ・デル・コロラド野生生物保護区全体に大きな影響を与えることから、地方評議会を正しく機能させるためのアクションプランなども策定されました。

こうした出来事は主にバラ・デル・コロラド野生生物保護区の西側、内陸部での動きについてですが、やがてバラ・デル・コロラド野生生物保護区の東側、沿岸部にもこうした動きが波及していきました。2013年にEUの支援を得たFUNPADEM(平和と民主主義のための基金)とINBio(国家生物多様性研究所)がSINACやポコシ市と共にバラ・デル・コロラド野生生物保護区の沿岸部において持続可能な自然資源管理(特に漁業)、廃棄物の削減とリサイクル、気候変動対応のための温室効果ガス排出削減などの活動を地域住民と共に実施しました。こうした流れの中でバラ・デル・コロラド野生生物保護区全体における官民の協働や連携の動きが着実に定着していきました。

また同じ2013年には私たちのプロジェクトである「参加型生物多様性保全推進プロジェクト(MAPCOBIO)」が始まり、バラ・デル・コロラド野生生物保護区における統合農家の活動、環境教育、参加型環境モニタリング、地方評議会の運営強化などがさらに進んでいきました。そしてバラ・デル・コロラド野生生物保護区で得られた知見は、同じような国有地や私有地のミックス型の保護区の管理や保全に関わる人々にも広く共有され、役立てられています。

5.カウィータ国立公園の協働管理

カウィータ国立公園はコスタリカの南東、国家保全地域システム庁(Sistema Nacional de Áreas de Conservación:以後SINAC)の管轄するラ・アミスター・カリベ保全地域にあります。この国立公園は陸域(1,068ha)と海域(23,195ha)両方に跨って設置されており、陸域にはマングローブ林やYoliyoと呼ばれるヤシ科(Arecaceae)、Sangrilloとよばれるマメ科(Fabaceae)の植物を中心とした汽水・淡水湿地林が卓越し、海域はカリブ海沿岸部の主要なサンゴ礁やその他多くの岩礁等を含んでいます。プーマ(Puma Concolor)やオサガメ(Dermochelys coriacea)といった希少種や絶滅危惧種もみられ、この地域の生物多様性保全上きわめて重要な国立公園と言えます。

この地に人の定住がはじまったのは1828年のことです。当初は一家族だけでしたが、その後各地からから少しずつ移住者がやってきて小さな村が形成され、少しずつ発展していきました。ここの地域住民はそれ以降代々にわたり漁業や農業で生計を立ててきました。

1970年になり、この地域に大きな社会的変化が生じます。カウィータがサンゴ礁を守る国の記念地域に指定されたのです。そしてその後1978年に国立公園として指定されました。これらの手続きは地域住民に何の相談も説明もなく行われました。そのため自然資源の利用や土地の所有権などを巡る争いが、地域住民と行政側で生じたのです。

その後1986年、カウィータ国立公園の管理などに地域住民が参加するということで、行政側と地域住民側の和解に至ります。住民の代表者たちはカウィータ国立公園管理の顧問委員会の委員となり、国立公園の管理やサービスに意見を反映させ、参加するようになりました。折しもコスタリカのエコツーリズム隆盛期であり、カウィータ国立公園にも多くの観光客が訪れるようになっていました。地域住民にとってカウィータ国立公園の在り様は非常に重要な関心事項となっていたのです。

カウィータ国立公園の管理において地域住民が自身の意見を反映させた例を少しご紹介します。1994年、コスタリカに来た外国人旅行者の国立公園入場料は15ドルと設定されました。このとき、カウィータ国立公園の地域住民はこの価格設定に異議を唱えました。エコツアーなど観光客の対応で収入を得ていた地域住民にとって、入場料の増加は訪問者の減少につながる可能性があるため、懸念が示されたのです。

こうした事態に対応するべく、1996年に住民側は“カウィータ国立公園闘争委員会”と名付けられた住民組織を結成し、国立公園設置時に接収された自分たちの土地に対する支払い要求や、公園への入場料の支払に反対するといった主張を掲げ、行政側との交渉に乗り出しました。この交渉にあたっては、弁護士が両者を仲介する形で進められました。そして1997年、行政側は住民組織の主張を大部分受け入れ、住民組織とカウィータ国立公園の管理についての協定を結びました。

上記の交渉の結果カウィータ国立公園における地域住民のPlaya Blanca 地区(スペイン語で“白い浜”の意)の2kmにわたる散策道のアクセスは無料とされました。更に国立公園設置時に接収された土地への支払いについても行政側が認めたのです(とはいえ補償金の支払いは、資金不足によってすべてが実施できたわけではありません)。またPlaya Blanca 側を経由した国立公園への入場料は10ドルに設定されるなど、地域のツーリズム振興への配慮がみられました。

このように観光客誘致を促進する取り組みがなされる一方で、多くの観光客が来ても国立公園とその周辺の自然環境が損なわれることが無いように、地域住民側も取り組みを進めました。例えば観光客が決められた場所以外に立ち入らないようにするための散策道や、トイレなどのインフラが整備されました。またそれらの保守点検は、地域住民自身の手によって実施され、常に良好な状態を維持できるようにしました。

1998年になり、コスタリカでは生物多様性法が施行されました。これによって住民参加型での生物多様性保全が国レベルで正式に志向されるようになりました。しかし上記の例のように、生物多様性法発布以前から、コスタリカの様々な地域では独自に住民参加型の保全活動が始まっていました。つまりこの生物多様性法は、既にコスタリカ各地で興っていた住民参加型保全活動という現実社会の動きに正当性を与えるものとなったと言えます。

ともあれこの生物多様性法に従い、1998年以降各地の国立公園や野生生物保護区などでは地域住民のリーダーなどで構成される、管理委員会が設置されるようになりました。カウィータ国立公園の場合は、カウィータ統合開発組合という住民組織が、生物多様性法の施行前から様々な活動の実施や調整等を行っていました。その住民組織が管理委員会となり、引き続きカウィータ国立公園の管理・運営、自然資源管理等に携わっていきました。

このようにカウィータ国立公園参加型管理が進展する一方、国立公園設置時に土地を供出した人々への補償金の支払い問題は未解決のままでした。管理委員会はこのセンシティブなテーマにも精力的に取り組み、2002年までにはほとんどの土地の補償問題が解決しました。

こうしたカウィータ国立公園の住民参加型の協働管理モデルは注目されるようになる一方で、疑義を抱かれることも少なくありませんでした。例えば先述したPlaya Blanca地区の自由なアクセスなどについては、その有様に常に批判が伴っていました。実際2005年に行政監督庁は、カウィータ国立公園の協働管理についての是正勧告を出しています。

こうした問題に対応するため、現地の関係者はカウィータ国立公園地域評議会を設立し、同評議会の場でカウィータ国立公園の管理について透明性のある議論を重ね、問題解決に努めました。

またこの問題解決には、カウィータ国立公園の協働管理モデルが生まれた背景の理解が欠かせないとして、1828年から続く地域社会の歴史や文化、自然資源利用、そしてカウィータ国立公園設置時の経緯についての理解を内外の関係者に訴えかけていきました。これは環境エネルギー省のみならず大統領府を巻き込んだ動きにも発展し、関係各所で様々な議論や調整がなされました。そして2014年、このカウィータ国立公園の協働管理モデルを適正なものとする行政手続きや仕組み作りを進めるように、大統領令が発出されたのです。

この大統領令は大きな追い風となりました。しかし翌2015年に行政監督庁から出された保護区におけるツーリズムの有様を示した通達書に照らし合わせると、カウィータ国立公園の協働管理は依然として問題があることを示していました。しかしながらこの通達書はカウィータ国立公園とその周辺地域の経済分野のデータのみで、ツーリズム管理の良し悪しを評価していました。国立公園とその周辺地域の社会学的、生態学的データとその評価が欠落しており、国立公園関係者や地域住民からしてみれば全く納得のいかない不十分な内容だったのです。

そのためカウィータ国立公園の管理委員会は外部コンサルタントやNGOなどの協力を得ながら、環境・社会分野の調査を実施し、協働管理モデルの現状やその妥当性を示すデータを蓄積させました。そして行政監督庁の担当者をカウィータ国立公園に招待し、現場を案内しながら環境・社会分野のデータを示し、カウィータ国立公園の協働管理モデルの妥当性についての理解を得ようとしました。しかしながら行政監督庁はこの申し出を断り、会合が実現することはありませんでした。協働管理に関するさらなる法整備が進むまで、この問題は棚上げになったままになります。

ともあれカウィータ国立公園の管理委員会は現在も協働管理モデルを堅持し、国立公園の自然環境保全と地域社会の発展を両立させる取り組みを進めています。

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カウィータ国立公園周辺住民の昔ながらの営み

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カウィータ国立公園周辺住民の昔ながらの営み

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Playa Blanca

6.サベグレ川流域における持続可能な開発

サベグレ川はコスタリカの中央部を走るタラマンカ山脈を主な水源とし、太平洋中央沿岸部に流れ下る、流域面積58,921haに及ぶ同国の主要河川の一つです。水源地の高山帯から河口までの直線距離は50km弱と短いながら、その高低差は3000mを越えます。このコンパクトで急峻な地形の中に、太平洋に注ぐ河口沿岸域やマングローブ林、低地熱帯多雨林から山地熱帯多雨林といった多様な生態系とその移行帯(エコトーン)が含まれています。そこでは同国における植物相の約2割、動物相の5割強の種数が確認されるなど、まさに生物多様性保全上の要地といえます。このサベグレ川流域はユネスコの生物圏保護区(日本ではユネスコ・エコパークの名称で知られる)にも登録されており、生物多様性保全と人間の生産活動の両立と調和が図られている地域となっています。

この地域への人の定住は比較的最近始まったものです。第二次世界大戦時、ドイツ軍の潜水艦Uボートがパナマ運河に通じるカリブ海において頻繁に商船破壊活動を行っていました。これにより連合国側(当時の中米諸国はすべて連合国側)はパナマ運河とアメリカ合衆国を陸路で繋ぐ必要性を認め、アメリカ軍の工兵隊がパナマ運河とアメリカのテキサス州をつなぐインターアメリカン・ハイウエイの建設を急ぎました。そして1940年代中頃に、コスタリカのタラマンカ山脈南西綾の外縁を走る幹線道路が完成したのです。この道路の出現によって、現地でCerro de la Muerte(スペイン語で“死の山脈”の意)と呼ばれていたタラマンカ山脈周辺地域にも徐々に人々が移り住んでくるようになりました。

入植者によってこの地域では農業が始められました。コーヒー、アブラヤシ、キイチゴ、柑橘類、リンゴなどが主な農産物です。また自家消費程度の米や豆の栽培をしているところもあります。しかし急峻な地形から大規模な生産活動は望めず、細々とした生産活動が行われていました。

同地に入植者がコミュニティーを形成し始めてからしばらく経った1975年、サベグレ川中流域にロス・サントス森林保護区(面積56,023ha)が設置されました。コスタリカの森林保護区は国有地と民有地が混じりあっており、ロス・サントス森林保護区内やその周辺には複数の集落が点在しています。問題なのは、コスタリカの森林保護区内では、林業以外の生産活動は法律で認められていないということです。しかし地域の人々は同地に定住してから先述の農業活動をして生計を立てていました。加えて、林業だけで生計を立てることは非常に厳しく、森林保護区内に土地を持つ人々にとっては林業以外の手段で生計を立てざるを得ない状況でした。

このような状況に置かれていたサベグレ川流域の住民の間で、持続的な開発と生計向上を目指した動きが始まったのは1994年のことです。複数の住民グループが協働し“ケポス保全地域の持続的開発計画”と銘打った戦略的行動計画を取りまとめました。この行動計画の第一歩は、サベグレ川流域の持続可能な開発促進を支援してくれるドナーを探すことでした。丁度時を同じくして、環境エネルギー省もサベグレ川流域の生物多様性保全や地域住民の生計向上などを目指した開発計画を、地域住民と共に策定しようといった動きを見せていました。

1995年になり、コスタリカの環境エネルギー省は本格的にサベグレ川流域の住民とプロジェクト形成に向かって動き始めました。そして当時スペインの国際協力庁が中南米の自然環境保全と持続可能な開発を促進させるべく、11か国を対象に実施を計画していたアラウカリア・プログラムに入ることが出来たのです。このプログラムの一環として、1999年サベグレ川流域のコミュニティー開発・生計向上プロジェクトが開始されました(実施期間5年、スペイン側の5年間の予算実績220万ユーロ、直接裨益者26コミュニティー3802名)。また同じ頃に日本の国際協力機構(JICA)からも青年海外協力隊が同流域のコミュニティーに派遣され、自然環境保全と住民の生計向上支援の活動を展開しました。

このプロジェクトは関係する地域住民や行政機関を巻き込んだ参加型のプロセスで進められました。そして「生物多様性保全」「生計向上」「流域の保全と管理への住民参加」を3本柱として、各種活動が進められていきました。

「生物多様性保全」の活動では多くのアクターが協議を重ね、2003年にサベグレ川流域統合的管理計画が取りまとめられました。また現地アクターの継続的な連絡や意見交換、意思決定を可能にするプラットフォームとして、地方評議会を発足させました。加えて、サベグレ川の水源や生物多様性を保全するため、ロス・ケツァーレス国立公園の創設についても関係者で合意に至り、手続きが進みました。

「生計向上」においては、統合農家活動、マイクロクレジットによる個人・小規模グループによる事業実施、生産者組合支援、持続可能なツーリズム開発などの活動が展開されました。ニジマスの養殖事業や、ケツァール(和名:カザリキヌバネドリ)(Pharomachrus mocinno)を始めとする野鳥の保全と観察ツーリズムなどは事業が軌道に乗り、現在も継続しています。

「流域の保全と管理への住民参加」においては舗装道や橋梁、上下水道などの生活インフラの整備。流域管理と保全の重要性の周知。住民グループの組織体制や事業実施能力の強化。サベグレ川流域にある4市の環境課や、各市に設置されている環境委員会の支援などが行われました。

こうした活動の実施を通じてサベグレ川流域のコミュニティーは、参加型流域管理・保全能力を高めていきました。プロジェクトが終了した今現在においても、現地では参加型で自然環境保全を行いながら、生計向上を目指す取り組みが続けられています。

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サベグレ川上流域の高山帯に生息するケツァール

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サベグレ川

ランドスケープレベルの参加型管理から得られた知見

コスタリカにおいては国立公園や野生生物保護区などの統治や管理に関する実定法の制定が遅れたり、その内容がしばしば現実にそぐわないものであったりしてきました。それらの実定法を頑なに地域住民に押し付けていた時代もありましたが、現在では現場や社会の動きに合わせた柔軟な姿勢が多く見られます。

しかし地域住民と現場の行政職員との間に一度生じた不和は、場所によっては今現在も解消されないままになっていることも少なくありません。今回ご紹介したのは土地の管理をめぐる問題が起きつつも、関係者が前向きに、そして柔軟に対応し、解決策を模索した事例です。これは今も土地管理の問題を抱える地域で、活用できる内容と言えるかもしれません。

今回の事例から、SINACの職員たちは以下の5つを教訓として引き出しています。

1.「分野や世代を問わず、参加型での取り組みに意欲的なアクターを巻き込むこと」
その地域で活躍する多様な分野、世代の人々に参加してもらうことで、参加型管理という一つの目標に向けて、それまでなかった繋がりが生まれる。そして、それぞれが果たす役割を理解し動くことで、参加型の取り組みが進展する。
2.「より多様で幅広いアクターの巻き込みと活用に、ナレッジマネージメントの視点をもつこと」
参加型の活動においては地域社会レベル・組織レベルにおいてアクターの能力強化が重要となる。尚且つそうしたアクターが適切に協働していくことでシナジーを引き出すことが出来る。そうした多様なアクターの能力強化や協働に生かせるナレッジを抽出し、事業に生かすことが重要。
3.「相互の結びつきを戦略的に作り出し、それぞれの持つリソースを有効活用する」
戦略的に結びつくことでスムーズな協調や強固な連結が可能になる。そしてそこが活動資金や活動のロジスティックを支えるプラットフォームとなる。
4.「参加者の能力向上を通じた実施プロセスの強化」
事業の実施を通じて多様なアクターの能力が向上することで、参加型を進めるプロセスがより適切で、新しい状況にも敏感に反応できるようになり、それがより良い協働や活動の持続性につながる。
5.「参加型での計画、実施、評価」
参加型での活動において、その事業の計画立案、実施、評価、フィードバックというすべてのプロセスに、アクターを参加させることが重要。それによって多様なアクターの協働が可能になる。

次回のプロジェクトニュースでは、水資源管理についての事例をご紹介します。