アフリカの教育

一般論としてアフリカの教育について概観します。アフリカの教育は、歴史的にみれば、植民地時代前の教育、植民地時代の教育、独立以後の教育という三つに区分することができます。植民地時代前の教育は伝統的教育と言い替えることもできます。植民地時代の教育は、植民地の人々を植民地経済の仕組の中に組み入れていく手段として使われたと言ってよいかと思います。独立後の教育は、教育を全国隅々まで普及させ、個人の意識を改革して、国民国家への統合を目的としたものといえるでしょう。

植民地時代前の伝統的教育

アフリカが植民地化される前に正規(学校)教育が行われていたのは、イスラム教が浸透した西アフリカ全域および東アフリカの海岸地帯を中心とした地域でした。学問所(コ−ラン学校)では、読み書き、イスラムの教義等が教授されましたが、それはアフリカの伝統的社会の構造・機能を損なうものではありませんでした。アフリカの人々には、イスラムの学校教育はアフリカの伝統的教育であり、アフリカの慣習の中で生かされると考えられていたのです。

イスラム圏アフリカ以外の伝統的社会では、学問所のような定型的な教育の仕組はなく、非正規的に教育が行われていました。アフリカの伝統的教育・訓練は、各エスニック・グル−プの文化的アイデンティティの継承に重要な役割を果たしてきました。その教育・訓練は、男女が所属する社会の成員として社会的役割を適切に果たせるような知識・技術を授けることを目的とし、家庭内での躾や外での儀礼、技術取得等を通し行われ、その内容は生業形態やおかれた自然環境に適応するものでした。

植民地時代の教育

アフリカが植民地化される前に伝道・通商の時代があり、この時代に入ったキリスト教の伝道布教団体がアフリカに近代的学校教育をもたらしたと言われています。キリスト教の布教団体による西欧型の学校教育は、伝統宗教を悪と決めつけ、教育内容は伝統社会の権威を否定するものでありました。植民地政府は教育を通じて、植民地政策の徹底を図るため学校教育に熱心に取組みました。そして、植民地時代の宗主国の教育政策は、それぞれの植民地政策と軌を一にするものとなりました。植民地時代の代表的な宗主国であるイギリス、フランス、ベルギ−それぞれの植民地政策と教育政策には共通点もありますが、ここではその相違点に着目しましょう。

イギリスの植民地政策は、「経験主義」と呼ばれるもので、アフリカ人を教育訓練することにより行政等の経験を積ませて、段階的に一定の範囲内で自治を拡大していくというものでした。したがって、植民地内に教育機関を設け、植民地統治がやりやすい教育カリキュラムを策定して、アフリカ人を教育・訓練しました。そこで、選ばれた者には海外留学の機会を与え、将来の自治領の行政リ−ダ−の養成を行いました。

フランスの植民地政策は、一般的に「同化主義」と呼ばれるもので、植民地に自国フランスの文化を広め、植民地をフランス化していこうという意図の下に植民地政策が実施されました。そこでの教育はアフリカ人をフランス人化する目的で行われたので、教育を受けたアフリカ人はフランス人社会に同化吸収され、市民権を与えられました。反面、教育を受けない民は従属民として扱われ、社会的にも政治的にも差別されました。

ベルギ−の植民地政策は、−般的に「父権主義」と呼ばれるもので、この根拠にはアフリカ人はいつまでも子供のままでよいという思想がありました。子供と看倣したアフリカ人にある程度の理解力を与えるため、初等教育には力を入れ、これはかなりの普及をみせたようです。しかし、高等教育に関しては、アフリカ人に門戸を開かなかったし、海外留学も一切認めませんでした。このような事情から、例えば1960年に独立したコンゴ共和国には、独立当時大学卒の資格を持つアフリカ人はたったの17名しか存在しなかったのです。

独立後の教育

独立後のアフリカ諸国の公的教育は、個人を各エスニック・グル−プ固有の文化や価値から解き放して、国民国家という新たな価値へ統合する目的をもって行われてきました。

1960年のアディスアベバ会議において初等教育の義務教育化が提唱され、独立後のアフリカ諸国は、教育の普及に力を注ぎました。又、急速なアフリカ人化政策に必要となる人材の養成が急務となり、教育・訓練はあらゆるレベルで急速に増加しました。例えば、初等教育では、1960年の総就学率が36%でしたが、83年には75%に達しました。高等教育でも、在籍学生数が1960年には唯の2万1千人でしたが、83年には43万7千人に増大しました。この急激な教育の拡大は、アジアやラテンアメリカをも凌ぐ速度でした。また、同時期、成人識字率も9%から42%に向上しました (The World Bank, Education in Sub-Saharan Africa : Policies for Adjustment, Revitalization and Expansion, The World Bank, 1988) 。

このように進展したアフリカの教育も、現在危機的状況に陥ってきています。この30数年間に起こった人口爆発による就学適齢人口増加に伴う教育拡充が追い付かなかったことと、経済発展の低迷・下降により、教育の量的拡大は停滞或いは後退傾向を示しているのです。

独立後のアフリカ諸国に対する援助は、高等教育や技術教育に重点が置かれ、基礎教育や成人識字教育は各々の国に任されてきましたが、 80年代に入りアフリカ諸国は上述したように経済状況が急速に悪化し、教育を含む社会サ−ビスは低下し、 1990年の「万人のための世界教育会議」以降、世界のドナ−の目は基礎教育支援に向けられるようになっています。