お互いに幸せな関係

2005年8月16日

野球部に入っていたわけでもないのに、何故かこの時期気になるのは高校野球の話題。(私の出身高校はちょくちょく県大会で良いところまで行くのですが、優勝には届きません。今年もベスト8止まりでした。)出場校の顔ぶれが発表されると、初出場の学校も常連校も話題になりますが、いずれの場合も、監督さんはとても有名・有能だというケースが多いと気付きます。そして、全国的に名の知れた強豪チームには、地元出身以外の選手が沢山在籍していることも周知の事実。

監督のチーム指導が上手だと、遠くの町からもその噂を聞きつけた野球の上手な生徒が集まってチームが強くなり、さらにまた優秀な生徒が県境を越えてでも入学を希望するようになる・・というシナリオがそこに浮かび上がります。子供達から能力を上手に引き出してくれる良い指導者のもとに、子供達(親達も?)は競って集まり、互いに切磋琢磨するプロセスがさらにその能力を開花させるのでしょう。そこには学校(指導者・教師)が生徒の能力向上の場を提供し、生徒の実績が学校の魅力を高めてくれるという「お互いに幸せな関係」が機能しています。

平等に授けられるべき基本的知識を全国民に一律に提供する基礎教育や初等教育と異なり、中等教育レベル(日本の中学・高校)では、生徒達の個性なり特性を彼ら自身で認識し始め、周囲のライバル達と協力しあったり、競い合いながら、その持てる可能性や能力をどんどん伸ばしていくための場所になる。故に、生徒達が伸びていきたい方向に正しく導いていくことの出来る優秀な指導者(野球なら監督やコーチや先輩、学校なら教師)は中等教育をより魅力的な場所とするために欠かせない存在でしょう。

そして、そういう意味を持つ中等教育があるからこそ、その後の職業教育や高等教育への橋渡しがスムーズになり、若い世代がその国の発展のために富を生み出すことが出来るようになる。高校野球がこれほど盛んでなければ、身体的に劣る日本のプロ野球選手が相次いで渡米して大活躍するような状況は、きっと生まれなかったでしょう。

SMASSEプロジェクトで、まずは中等理数科教員の質を向上させようとしているのも、同じセンス。先生の教え方が上手になれば、生徒もより勉強が好きになって成績もあがる。生徒の成績が底上げされれば、先生も更に教え方を工夫して生徒の向上意欲に応えようとする、という流れをケニアの理数科教育に確立しようと頑張っています。そのためには何としてもケニアの先生達の教授能力を向上させ、彼らの職務意識を高めねばなりません。同時に、生徒と教師を取り巻く学校関係者すべてが「お互いに幸せな関係」を築けるような社会を作り上げていく努力もします。ただ、中等教育を終えた生徒達の能力を生かす職場や環境がこの国に乏しいのが悩ましいところです。

その一方、中等教育の機会さえ得られない子供達の方が多い途上国では一体何が起きているのか?まだ自らの能力と秘めた可能性を測りかね、一体どんな将来を生きていくのか不安だらけのままガムシャラに過ごしながらも、少しずつ自分の姿や適性を探し当てていく中学生・高校生の時代が欠落していたら・・・自分の人生に照らし合わせ、想像できますか?

勉強であろうが、スポーツであろうが、音楽であろうが、その若い芽を育ててくれる環境(学校、教員、親、周りの生徒)が無かったがために埋もれたままになってしまう才能がどれだけあることか。「国造りのための人づくり」を急がなければならないケニアのような国で、未だにほとんど(4人中3人)の子供達は中等教育に参加できないという事実。発展途上の国々にとって大きな障害だと思いませんか?

日頃、SMASSEは大きな仕事をしていると自負していますが、まだまだ、それだけでは足らないのです。