monthly Jica 2006年5月号

特集 大洋州地域協力 海がつなぐ島国のきずな(1/2ページ)

2006年5月、太平洋島嶼国の代表が、3年ぶりに沖縄に集結する。第4回「日本・太平洋諸島フォーラム(PIF)首脳会議」(太平洋・島サミット)だ。このサミットは、日本と太平洋島嶼国との関係を強化し、同地域の発展に共に取り組むために、1997年以降、3年ごとに開催されている。今回は、前のサミットで採択された「沖縄イニシアティブ」の重点取り組み分野をさらに発展させるための将来的な地域協力について話し合われる。

JICAは、「沖縄イニシアティブ」に基づき、同じ島嶼国としての知見を生かしたさまざまな支援を実施してきた。その取り組みと成果を伝える。

太平洋諸島フォーラム(PIF)と「沖縄イニシアティブ」

太平洋諸島フォーラム(Pacific Islands Forum;PIF)は、14カ国(オーストラリア、ニュージーランド、フィジー諸島共和国、キリバス共和国、マーシャル諸島共和国、ミクロネシア連邦、ナウル共和国、パラオ共和国、パプアニューギニア、サモア独立国、ソロモン諸島、トンガ王国、ツバル、バヌアツ共和国)・2地域(クック諸島、ニウエ)で構成される地域的国際機関。1971年に「南太平洋フォーラム(SPF)」として発足し、2000年10月の総会で現在の名称に変更。

「太平洋・島サミット」は、日本とPIF加盟国・地域の首脳が集まり、わが国と太平洋島嶼国との関係を強化し、同地域の発展に共に取り組むための意見交換の場。97年以降3度開催(97年東京、2000年宮崎、03年沖縄)され、第4回が5月26・27日に沖縄県で開催される。「沖縄イニシアティブ」は、第3回サミットで採択された、日本とPIFが共同で取り組む以下の5つの重点政策目標。

  1. 太平洋地域の安全保障の強化
  2. より安全で持続可能な環境
  3. 教育および人材育成の改善
  4. 保健および衛生の改善
  5. より活発で持続可能な貿易および経済成長

VOICES from Papua New Guinea (パプアニューギニア)
「実った稲穂は私たちの宝」

撮影:今村健志朗

コメを主食とする食習慣が定着しつつあるパプアニューギニア。だが、消費のほとんどをオーストラリアからの輸入に依存しており、政府は輸入代替として、また農村部の食糧安全保障のため、農家による小規模自給稲作を推進している。JICAは、持続可能な自給稲作の定着を支援するため、モデル農家による周辺農家への技術普及活動と、それをサポートする行政の組織づくりを柱とする「小規模農家稲作振興プロジェクト」を2003年12月に開始した。現地で稲作技術を習得し、普及に取り組むモデル農家を訪ねた。

※ プロジェクトが実施している研修を受講した後、周辺農家に対して稲作技術を指導することを前提に地域から選抜された農家。

コメが主食の食生活に

【写真】モデル農家のベルナールさんから稲作を教わったウルドルフさんが、収穫した稲を乾燥させていた。

モデル農家のベルナールさんから稲作を教わったウルドルフさんが、収穫した稲を乾燥させていた。彼の幼い息子も興味津々に作業を見つめる

コメはうまい。

それは、古くから稲作とともに生きていた民族ならずとも感じることらしい。

しかも、コメは保存が利き、調理もたやすい。パプアニューギニアの人々の伝統的な主食はイモやサゴヤシのでんぷんだが、新しい食べ物であるコメが主食として受け入れられつつある。こうした食生活の変化が、1975年の独立以前から進行してきた。

しかし、パプアニューギニアでは、これまでコメはほとんど自給されておらず、主にオーストラリアからの輸入に頼ってきた。稲作は約100年前から、各地でキリスト教の宣教師などによって導入されたものの、一部を除いて根付かなかったのだ。

タロやヤムなどの根菜類やサゴヤシを主に栽培してきた人々にとって、種子作物の稲を植えることはそれまでの栽培文化と大きく異なるものだった。栽培の準備からもみを収穫してコメを得るまで、人々が知らない道具を必要とし、家畜を飼育した経験もなかった。自分たちで道具を開発する前に、外から機械や家畜が持ち込まれ、農家に求められたのは技術とお金だった。そのため、稲作を自分たちの栽培文化に取り入れることができた人は少なかったのだろう。

また、800といわれる異なる言語が存在し、言語ごとに部族社会を形成し、狩猟採種を中心とした彼らの生活のありようは、広い地域でルールを共有して水の管理をしなければならない水田稲作には不向きだったようだ。

研修で技術を普及

【写真】専門家の片渕さんに稲の病気について質問するウィルソンさん

専門家の片渕さん(左から2人目)に稲の病気について質問するウィルソンさん(左)

【写真】ブランディ・セカンダリー・スクールの生徒たち。

ブランディ・セカンダリー・スクールの生徒たち。彼らは農業の授業の一環で稲作を学び、実習で収穫したコメは給食の一部に使われるという

【写真】トントンと呼ばれるカヌー型のもみすり器でもみ殻を除去するマダン近郊のモデル農家

トントンと呼ばれるカヌー型のもみすり器でもみ殻を除去するマダン近郊のモデル農家(片渕さん撮影)

JICAのプロジェクトが目指しているのは、自家消費用としてのコメを自給できる農家を育てること。水田稲作よりも技術的に容易で、この国の人々の生活スタイルに適した陸稲栽培を中心とした、お金をかけない稲作を広めることに努めている。プロジェクトの対象地域は北部のマダン州、東セピック州、モロベ州で、現在2人の日本人長期専門家が活動に当たっている。

プロジェクトの拠点の一つ、東セピック州はパプアニューギニアのアマゾンとも称されるセピック川を懐に抱く地域だ。精霊信仰と原始美術の宝庫とされる川の河口に位置する州都ウェワク、そこから車で約2時間のバラム村に、モデル農家の一人、ベルナール・マライさんはいた。

プロジェクトでは、国内で唯一、稲作の研修が可能なラバウルのNGO、オイスカと共同で、モデル農家養成のための、陸稲栽培も含んだ稲作技術の研修プログラムを実施している。ベルナールさんもその研修員の一人だった。05年9月に研修を終えた彼の指導の下、11月に初めて稲を植え、私たちが訪れた3月はちょうど初収穫に村が沸き立っているころだった。ベルナールさんは彼の親も含め、周辺のおよそ50人に稲作の技術を教えたという。

ベルナールさんの父、ウィルソンさんが自分の陸稲畑に私たちを案内してくれた。アジアの水田を見慣れた目には物足りないようなささやかな稲作だった。だが、彼にとっては初めて実った宝物のような稲なのだ。

しかし問題は、現在、パプアニューギニアで、お金を必要とする精米機の導入が盛んに行われていることだ。東セピック州は、かつてキリスト教の宣教団が稲作の導入を試みた地域で、ウィルソンさんをはじめ年配の者たちは、幼いころに機械のもみすり精米機を目にしている。コメを収穫する以上に、いかにもみすり、精米をするか。この過程をいかに彼らなりに解決していくかが一つの課題といえる。

プロジェクトの専門家、片渕将太さんは言う。

「この国の稲作は始まったばかりです。農家に隣国のインドネシアを視察させ、稲作農家がいかにお金をかけないで自分たちでコメを作り、食べているかを勉強してもらっています。ここの人々は、タロやヤムではお金をかけていないのですから、コメでもできるはずだと考えています」

そして、プロジェクトでは、機械に代わるものとして、木を削って手作りする手動の精米機を農家に紹介している。東南アジアで使用されている道具で、日本でも最近まで使われていた。機械に不慣れでも扱いが簡単で、自分で作ったコメをお金をかけずに自分の手で精米して食べることができると、喜んで道具を作る農家も出てきた

※ プロジェクトでは精米機の維持管理モデルの形成も行っている。ただし、対象は農家ではなく、行政や学校である。

文化に受容され始めた稲作

【写真】学校などでは機械の脱穀精米機を導入しているところもある

学校などでは機械の脱穀精米機を導入しているところもある

ベルナールさんとオイスカでの研修で同期生だったアンドリュー・カムサさんも、自身が農業の教師を勤めるブランディ・セカンダリー・スクールで、生徒の実習による初めての収穫に、やはり顔をほころばせていた。

「全校生徒は900人近く。通学生が200人ほどいますが、コメの消費量は大変なもの。1週間に1トンにもなります。まだまだ全部を賄うことはできませんが、今後はもっと収穫を増やしていきたい」

やがて、ここで学ぶ子どもたちが故郷に帰って、稲作のすそ野を広げていくのだろう。そう、パプアニューギニアの稲作はまだ始まったばかり。プロジェクトがまいているのは、その小さな種なのである。

ウェワクから内陸に約3時間、積極的なモデル農家の多いマプリックで導入しているという、もみすりのための木臼の作り方を紹介する映像を見せてもらった。

丸太をくり抜いて削る。いかにも素朴な道具。だが、ふと思ったのは、ここセピックがパプアニューギニアでも有数の彫り物の産地であることだった。世界の多くの芸術家を魅了した原始美術を彼らは見事に彫り上げる。例えば、彼らがそれらを臼に彫り込み、その創造性を競うようになったなら。その時こそ、彼らの文化の中に稲作が受容された時なのではないか。

ヤム・シンシンと呼ばれる収穫祭で、伝統的な食物であるヤムイモとともにコメが祭りの主役として登場した、という話を聞いた。輸入の缶詰ではあり得ないこと。今、稲作は確かに彼らの文化に受け入れられ始めている。

PROJECT in Vanuatu(バヌアツ)
豊かな前浜を取り戻すために

古くから人々の暮らしを支えてきた沿岸水産資源がバヌアツの海から消え去ろうとしている。

増養殖と適切な管理方法で資源を回復させ、豊かな前浜を取り戻そうとするJICAの挑戦が現地で始まった。

貝は貴重なタンパク・現金収入源

【写真】トンガで種苗生産されるシャコガイ

トンガで種苗生産されるシャコガイ(撮影:今村健志朗)

【写真】ポートビラの市場では観光客向けに貝殻で作った装飾品が数多く並ぶ。

ポートビラの市場では観光客向けに貝殻で作った装飾品が数多く並ぶ。売り上げは、沿岸住民の貴重な収入源だ

コバルトブルーの海に一艘(そう)の手こぎカヌー。沿岸を回遊する魚や貝を漁師が銛(もり)による伝統的漁法で水揚げする光景はどこか懐かしい。

ここは南太平洋に浮かぶ、大小80以上の島々からなるバヌアツ。人口約21万人、首都ポートビラのあるエファテ島をはじめ、美しい海に囲まれた島には豊かな自然が広がる。経済は観光業や水産業に支えられ、1人当たりGNI(国民総所得)は1180ドル(2003年)。途上国では比較的高いほうだが、都市部と地方部の所得格差は大きく、国民の8割が居住する沿岸部や離島の人々の約半数は、1日1ドル以下という厳しい生活を強いられている。

特に、こうした貧しい人々にとって健康面でも生活面でも重要な役割を持つのが、沿岸水産資源だ。農業を中心とした自給自足の暮らしを営む住民は、基本的にタロイモやキャッサバなどイモ類を主食に、タンパク源として魚介類や甲殻類などを食べる。また、貝殻で作ったネックレスなどの装飾品は人々の貴重な現金収入源だ。ところが近年、この貝類をはじめとする沿岸水産資源の枯渇問題が深刻化している。

激減する沿岸水産資源

【写真】プロジェクトの事前調査で、情報収集のためにウリ島の首長と話し合う菊谷さんら調査団

プロジェクトの事前調査で、情報収集のためにウリ島の首長(左)と話し合う菊谷さん(右手前から2人目)ら調査団

バヌアツ水産局の統計資料によると、過去10年余りの主な輸出水産物は、ヤコウガイ、タカセガイ、ナマコ、シャコガイと沿岸水産資源が大半を占める。しかし、1980年代後半から90年代初頭にかけて、国際価格が急騰したために乱獲が進み、資源は激減。97年に3.9トンだったヤコウガイの輸出量も、04年には227キロにまで落ち込んだ。さらに、現地で食べる習慣はないが中華料理の重要食材でもあるナマコが、中国の経済発展に伴い需要が急増。バヌアツの沿岸にあったナマコはすべて採り尽くされてしまった。

「魚類と違って貝類やナマコは移動性が低いため漁獲がたやすい。次世代を生み出す親の貝類まで残らず採られてしまうと資源回復は難しい」とJICA専門家の菊谷(きくたに)賢一さんは顔をしかめる。最近は、少ない現金収入をタンパク源の代替となる魚・肉の缶詰やインスタント食品など加工食品に当てる人も増えており、人々の生活はますます厳しくなるばかりか、食生活にまで影響を及ぼしている。

そこで今年3月から始まったのが、JICAの「豊かな前浜プロジェクト」だ。沿岸水産資源の増養殖技術を現地に移転し、適切な資源管理の手法を指導するとともに、資源の回復と住民参加型の沿岸資源管理体制を確立するというもの。それにより、都市と地方の格差是正のほか、住民本来の食生活を取り戻し、人々の現金収入の確保も目指す。

現在、増養殖技術の普及が専門の菊谷さんとともに、沿岸資源管理の専門家である川田晃弘さんが現地へ派遣されている。

トンガでの経験を生かして

水産局の敷地内に並ぶいけすのようなコンクリート製のタンク。中にはさまざまな形の貝が入っている。「ここで貝の種苗(しゅびょう)生産をするんです」と菊谷さんが教えてくれた。

種苗生産とは、貝や魚の精子と卵子を人工的に受精させ、稚貝・稚魚を海へ放流できるサイズになるまで別の場所で育てること。今回は、食用としてだけでなく観賞用や装飾品にもなる、より付加価値の高いヤコウガイ、タカセガイ、シャコガイの貝類3種とナマコが選ばれた。

その背景には、菊谷さんの確かな自信があった。今から14年前の1992年、現在のバヌアツと同様の問題を抱えていたトンガに対し、JICAは沿岸資源の増養殖技術を向上するための支援を実施した。そして幾多の困難を乗り越えながら、プロジェクト終了までに、貝類3種の大量種苗生産・放流に成功。トンガの海に天然の貝類が育ち始めた。

当時、プロジェクトのチーフアドバイザーだった菊谷さんは、「その際、放流に適正なサイズと環境、放流後の成長率などが明らかになりました。この成果は、生活環境や地形が似ているバヌアツで大いに参考になるでしょう」。また、種苗生産・増養殖手法、放流技術、成熟度解析などの知識を有する人材がトンガで育っており、「彼らにバヌアツに来てもらったり、逆にトンガの貝類種苗生産センターで研修を行うことも視野に入れています。それに、青年海外協力隊が水産資源保全の活動を行っている地域では、資源管理のモニタリングや技術指導を通して住民をバックアップする体制をつくっていきたいですね」。

※ 1992〜96年に実施した技術協力プロジェクト「トンガ水産増養殖研修開発計画」。その後98年までフォローアップとして研究開発協力を行った。

限りある海の資源

【写真】エファテ島マンガリリウ村の前浜。

エファテ島マンガリリウ村の前浜。2002年に水産局がタカセガイの種苗約500個を放流したが、一度にほとんどを採ってしまったため、タカセガイは激減した

より効果的な活動を目指す菊谷さんと川田さんのアイデアは尽きないが、プロジェクトはまだ始まったばかり。2人がまず取り組むのは、水産局にあるふ化場の改修作業だ。「規模が小さく老朽化がかなり進んだ現状のふ化場では、対象種すべてを生産するのは困難です。ヤコウガイとタカセガイの種苗生産シーズンの12月までには、確実に完成させたい」と菊谷さん。

一方、沿岸資源管理については、これまでの調査で選定されたモデルサイトとなる沿岸集落で、活動に関する住民との話し合いが徐々に始まっている。バヌアツの沿岸集落では、伝統的な沿岸資源管理制度として「タブーエリア」が設定されており、各エリアでは禁漁区や禁漁期を設けるなどして、首長を中心に集落独自で資源を管理している。しかし、それが必ずしも適当な方法でなかったり、解禁時には「つい採りすぎてしまった」こともあった。「今後はそうならないように、首長をはじめ住民とのコミュニケーションを図りつつ、稚貝の保護や外敵の駆除など、集落の前浜で彼ら自身が実施可能な資源の管理手法を一緒に考えていきたい」と川田さんは話す。

海に囲まれ、古くからその恵みを享受してきたといっても、資源は無尽蔵ではない。人口が年率2.5%で増加する現実の中で、バヌアツは豊かな前浜を取り戻せるのか−海の恵みに頼る、ほかの大洋州諸国が寄せる期待も大きい。