monthly Jica 2006年8月号

特集 中東地域 平和と安定への道のり(2/3ページ)

PROGRAM in Palestine (パレスチナ)
パレスチナの明日を切り開くジェリコ地域開発

イスラエルとの対立で政情が不安定なパレスチナは、経済基盤が脆弱な上、移動の自由や経済活動の制約から貧困が深刻化している。人々の生活向上とともに、逼迫(ひっぱく)した経済を立て直すため、牽引(けんいん)役として期待されるジェリコの地域開発にJICAが協力している。

本格化するパレスチナ支援

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ジェリコに隣接するアクバット・ジャバール難民キャンプの子どもたち。ここで約5,000人のパレスチナ難民が暮らしている

メディアがパレスチナの話題を取り上げない日はないと言っていい。自爆テロに分離壁の建設…。日本に届くのは悪い知らせばかりだ。

パレスチナ問題―エルサレムを中心とした地域をめぐるパレスチナとイスラエルの紛争は、半世紀以上にわたって多数の市民を巻き込み、悲惨な状況を生み出してきた。パレスチナは1994年に暫定自治政府が発足して以降、国際社会の支援のもとで国家独立に向けた歩みを進めてきたものの、2000年にインティファーダ※1が勃発。人・物資の移動が制約されると、イスラエルに大きく依存する経済は疲弊した。失業率は26.8%に達し、今でも約半数の人々が1日2ドル以下の貧困生活を余儀なくされている。

そんな逼迫したパレスチナ経済の牽引役として期待されるのがヨルダン川西岸地区のジェリコだ。“キリストゆかりの地”という異名を持つ世界最古の都市は、500以上の貴重な文化遺産に恵まれており、農業に適した温暖な気候と平坦な地形を有する。ヨルダンと隣接していることから人の交流や貿易の拠点として、将来のパレスチナ経済振興の要となり得る。

治安の問題からJICAは日本や第三国での研修を中心にパレスチナ支援を続けてきたが、05年、イスラエルのガザ撤退などで和平への期待が高まりつつある状況を受けて、ファスト・トラック制度※2を適用したジェリコ市とその周辺に広がるヨルダン渓谷への本格支援を決定。パレスチナの国づくりの基盤となる経済的自立と自治政府能力強化を実現するため、複数のプロジェクトを組み合わせた「ジェリコ地域開発プログラム」※3を立ち上げた。そして同年秋、ジェリコとラマッラにフィールドオフィスを開設するとともに、経済を支える農業と観光業に重点を置いた中長期的な開発計画を策定する開発調査「ジェリコ地域開発計画」と自治政府の能力強化を図る技術協力プロジェクト「母子保健に焦点を当てたリプロダクティブヘルス向上」「地方行政制度改善」「ジェリコ及びヨルダン渓谷における廃棄物管理能力向上」を開始した。

※1 2000年9月に発生したパレスチナの民衆蜂起。イスラム教の前の聖地とされるエルサレム旧市街地のハラム・アッシャリーフにイスラエルのシャロン前首相が入場したことがきっかけで勃発した。

※2 平和構築支援や大規模自然災害などに対する緊急性の高いJICA事業を、簡素化された手続きなどにより迅速な計画・実施を可能にする制度。

※3 「ジェリコ地域開発プログラム」は、1)行政能力・社会サービス強化、2)農業開発、農産加工・流通、3)観光開発、都市環境整備の3つのサブプログラムに分けられており、それぞれのサブプログラムの中に開発調査や技術協力プロジェクトといった具体的な支援策が盛り込まれている。3つの技術協力プロジェクトは1)に属し、開発調査による農業のマスタープランは2)に、観光は3)に含まれる。

農業と観光で経済活性化

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トマトを収穫し、出荷準備をする男性。農業はサービス業に次ぐ主要産業で、果物やオリーブ、野菜、ナツメヤシ、花などを栽培している

「ジェリコ地域開発計画」でまず調査団を悩ませたのが水の問題だ。水資源が豊富な地区はイスラエルの入植地となっている場合が多く、パレスチナ人が利用できるのは全体の2割程度にすぎない。少ない水資源をいかに活用して農業の生産性を向上させるか―調査団は水資源管理計画を策定するため、農業庁や水管理庁とともに「農業・水」のワーキンググループを作り、住民参加のもとで水不足の解消案を考えるワークショップを10回以上開催。井戸の修復や節水農業灌漑、汽水灌漑のパイロットプロジェクトも行った。

また、西岸地区は特産のオリーブを使ったオイルやせっけんなど加工品が多数出回る競争の激しい地域。「トゥバス(ヨルダン渓谷)産オリーブ製品の付加価値を高めるにはどんな独自策が必要なのか、農村女性たちと頭をひねる毎日です」と団員の出井(いでい)里佳さんは言う。

観光業もインティファーダで大打撃を受け、01年の観光客はわずか1200人。05年に10万人まで回復したが、99年の30万人には到底及ばない。そこで調査団は国際観光都市にふさわしいジェリコの都市計画づくりのために調査を開始。そして、案内版やレストラン、ホテルなど都市環境の整備に加え、特定のスポットに偏らないバランス良い情報発信や、不足がちな観光業の人材育成に関するマスタープランを作成した。

アラブ初の母子健康手帳

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試作品の母子健康手帳を手にするパレスチナの母親たち。ジェリコとラマッラでは7月から3,000冊の配布が始まった

政情があまりに不安定なだけに、ここでの活動の難しさは計り知れない。「まずは安全対策に最大限の注意と努力が必要」と出井さん。小さな事件でも数時間後には別の地域へ飛び火し、移動できなくなることがしばしばあるという。

「移動について言えば、地元の人はもっと大変な思いをしています」と付け加えるのは、母子保健プロジェクトのチーフアドバイザー、萩原明子専門家。ドナー関係者と違い、検問所を通過する際に身分証明書や所持品の入念な検査を受けなければならないパレスチナ人にとって、移動の苦労は並大抵ではない。身ごもった女性であればなおさらだ。「彼女たちが外に出るにはよほどの決心、覚悟みたいなものが要るんです。検問所では嫌がらせを受けることもあれば、時には検問に時間がかかりすぎて、病院へ向かう途中でお産が始まってしまうという緊急事態も発生しています。分離壁や入植地の建設で、近所の保健所が利用できなくなり、遠くの保健所まで出掛けなければならない女性も多いのです」。

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埼玉県戸田市立医療保健センターで小児検診の様子を視察した保健庁の行政官ら。パレスチナで母子健康手帳を作成・普及するため、今年2月に約2週間にわたり実施された研修のひとこま

そうした状況の中、母子保健行政やサービスの改善、啓発活動に取り組むプロジェクトが国連児童基金(UNICEF)と共同で作成したのが、日本生まれの母子健康手帳だ。「母子の健康状態を継続的に記録することは、健康管理に大変役立ちます。妊娠中にどんな症状があったか、過去の状態や処置の記録が一冊にまとまっていれば別の保健所でも対処しやすく、危険な出産を回避・軽減できます。家庭でできる健康管理や子育ての情報も、気軽に保健所に通えないお母さんたちには大切」と萩原さん。アラブ初の母子手帳は、これまで現地でカルテに使っていた妊産婦・乳幼児カードの内容を転載するなどして、現地の人たちがすぐに活用できるアラビア語のオリジナル品として完成した。5月末に試作分200冊が刷られ、ヘルスワーカーや母親たちの意見を参考に手直しした普及版3000冊の配布が7月にジェリコとラマッラで始まった。

しかし今、ハマス政権の発足などでパレスチナ情勢は悪化しつつある。治安の関係で東京での業務が多い萩原さんは、「政情が流動的なパレスチナへの支援には常に柔軟な計画の変更が求められるので、テレビ会議システムなどでテルアビブ、エルサレム、ラマッラ、ジェリコのスタッフと日々話し合いながら、できる支援を模索しなければなりません。公務員の給料が3カ月以上支払われず、病院の薬剤やガソリンも不足する中、それでも活動が継続できるのは保健庁やJICAの現地スタッフがとても熱心に動いてくれるから」と強調。それに続くように出井さんも「この機会を最大限に生かしてより多くの人と協働しようとするパレスチナ人の精神力・責任感の強さは本当にすごい」と感嘆する。

複雑で不安定な政情が活動を阻むことは否めない。だがパレスチナは、国際社会に多大な影響を及ぼす中東和平のカギを握る地域だ。だからこそ、そんな状況でも頑張るパレスチナ人に応えようと、JICAは“共生”という明るい未来を切り開くための取り組みを深化させている。