monthly Jica 2006年10月号

特集 理数科教育 教室から生まれる革新の力(1/3ページ)

読み書き計算など、生活に必要な知識を学ぶ基礎教育の普及と質の向上は、世界的な課題の一つだ。相互に作用しながら急速に変化するグローバル社会で生きていくために、教育の役割がますます重視されている。今年7月にロシアで開催された主要国首脳会議(G8サミット)では、「21世紀における革新(イノベーション)を生み出す社会のための教育」の推進が合意された。その具体的行動の一つに掲げられているのが、開発途上国における理数科教育の改善努力だ。

日本は、現代社会で生きていくためのさまざまな技術の基礎となる理数科教育が、創造的で豊かな人間性を培うだけでなく、グローバル経済の中で途上国が科学技術の進歩や社会経済の発展を遂げるために不可欠と考え、日本の経験を生かしつつ、“教室現場”に着目した理数科教育協力を展開してきた。その成果を伝えるとともに、日本が協力を行う意義と今後の協力のあり方を考える。

VOICES from Kenya & Uganda(ケニア&ウガンダ)
「今こそ変革への一歩を踏み出すとき」

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カプロング中等学校で行われた地方研修の様子(ケニア)。今年の研修テーマは第3段階の「授業実践」に当たり、昨年の研修テーマ第2段階「生徒による実験・演習活動」の手法を具体的に授業で実践・展開する方法を学ぶ

農業を中心とする第1次産業と国際援助に頼る経済構造から脱却し、2020年までに工業化することを国家目標に掲げるケニアは、そのための人材育成を支える理数科教育を重視してきた。しかし、中等理数科の学力低迷が問題視され、政府は1998年、現職教員研修を通して中等理数科教育の質を高め、生徒の理数科能力の向上を目指す「中等理数科教育強化計画(SMASSE)」※をJICAと共同で開始した。SMASSEが提唱する生徒の考える力を養う授業改善の試みは、周辺国からも注目され、今、アフリカ全土に広がりつつある。

1995年から調査を重ねたケニア政府とJICAは、中等理数科の学力低迷は、教員の態度や詰め込み式の授業方法、公式や法則の暗記に偏る授業内容、教員・生徒の理数科に対する苦手意識などが要因であることを踏まえてSMASSEを立ち上げた。フェーズ1(98〜2003年)では、15のパイロット・ディストリクトを対象に中央・地方研修システムが構築され、その成果をもとに、対象を全71ディストリクトに拡大したフェーズ2(03〜08年)が現在実施されている。
URL:http://www.jica.go.jp/project/kenya/5151110E1

理数科授業改善方法を学ぶ研修

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地方研修センターに選定されたテンゲチャ女子中等学校で、ブレティ・ディストリクトのDPCのメンバーや、DT、研修の評価で訪れたSMASSEのNTたち(ケニア)。ケニア人の間で“自分たちのSMASSE”という意識が芽生えている

首都ナイロビから西へ車で約4時間、緑鮮やかな茶畑の丘陵が広がるケリチョウ近郊にあるカプロング中等学校※1。夏期休暇を迎えた8月中旬、子どもたちに代わって教室では大人たちが実験器具を手に真剣な表情で作業している。毎年8月の2週間、ここは中等理数科現職教員の研修センターに変わる。今年はブレティ・ディストリクト※2の55校138人の理数科教員が寝食を共にしながら研修に参加していた。

「SMASSE(スマッセ)はまさに時宜にかなった試みよ。研修で学んだ新しい授業方法で、子どもたちの表情が変わったわ」と参加者のアン・コエチさん。ほかの参加者も「人気の低かった理数科目を選択する生徒が増えた」「生徒にさまざまな情報や材料を与えると、自ら考えようとする姿勢が見られる」と口々に話す。

SMASSEの研修は年に1回、学校が休みの4月にナイロビでナショナル・トレーナー(NT)がディストリクト・トレーナー(DT)※3に行う中央研修と、8月にDTが各ディストリクトで現職理数科教員に行う地方研修の2段階からなる。研修の目的は、SMASSEが考案した「ASEI(アセイ)授業/PDSIアプローチ」※4という理数科授業改善運動を全国の教室に普及し、教員が一方的に生徒に知識を詰め込む授業方法から、生徒が積極的に授業に参加し、科学的・論理的思考がはぐくまれる授業方法に変えていくこと。この授業改善方法を習得できるよう、研修は、(1)教員の態度変容、(2)生徒による実験・演習活動、(3)授業実践、(4)教室現場への波及の4段階に分かれ、教員は4年間継続して参加することが求められる。地方研修は、生徒の家庭から徴収する授業料の約1%を積み立てた「SMASSE基金」を財源に各ディストリクトで運営され※5、これがケニア人のオーナーシップを高め、研修を持続させるカギとなっている。

現在、全国約4000校、2万人の教員を対象に研修が行われており、授業改善の影響を受ける生徒数は100万人に上る。

※1 ケニアの教育制度は初等教育8年、中等教育4年、高等教育(大学)4年。中等教育修了時に行われる国家試験の成績が進学の可否を決定するが、その必修科目に数学と理科(物理、化学、生物から2科目選択)が含まれる。

※2 ディストリクトは州の下の行政区分。

※3 NTは大学卒業以上で教員経験が3年以上などの基準で公募し、プロジェクトが養成する。DTは各ディストリクトの現職理数科教員の中から指導的立場の教員が選ばれる。

※4 「ASEI」は「Activity=生徒の活動を重視する授業」「Student=教員ではなく生徒中心の授業」「Experiment=実験を豊富に取り入れた授業」「Improvisation=身近な素材を工夫して活用した授業」の頭文字。「PDSI」は「Plan(計画)」「Do(実施)」「See(評価)」「Improve(改善)」の頭文字で、授業改善のためのサイクル。

※5 地方研修は、ディストリクト教育事務所長、視学官、研修センターに選ばれた学校の校長、地方研修講師代表からなるディストリクト計画委員会(DPC)が運営する。中央研修経費は教育科学技術省が負担し、JICAは研修に必要な資機材を支援する。

ケニアから周辺国へ

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「参加者から研修がとても役に立ったという声が寄せられ、センターの教材や参考書の貸出件数も増えています」と岡本専門家に説明するブクルラ女子中等学校のナマジ校長(右)とオジャラさん。マサカ県の教員はJICAの支援でセンターに整備された教材や参考書を借りることができる

SMASSEの効果はケニア国内にとどまらない。ケニアと同様の問題を抱えるアフリカ諸国にも理数科授業改善運動が広がりつつある。02年に設立された域内連携ネットワーク「SMASSE—WECSA(ウェクサ)」※6の加盟国は32カ国に増え、定例会議や技術交換、広域研修などが行われている。

また、加盟国の中にはケニアとJICAの支援のもと、プロジェクトを立ち上げる国が続出している。その一つが、05年8月に「中等理数科強化プロジェクト(SESEMAT(セセマット))」を開始したウガンダだ。ケニアで研修を受けたNTが研修プログラムを構築し、マサカ県、トロロ県、ブタレジャ県のDTに中央研修を実施、DTが3県の現職教員600人を対象に地方研修を展開している。SESEMATを率いるジョン・アガバ中等教育局副局長は「私たちはSMASSEのように全国展開、制度化を目指しているが、方法は同じではない。ALEI(アレイ)/PIEI(パイアイ)※7というウガンダ版授業改善方法を考案し、研修も年1回ではなくフォローアップ研修も実施している」と特徴を説明する。

ビクトリア湖の西に位置するマサカ県のブクルラ女子中等学校※8。地方研修センターに指定された同校では、今年1月に初の地方研修が、5月にフォローアップ研修が行われた。

「研修では先生同士がより良い授業計画や生徒を引き付けるためのアイデアを出し合い、学び合おうとする意欲が感じられた。研修後、先生は学んだことを実践して授業に生徒を巻き込み、それまで理数科が苦手だった生徒たちがわれ先にと実験室に行くようになったほど。そんな姿を見て、先生がさらにやる気を高めている」

にこやかにそう話すのは同校のエリザベス・ナマジ校長だ。また、同校の生物・化学の教員で、DTのフレッド・オジャラさんも「SESEMATの授業改善方法は教員にポジティブな影響を与えている。意識を変えるのは容易ではないが、研修によって少しずつ変わっていくと信じている。なぜなら私自身がケニアの研修や中央研修に参加して変わったからだ」と力説する。

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グループ活動による実験を取り入れた授業実践例を学ぶ物理の教員たち(ケニア・カプロング中等学校)。ASEI/PDSIは有用で子どもの創造力をはぐくむと認める一方、「授業の準備に時間がかかるため、現在の幅広いカリキュラムでは取り入れることは難しい」と考える教員もいる

しかし、研修の実施には課題も多い。地方研修の経費は、生徒一人当たり年間3000シリング(約180円)を徴収し充てることになっているが、意識の低い学校では徴収できなかったり、研修センターまでの交通手段や交通費を確保できなかったり、研修期間中の日当を要求する教員も少なくない。「そんな教員にモチベーションを持たせ、また研修で変わり始めた意識を持続させるために、適切なサポートを与えることが私たちの役目。SESEMATの成功は私たちにかかっている」とNTのマリー・ンテテさんは話す。アガバさんは「モチベーションは内面からわき起こるものであり、お金などで引き出すものではない。プロフェッショナルな教員は教えることへの喜びと満足感から継続的にモチベーションを高め、自らの成長につなげていくものだ。われわれは10年後を見据え、忍耐を持って今を改革していかなければならない」と訴える。

プロジェクトを支えるJICA専門家の岡本剛さんは「ケニアにライバル意識を持つウガンダ政府がSMASSEに感化され、強い意欲とオーナーシップを発揮し、SESEMATを前進させている。またSMASSEの経験を参考にできることも大きい。研修の質やスタッフの意識はまだ十分とはいえないが、やる気のある優秀な人材が育ちつつある」とウガンダの成長を実感している。

「教育の質を向上させ、国の発展に貢献する人材を育てることは大変なチャレンジ。しかし何でも最初の一歩はチャレンジであり、今がその一歩を踏み出す時なのだ。新しい世代のために、われわれの世代が犠牲となって変革を起こす—そのことに私は満足している」とオジャラさんは穏やかな笑みを見せた。

※6 「SMASSE in Western, Eastern, Central and Southern Africa Association」の略。

※7 「Activity/Experiments」「Learner-centered」「Encouragement」「Improvisation」と「Planning」「Implementation」「Evaluation」「Improvement」の頭文字。

※8 ウガンダの教育制度は、初等教育7年、前期中等4年、後期中等2年、大学教育4年。政府は前期中等教育修了時に行われる国家試験で、英語・数学・物理・化学・生物を06年から必修化することを決定した。

世代を越えた変革のビジョンを

そんなウガンダの存在はケニアにも刺激を与えているようだ。SMASSEのNTの一人、マリー・シチャンギさんは「ウガンダはとても勢いがある。追い越されないように私たちも頑張らなければ」と意気込む。実際、ケニアでは新たなステージに進んでいる。中等教育の現職教員研修の全国展開に加えて、初等教員養成学校の理数科講師と職業訓練学校や技術工業学校などの理数科講師を対象とする研修も始まった。また、ケニアのNTやDTの育成には、JICAが理数科教育協力を行ったフィリピンやマレーシアの教員研修機関も活用されている。同時に、マラウイやナイジェリアにSMASSEから日本人やケニア人の専門家を派遣し、技術指導も行っている。ケニア政府はそうした南南協力を推進しつつ、国内では研修を制度化する方針を発表し、フェーズ2が終了する08年からはケニア人自身で継続していくことが期待されている。

「研修を持続させるカギは、ドナーに依存しないこと、そして研修の質を落とさないことだ。そのためには的確な評価が重要」と話すのはNTのパトリック・コゴラさんだ。教育評価の支援を担当する服部浩昌専門家も「研修が制度化されても、質が伴わなければうまくいかない」と指摘する。SMASSEでは中央・地方研修の評価と研修を受けた教員の授業の評価を行っているが、新たな課題に直面している。

「フェーズ1の対象ディストリクトではそれぞれが新たな研修サイクルを開始しているが、その評価を行ったところ、研修内容は決して満足できるものではなかった。それまでは中央で受けた研修をDTがそのまま地方で行うので、内容やプログラムを考える必要がなかった。しかし地方で自分たちで考えてやろうとすると、研修を開くことはできても、中身の質を保てない。この問題は、フェーズ2終了後に多くのディストリクトが直面すると予想され、中央での再研修や定期的なワークショップでサポートする必要があると考えている」(服部さん)

SMASSE開始から8年がたち、アフリカで主導的役割を担うケニアであっても、規模の拡大に伴い解決すべき課題は多く、研修が定着し、確実な理数科教育の質・学力の向上という成果を実感するまでにはまだまだ時間がかかるだろう。40年近くアフリカの教育協力に携わってきた、SMASSEチーフアドバイザーの杉山隆彦さんは、「アフリカの理数科教育改善運動はまだ始まったばかり。こうした運動を主流にし、人々の意識を変える努力を継続していくことが大事や。自分の目の黒いうちに見ることはかなわんけど、あきらめずに続けたら、何世代か後には必ず社会は変わっていると思う」と語る。

問題に気付き、考え、解決する力を子どもたちに養う理数科教育は、生活に必要な知識や技術を身に付けるのに役立つだけではなく、成長を阻む汚職や腐敗、富・資源の不公平な分配など社会の非合理的なシステムに異議を唱え、改革していく人材の育成にも貢献するはずだ。そして彼らがいつかアフリカの飛躍を導いてくれるに違いない—アフリカに静かに広がる理数科教育向上の運動から、そんなビジョンを思い描く人々が現れ始めている。