monthly Jica 2006年11月号

特報 パキスタン大地震から1年

Report from Pakistan(パキスタン)
命を守る医療施設の耐震化支援

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ムザファラバード県ランガプーラ村でJICAの支援により建設中のモデルBHU。耐震化・バリアフリー化をコンセプトに設計されている

2005年10月にパキスタン北部で発生したマグニチュード7.6の大地震は、住居だけでなく病院や学校など公共建築物の多くを破壊、多数の死者・負傷者を出した。JICAは発生直後から緊急援助を行うとともに、復旧・復興支援に円滑に移行し、復興計画の策定や学校など被災施設の復旧を支援してきた。その一つ、今年3月に開始した「基礎保健医療施設耐震建築指導プロジェクト」では、平常時はもちろん災害時にはさらに重要となる保健医療施設の耐震化を、今後パキスタン側の自助努力により進めていくため、耐震設計・施工管理の技術を指導している。1年後の被災地の様子と、モデルとなる保健医療施設の建築が進む現場を取材した。

残されたつめ跡

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山と川に囲まれたムザファラバード市。地震のつめ跡があちこちに残っている

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ランガプーラ村の仮設BHUで簡単な治療を受ける患者

「あのような大地震は生まれて初めてでした。とうとう『最期の審判』が来たかと思いました」

2005年10月8日、パキスタンを襲った大地震の被災者がよく口にする言葉だ。カシミール地方(AJK)と北西辺境州(NWFP)を中心とした各地で、7万人以上の命を奪った惨事から早くも1年が経過した。

7カ月ぶりにAJKの州都ムザファラバードを訪ねると、一見、崩壊した建物のがれきは取り除かれているが、注視すると更地や仮設テントがあり、ひび割れたビルの壁にセメントが上塗りしてあるなど、つめ跡は残されている。

避難民17万人が自宅に戻ったが、3万人はテント生活者だという。これらの人々が震災前に住んでいた家は、断層上にあり「レッドゾーン」の警告を受けている。家に戻る見込みは立っていない。ほとんどの公共施設は取りあえず機能しているものの、地震で崩壊した建物の多くは仮設のままだ。AJK保健局のムハマッド・クルバン局長は、テント内のオフィスでこう言った。「地震で13人の職員が犠牲となった。発生の2、3日後に業務を再開し、この1年間ずっと仮設施設で過ごしてきた。保健医療サービスを提供する保健局自体が適切な環境ではない」。

再建開始までの長い道のり

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ランガプーラ村でBHUの建設作業に携わる現場監督のザカウラさん(右)と小泉さん

今年9月、NWFPマンセラ県アタルシーシャ村で十数人の男たちがセメントを運んだり金づちをたたいたり、汗水流して働いていた。JICAによる震災復興支援として、基礎保健医療施設(Basic Health Unit;BHU)の耐震建築指導のためにモデル施設を造っているのだ。

震災後、耐震建築の重要性が認識され、日本が技術協力することになったが、図面や専門知識をただ与えるのではなく、現場でパキスタン人技術者らとともにモデルBHUを建設し、技術を移転したらどうかとのアイデアが生まれた。しかしながら、ここまでの道のりは長かった。

当初、パキスタン地震復興庁(ERRA)は耐震設計デザインをパキスタンの民間コンサルタント会社「NESPAK」(ネスパック)と、NWFPではペシャワール工科大学に指定していた。しかし「NESPAKやペシャワール工科大学の図面を一見して、『これは建たない』と思った。彼らの施設は、丘陵地帯や山の斜面の一角という土地柄に適さない極めて大きなものだった。人材確保やメンテナンスなどの経費もかさむ。とても現実的な計画とは言えなかった。そこでJICAが現地の実情により適した設計を提案したいとERRAに伝えました」とJICA事務所の稲葉光信さんは語る。

交渉を続けるうち、パキスタンの保健当局関係者はこんな要望をもらし始めた。「地震前は母子保健、結核、家族計画など、それぞれ別の施設を構えており、住民にとってアクセスが不便だった。再建を機にBHUの機能をまとめられないか」。

JICAは、それらの意見を取り入れた形で設計案を作り直し、12フィート四方のグリッド(格子)を基本に、複数自由形に組み合わせて、さまざまな土地に適応できるよう工夫した。BHUの設計デザインを担当したJICA地球環境部の今井弘さんによると「グリッド手法は、同じ部材を用いることで技術が単純化されて効率的であると同時に、部材を入手しやすいので経済的という複合的なメリットがある」。

ところが「ERRAの副長官から直々に14フィート四方にしてほしいと言われた。2フィートでも大きくすると、山間部への導入が困難になるし、支柱を太くする必要がありコスト高になる。耐震でかつ経済的な構造を維持するために、12フィート四方がベストだと説得しました」(稲葉さん)。

「より良いものを造ろう。大きい建物だけがより良いといえない」と説得を繰り返すJICAに5月、朗報が舞い込んだ。「JICAの案が経済的ならば、まずはそれでBHUのモデルを造ろう」。

モデルBHUのサイトは、AJKとNWFPの2カ所。アクセスしやすく、人目につきやすい場所を選んだ。AJKの建設現場ランガプーラでは、JICA専門家の古市(ふるいち)信義さんや小泉伸容(のぶやす)さんの支援のもと、建設会社に勤務するザカウラさん(30)が現場監督に当たっていた。

「この手法はパキスタンにないので、初めての経験。梁(はり)や鉄筋を張り巡らせてつなげるので、基礎の床から柱までのコネクションがいい。柱の鉄筋が密になったことで強度も高い。日本人の専門家は質問に分かりやすく答えてくれるし、私たちの言いたいことにも丁寧に耳を傾けてくれる」

傍らで土木作業員の作業を見ていると気が付く点は多い。例えば、鉄筋のジョイント部をつなぐ際、鉄筋を曲げる力が必要だが、作業員が楽をしようとそれをしていなかったようだ。鉄筋がつながっていなければ、強度が落ちるのは明らか。小泉さんらは内側に曲げるよう指導した。

「パキスタンには設計図がなく、簡易的な図面(フロアプラン)を使っている。20年前に作られた標準図面を焼き直す形で建物が作られ、また柱、梁の太さなど、建物ごとに変えないまま施工している。標準設計のデザインやそれに基づく施工管理の技術的トレーニングが必要だ」と小泉さんは指摘する。すでに小規模なワークショップを何度か開いて普及に努めているが、今後はERRAなどの政府関係者、民間企業、大学、ほかの国際機関やドナーなどを対象に、ムザファラバード、マンセラ、イスラマバードで大きなセミナーも開催する予定だ。

初めてバリアフリー化を導入

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マンセラ県アタルシーシャ村のBHUの近くにある、主に孤児や未亡人の避難民キャンプ。未亡人たちが安心して生活できるよう、内部が仕切られ、セキュリティーにも配慮されていた

モデルBHUの設計にはもう一つ重要な特徴がある。バリアフリー機能の導入だ。震災で一命を取り留めたものの障害を負った人々が多く、ニーズは高い。BHUまでの道路が整備されていなければ意味がないのでは、との意見もあったが、モデル設計はどんな場所でも活用できるよう、また将来的にBHUまでの道路が整備されることを見通して、あえて適用した。AJK公共事業局の技術者、ラジャ・サイードさん(29)もこう同調する。「AJKでバリアフリー化は初めてのこと。地震発生前までわれわれの頭にはなかったアイデアだ。コストはかかるが、保健医療施設や公共施設は本来そうあるべきだと思う」。

ERRAは建設コストの上昇を懸念しているが、NWFP公共事業局のフィダ・ムハマッドさんは、「JICAのデザインを応用してコスト削減したい。設計構造はそのままで、アルミニウム建材をスチールに替えるなどして節約できると思う」と意欲を見せる。

さらにモデルBHUの建築が進むにつれ、日本の技術力への信頼の声が各方面から寄せられている。

「この地域では日本が初めて建物を再建してくれている。われわれはもう何度も見に来ているが、建物の質が良く、頑強だと話し合っている。ほかのBHUでも、ぜひこのデザインを活用してもらいたい」

これはアタルシーシャ村の長老たちからの発言だ。

そして稲葉さんも手応えを感じている。「ここまでやってくれるのは日本だけと言われるようになりました。被災者から喜びの声を聞けることが何よりもうれしい」。

11月、モデルBHUが完成する。いつまた起こるとも知れない地震から人々の命を守るために、このモデルBHUが全地域で導入されるとともに、これをきっかけに適切な耐震建築技術が広まっていくことを期待したい。