monthly Jica 2007年1月号

特集 インド アジアの新時代を築くパートナー(3/3ページ)

PROJECT in North India(インド)
“生命(いのち)の水”を守るために

【写真】

バラナシ市のガートで朝の沐浴をする人々。歯を磨き、身を清め、祈る。川の水質を気にする様子はない

インドの聖河ガンジスは、人々の生活に欠かせない“生命(いのち)の水”。しかし、人口増加や都市化・工業化、下水処理施設の未整備・老朽化などにより水質が悪化し、流域住民の健康や居住環境を脅かしている。河川の浄化と流域環境の改善を目指すインド政府を支援するため、JICAと国際協力銀行(JBIC)が連携し、人材育成や施設の整備に貢献している。日本の協力のもと、水質浄化に取り組むインド人たちの活動を追った。

文・写真=青木 公(ジャーナリスト)
text and photos by Aoki Hiroshi

「聖なるガンガを救え」

JICA東京国際センター(東京都渋谷区)へ2006年夏、インド環境森林省や州、自治体の下水道事業関係者2グループ17人がやって来た。JICAの「河川水質浄化対策」プロジェクトのカウンターパートたちで、約1カ月間、北は北海道富良野市から南は福岡県北九州市まで、日本の下水道事業の運営と施設の維持管理のノウハウを学んだ。彼らの目標は明快だった。「聖なるガンガを救え」。

「ガンガ」とはガンジス川のこと。ヒマラヤ山脈から流れ出て、ベンガル湾まで2500キロの大河だ。インド政府は、ガンジス川流域の水質保全計画「ガンガ・アクション・プラン」を1985年に開始し、95年からは国家河川保全計画を策定してインド亜大陸の生命の水の汚染を食い止めようと取り組んでいる。

日本もこの計画を支援するため、まずJICAが流域の汚染状況を調査し対策や管理計画を提案する開発調査「ガンジス河汚染対策流域管理計画調査」を03〜05年に実施。また、04〜06年に「河川水質浄化対策」プロジェクトを行い、下水道施設の維持管理体制や人材の能力向上を支援してきた。さらに、開発調査で策定された計画に基づいて、JBICの円借款「ガンジス川流域都市衛生環境改善計画」が05年に承認。ヒンドゥー教最大の聖地バラナシ市(人口約130万人)を中心に、下水処理施設の建設・改修や公衆トイレの設置、公衆衛生に対する住民の意識向上のための啓発活動などが進められている。

日本で学んだ知見を生かして

【写真】

デリーのヤムナ河畔で。車でごみを持ち込んだ男たちは、廃棄物に火を付けて立ち去った。カメラを向けても恥じるふうではなかった

【写真】

下水処理場のシン場長は、処理前(右)と処理後(左)の下水を比べて見せてくれた。処理前はBOD300以上で、環境基準の10倍汚れている

バラナシ市はガンジス川とヤムナ川の合流点から130キロほど東にある。06年11月末、バラナシの日の出は5時半過ぎ。ガンガの川岸でウッタルプラデシュ州水公社バラナシ地区マネージャー、ジェンさんが待っていた。JICA研修員の一人で、10人ほどの幹部と小舟に乗り込んだ。

「市南部のこの水路は、残念ながら未処理のままガンガに放流されています。BOD(生物化学的酸素要求量)※300以上でしょう」

河岸段丘の岸辺では、沐浴(もくよく)と祈り、歯磨き、洗濯、排せつをする庶民の姿。ガンガの流れに面して上水道の取水塔が次々に現れる。市の中心にある黄金寺周辺はガートと呼ばれる沐浴場と葬祭場が、7キロほどガンガに面して連なる。

「1917年に英国人技師が造ったレンガ造りの下水路は健在です。80年代に整備された下水処理場、揚水場は、ご覧いただいたようにフル稼働しています。しかし、人口増に加え、予算不足で施設拡張ができない。増える一方の下水総量の3分の2は未処理のままガンガに放流せざるを得ないのです」

下水道技師歴36年のジェンさんは淡々と説明してくれた。市内で見聞した下水処理場は、精巧な機械装置のような日本の処理場と違って、欧州技術を導入した骨太なインド風で、たくましく汚水と格闘していた。インドでは汚染源の80%は生活排水、20%が工場排水だ。

「飲んじゃいけませんよ。透き通ったのはBOD20〜25で、濁ったのが処理前のBOD300です」

下水処理場のシン場長は2つのカップを示して説明した。日本の場合、処理後の値は1〜2だ。

小舟を降り、英国流のモーニングティーを飲みながら、ジェンさんは言った。

「JBICの融資(約111億円)による新下水処理場建設に向けて、市内で2カ所の用地に目星をつけています。JICAの岩崎旬専門家(日本下水道事業団職員、06年10月に帰国)は各地の処理場を訪れ、維持管理の現場担当者を指導するセミナーを開いてくれ、有益でした」

日本での研修に参加した一人は、「日本で、日本人の勤勉さ、仕事への執着、規律と正確さが分かった。富良野ではごみ分別収集への住民の公共心。新潟・長岡科学技術大学の原田秀樹教授(当時、現東北大学教授)による下水処理技術(アグラ市で試験を実施)は特に印象に残っています」と話した。

IT大国で、1億人の英語人口、3億人の中間所得層、核兵器保有というインドは、しかしバラナシのように宗教と農村の伝統社会の民衆が大勢を占める。動物と人間が共存し、ガンガの水の恵みが暮らしを支える。

「宗教、伝統的なライフスタイルと、環境保全の相克関係は、時間を要する課題だ。2030年目指してガンガ、ヤムナなどの流域管理を実現したい。バラナシへのJICA・JBIC協力は、その第一歩」

JICAの研修に参加したシッカ環境森林省国家河川保全局長は、デリーで日本への期待を語った。

「Biochemical Oxygen Demand」。水中の有機物が微生物の働きによって分解されるのに要する酸素の量。水質が悪いほど数値が高い。単位はmg/L。

Expert's View 専門家に聞く インドの課題と国際協力

ブラジル、ロシア、中国とともに「BRICs」の一角を占め、いずれ日本よりも大きな経済大国になるだろうと予想されるインド。勢い付くこの国の、世界における経済的・政治的位置付けはどうなのか。成長を続けるために必要なこと、求められることは何なのか。インドへの留学経験を持ち、長くこの国を見つめてきた絵所秀紀・法政大学経済学部教授に聞く。

1 世界におけるインドの位置付けは?

【写真】

絵所秀紀(えしょ・ひでき)
法政大学経済学部教授。1947年東京都出身。外務省対インド国別援助計画主査、元JICA貧困削減支援委員会委員長、前国際開発学会会長。著書は「現代インド経済研究」(法政大学出版局)、「立ち上がるインド経済—新たな経済パワーの台頭」(共著、日本経済新聞社)、「開発の政治経済学」(日本評論社)、「開発経済学とインド—独立後インドの経済思想」(日本評論社)など多数。

2003年にアメリカの投資会社ゴールドマン・サックスが出したレポート※1が一つのきっかけとなり、今、インドは国際社会から大きな注目を浴びています。このレポートでは、BRICsが2050年までに世界の経済を大きくリードし、インドはいずれ中国、アメリカに次ぐ世界第3位の経済大国になるだろうと予測しています。

インドは経済危機に陥った1991年に、規制緩和をはじめとする経済改革を実施して以降、年平均6%を超えるGDP(国内総生産)成長率を記録してきました。実はこの流れは80年くらいから続いており、25年間もこれだけの成長を維持していることは、注目に値するといえるでしょう。

ところが、世界におけるインド経済は、ソフトウェア産業を除けば微々たる存在です。輸出入は伸びてはいますが、ほかのアジア諸国と比べるとまだまだ閉鎖的です。一方、国際政治の世界では、経済に比べればずっと大きな力を持っています。インドは独立直後の貧しい時代ですら第三世界の盟主という自負があり、世界貿易機関(WTO)の交渉でも途上国の声をまとめていますし、非同盟諸国会議でもリーダーシップをとってきました。実際、インドは近隣諸国やアフリカ、東欧に対して、額は小さいですが技術協力を行っています。

インドのGDPは一人当たりでは500ドルくらいですが、全体ではアメリカ、中国、日本に次ぐ4位※2と、相当大きな国。だから期待も高まるのではないでしょうか。

※1 「Dreaming with BRICs:The Path to 2050」。このレポートで初めてブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国をBRICsと呼び、今後50年の成長を予測した。

※2 2004年。物価水準を考慮した購買力平価(PPP)ベースのGDP。

2 インドが成長を維持するために必要なことは?

まずはインフラの整備でしょう。道路、空港、港湾、いずれも不足しています。通信はずいぶん良くなりましたがまだまだですね。

それから教育。入学はするのですが、貧しさのため途中でやめざるを得ない子どもが多く、2000年時点で小学校を卒業した人は全体の49%、中卒はたったの25%しかいません。今後の成長を考えると、きちんと教育を受けた労働力が必要です。また、インドは学歴社会ですから、大卒や高卒でないとそれなりの仕事に就くのが難しい。今、GDPの55%ぐらいをITや金融などのサービス産業が占めていますが、このような仕事は高学歴の人でなければできませんから、経済が好調でも雇用はあまり増えていないのです。

ほかに、国民の7割が住む農村の貧困削減や、赤字を抱えた公企業の改革も必要でしょう。

インド政府が定義する貧困層の人口比率は、1973年度の54.9%から99年には26.1%に下がり、経済成長が全体を底上げしているのは確かです。しかし、貧富の格差や地域間格差が大きくなっている。貧困とカーストはかなり強い正の相関があります。指定カースト・指定部族※3と呼ばれる人たちは人口の25%程度を占めていますが、この数字は貧困層の割合をかなりの程度反映したものだと思います。最近は下層カーストに生まれても、教育さえあればいい暮らしができるようになってきたので、人々はなけなしのお金をはたいて子どもに教育を受けさせようと努力しています。

※3 憲法に基づき大統領令によって州もしくはその一部ごとに指定された諸カーストおよび部族の総称。教育、雇用、議席の留保などを含む優遇措置が講じられている。

3 インドに対するODAのあり方、JICAに求められることは?

インドは66年に外貨危機に陥ったとき、アメリカの反対で世界銀行から支援を得られなかったという経験があり、それ以来国際通貨基金(IMF)、世界銀行といった国際金融機関や先進国からの援助に対して警戒心を持っています。また、独立期にガンジーによって行われたスワデシ(国産品愛用運動)が広い意味で残っていて、自国でできることは援助に頼らないという姿勢を堅持しています。それは口先だけではなく、実際に自分たちで対処する能力がある。もしも私たちがインドの貧しい面だけを見て接すると、反発を受けるだけでしょう。インドは自立心が高く、貧困などの国内問題に介入されることを好まないからです。

円借款をはじめとした日本の援助は、インドの発展に大いに寄与してきました。インドが今望んでいるのは、実はODAよりも民間の投資なんです。ところが不幸なことに、今の日印関係はODAが中心で、民間の経済交流はあまり活発ではありません。ですから、青年海外協力隊の派遣や青年招へい事業など、JICAのスキームを使って多様な分野での人材の交流をもっと深める必要があると思いますね。また、環境や観光、保健医療などの分野でも協力できるでしょう。

東アジアや東南アジアでは、インフラ整備をはじめとした日本のODAが、民間投資の呼び水となりました。インドでもこのように、ODAが民間の経済関係を促進する流れをつくり出すことが求められているのです。