monthly Jica 2007年5月号

特集 シニア海外ボランティア シニア世代が築くボランティア社会(2/4ページ)

SENIOR VOLUNTEER in Bhutan(ブータン)
輪が広がる、絆(きずな)が深まるボランティア

人形制作をブータンの伝統工芸として根付かせようと奮闘したシニア海外ボランティアの上野陽子さん。息子から継いだそのボランティア魂は、後に夫の征夫さんにも受け継がれ、夫婦は今、それぞれの新天地でボランティア活動に励んでいる。

息子に触発されて

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国立博物館で紙人形を設営する生徒たち。もともと展示されていた、がけにそびえるタクサン僧院の模型に、僧や訪れる人々の人形を付け加えたことで、臨場感が生まれた

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産業振興を推進するジグメ・シンゲ・ワンチュク皇太子(現国王)の依頼で陽子さんが作った人形。完成品の出来栄えが評価され、皇太子に謁見できた

「とにかくブータンの人が優しい。息子がいろんなことを吸収していく様子がよく分かった。だから私も一歩踏み出してみようかなと…」

人形作家の上野陽子さん(56)がシニア海外ボランティア(SV)の道を選んだのには、彼女の息子(30)の影響が大きい。息子は、大学卒業後に3年間勤めた会社を突然辞め、コンピューター技術を指導する青年海外協力隊員としてブータンへ渡った。「何か物足りない思い。ほかにやるべきことがあるんじゃないか」と人生を模索していた息子の決心に、「それも一つの生き方だ」と夫の征夫さん(62)とともに背中を押したのは2001年のことだった。

メールのやりとりから、ブータンの人々の温かさに触れ、頑張る息子の姿を知った陽子さん。人の役に立つ人間になってくれたと成長ぶりを喜ぶ一方で、この年に起こった9・11という衝撃的な出来事に、ボランティアの意味を考えさせられていた。

そんなとき、息子から「ブータンで人形制作のSVを募集している」という知らせが届く。陽子さんのボランティア魂が呼び覚まされ、思い切って応募したところ、見事合格。息子と入れ替わる形で、03年11月にブータンに派遣された。

陽子さんが配属された国立伝統工芸学院は、伝統工芸の保存と普及という政策の下、1971年に首都ティンプーに設立された、生徒数200人ほどの職業訓練校。彫刻や仏画、織物、刺しゅうといったブータンの伝統技術を継承する人材を育てるほか、都市部で深刻な失業対策の一環として若年層の技能訓練に力を注ぐ学校だ。04年には9番目の学科として人形制作学科を新設。教育内容の充実・改善のためと、臨場感のある人形を、ブータン民族を世界に伝える新たな工芸として根付かせたいという政府の意図からだが、人形制作の熟練工はもとより、経験者さえいない状況だった。そこでブータン政府の要請に基づき、人材育成・雇用促進を重点的に支援するJICAがSVを募集し、陽子さんが派遣されることになった。

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学生を指導する陽子さん。学校教育で美術や家庭科の授業がないため、裁縫の経験者は皆無に等しく、人形制作以前に、はさみやものさしの使い方から教えなければならなかったが、2年間の過程を修了した1期生8人は、現在インストラクターとして活動中。「短期間でここまでできたのは、当初から『自分の頭で考えて作ろう』と言い続けてきたからかもしれません」

しかし、新たな工芸をつくり上げるという壮大な計画は、20年間人形を制作してきた陽子さんの頭も悩ませた。唯一、土産物屋で売られる人形も大半がネパールやインド製で、民族衣装の着付け方が間違っている上、それすら店の奥でほこりをかぶっている。ブータンで手に入る材料をいかに使って作るか、国内でそろう素材が少ない中で陽子さんが一から考えなければならず、用いたことのない技法も、日本から本を取り寄せて勉強しながらサンプルを仕上げた。

そして、初級編として考え出したのが紙人形だ。経験はほとんどなかったが、そこはプロの腕の見せ所。得意な粘土の技法とミックスさせた作りにし、生徒たちと200体作って国立博物館に寄贈した。その後、ブータンの祭りを表現した人形も同様に制作し、05年の「愛・地球博」のブータン館に出展。また、人形制作以外にも、裁縫、手工芸、彫刻などの技術を持つ陽子さんは、既存の伝統工芸のレベルアップを図るため、ほかの学科への協力も惜しまなかった。

まだまだゆっくりする年じゃない

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展示室のオープニングセレモニーの様子。この感動をもう一度味わいたくて、タイ行きを決めた陽子さん。「物質的に貧しい人もそうですが、生まれながらにしてハンディを背負った子たちに、ものを作る楽しさとか素晴らしさを感じてもらい、彼らの能力を伸ばせていけたらと思っています」

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任期が終了した1年後、協力隊シニア隊員として再びブータンに派遣され、憲法草案の表紙デザインやブータン王国憲法のホームページ作成などを行った息子さん(左から2人目)と、79歳になる母親の照代さん(右)とともに。照代さんはブータンにも一度訪れていて、「次はタイにも」と英語を勉強している。また、本を送るなど日本から陽子さんらを援護していた娘の真巳さんは「いつか私もボランティアで海外に」と話しているそうだ

多忙を極める陽子さんを支えたのは、夫の征夫さんだ。定年退職後はのんびり過ごすつもりで最初は一人日本に残ろうと思ったが、「息子の話から、昔の日本の田舎の素朴さを感じさせるようなところがあって、一度はブータンを見てみたいと思っていました。2年間なら、せっかくの機会だし行こうかなと。田舎育ちですし…」と同伴を決めた。

ブータンでは、それまで陽子さんに任せきりだった料理や掃除、洗濯といった家事にもチャレンジし、妻をサポート。「最初は『味が薄い』とか私が言ったりしたので、きっと大変な思いもしたでしょうが、あまりに慌ただしくしていた私を見ていられなかったんでしょうね(笑)」(陽子さん)。

さらに征夫さんのサポートは、ブータンで働くほかの日本人にまで及んだ。現役のころ、征夫さんがインテリアデザインの仕事をしていたことを知ったあるJICA専門家に、テレビ局のスタジオデザインを依頼されたことがきっかけだった。「内装をデザインするという感覚がブータンの人たちにはなくて。外観は伝統様式で統一されているのに、室内はばらばらなんです」。スタジオ5カ所のほか、以前に息子がお世話になったという食堂も手掛けた。

最も苦労したのは、陽子さんからの提案で協働してつくることになった国立伝統工芸学院の展示室だ。学院は、ブータンの伝統工芸を見に、観光客が毎日のように訪れる場所。にもかかわらず、完成品を展示するスペースがなかった。

陽子さんのアドバイスを取り入れながら、プランニングから発注・施行管理に至るまでを一手に引き受けた征夫さん。ペイントなど簡単な作業は学院の学生に手伝ってもらい、実際の工事は建設訓練センターの学生にお願いした。

「構想を練ってから完成まで1年半もかかって大変でしたが、オープニングセレモニーのとき、あんなに喜んでくれるたくさんの人を見たら、苦労なんて吹っ飛んじゃいました」(陽子さん)。「まさにボランティアのボランティアです(笑)。頑張った甲斐がありましたね」(征夫さん)。展示室が完成したのは、帰国直前のことだった。

その感動は、再び陽子さんを、そして征夫さんをもSVの道へいざなった。現在、陽子さんはタイに舞台を移してろう学校の生徒への手工芸・美術指導に、征夫さんはブータンで本格的な内装デザインの技術指導に取り組み始めている。

「ちょっと前までは南の島とかでゆっくりしたいと思っていたんですがね。ブータンに行って、自分と同じ世代の人たちが頑張っている姿を見たら、まだまだゆっくりする年じゃないなと。ホテルでも店舗でも、どんな場所にも対応できる自信がある」と征夫さん。

陽子さんは、「ブータンでは何もかもが初めて尽くしでしたが、次はその経験も生かせるのでもっとできることがあると思うんです。頑張って生きてきて蓄積されたものがあるのに、それを自分の中にとどめておくなんてもったいない。これまで自分の作品にずっと向けてきたエネルギーを、今度は恵まれない人たちに向けて、そこから何かを得てもらえればうれしい。息子たちが巣立った今は、夫婦が互いに好きなことができる状況ですし、ありがたいことに、ブータンで主人が家事を覚えてくれたので生活面も心配ないですしね」とほほ笑む。

息子の決断が陽子さんへ、陽子さんの奮闘ぶりが夫の征夫さんへ—こうして広がるボランティア魂の輪は、同時に家族の絆(きずな)を深めている。