monthly Jica 2007年5月号

特集 シニア海外ボランティア シニア世代が築くボランティア社会(3/4ページ)

SENIOR VOLUNTEER in Tunisia & Kenya(チュニジア&ケニア)
離れていても支え合う夫婦のボランティア活動

「海外ボランティアは楽しい!」。初めて参加したシニア海外ボランティア(SV)で、ウズベキスタンとキルギスに派遣され、SV活動のやりがいを実感した田村和悟・一枝夫妻。それぞれの技術と経験を生かせる場所を求めて、再び海外へ飛び立ち、現在、チュニジアとケニアで奮闘中だ。

「定年後は互いの好きなことを」

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2006年12月、休暇でチュニジアを訪れた一枝さんは、「第7回チュニジア日本文化科学技術シンポジウム」の日本文化紹介コーナーでお茶会を行う和悟さん(左)を手伝った

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シンポジウムには、チュニジアの教育大臣らも出席し、一枝さん(右)は着物を着て、来賓に花束を贈呈する役目を務めた

「結婚して以来、こんなに長い時間、夫婦で一緒に過ごすのは初めて」

2003年、田村和悟(かずのり)さん(65)と妻・一枝さん(62)は、中央アジアのウズベキスタンにいた。

2人が結婚したのは1970年。和悟さんは日本の企業で塗料や化粧品などの原料となる無機顔料の製造や環境に負荷をかけない生産活動に関する研究を続け、一枝さんは、 二男一女の育児や家事、実家の衣料百貨店経営に精を出し、2人は忙しくて行動を共にする機会が少なかった。和悟さんの定年が近づき、「仕事を辞めたら、お互い好きなことをしよう」と冗談交じりに話していたころ、偶然、和悟さんがシニア海外ボランティア(SV)募集のポスターを目にした。「若い時から青年海外協力隊にあこがれていたものの、仕事を辞めてまで海外に行く余裕はなかった」と、それまで心の奥にしまっていた思いを奮起。「日本では高齢者の就職先は少ないが、途上国に自分を必要とする場があるなら」と自身の経験を生かせる環境分野の職種で応募し、見事合格した。そして、02年2月、38年間勤めた会社を定年退職し、翌月にウズベキスタンへ。

一方、一枝さんは、「店を閉じるわけにはいかない」と一緒に行くことをためらっていたが、約1年後、和悟さんの希望に応じて現地へ赴き、2人の生活が始まった。

91年に独立して以来、急速に都市化する同国では、環境に配慮した産業廃棄物処理に関する技術者の育成が急務となっている。日本の企業で廃液処理も担当していた和悟さんは、同国自然環境委員会の調査科学研究所に派遣され、廃棄物処理の技術指導に当たった。「分類や再利用がなされない、ずさんな廃棄物処理の状況を何とかしなければ、周辺住民の健康被害につながってしまう」と危惧し、法の制定と処分場建設を急ぐよう提言した。だが、技術者や経営者の意識が予想以上に低く、憤りを感じることもあったそうだ。

そうしたストレスを抱えていたころ、和悟さんは一枝さんを迎え、「その日あったことを聞いてくれる相手がいるだけで、気分が落ち着き、再びやる気を取り戻すことができた」と言う。また、書道や茶道をたしなむ和悟さんは、「2人になってから文化面での活動の幅が広がった」。日本センター※1などから依頼を受け、日本文化に関心のある学生らに向けて、お茶会や書道教室を開いていたが、一枝さんが手伝ってくれたり、女性に着物を着せてあげたりすることで、会がさらに盛り上がるようになった。また、一枝さん自身もお手玉教室を開くなど、日本文化を広く紹介する活動を行い、隣国カザフスタンの日本センターから招待され、夫婦でお茶会を開催したこともある。その様子は、現地の新聞にも取り上げられ、高い評価を得た。

さらに和悟さんは、04年4月から1年間、以前勤めていた企業からの要請を受け、顧問として中国に派遣され、プラント設計などの技術指導を行った。

そんな和悟さんの生き生きとした姿を見て、「自分もボランティアをしたい」との思いを募らせていた一枝さんは、帰国後、SVに応募。04年11月から、服飾デザインの職種でキルギスに派遣された。首都ビシケクの繊維産業組合に配属し、若きデザイナーたちに、世界の最新ファッションを教えるとともに、ロシアやカザフスタンをターゲットにした輸出用婦人服デザイン開発のアイデアを与えた。また、同国でも積極的に文化活動を行い、明るい人柄で人間関係を広げた。

初めてのSV経験を経て、「海外ボランティアは楽しいことを実感した」と口をそろえる2人。日本とは異なる文化や習慣を持つ人々と触れ合う毎日は、驚きと発見の連続だった。一方、異国での生活に慣れるのに精いっぱいで、ボランティア活動は「不完全燃焼だった」 と振り返る。それだけに、SVへの思いは冷めやらず、それぞれの技術を生かして活躍できる場を求めて、2人は再びSVに挑戦し、現在、アフリカで活動中だ。

※1 日本人材開発センター。「日本の顔」の見える援助、日本との人脈形成の拠点として1998年にODA事業の一環で構想された。アジア地域の市場経済へ移行する9カ国に10センターが設置され、市場経済化を担う人材の育成や日本との相互理解促進のための交流活動などを行っている。

環境意識の向上を目指して

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ISO14001取得を目指す委員会のメンバーと和悟さん(中央奥)(チュニジア)

北アフリカに位置し、対岸にイタリアを臨むチュニジア。08年までに 欧州連合(EU)との関税撤廃を控え、貿易の自由化に向けて「全産業のレベルアップ」に取り組んでいる。同国に対し、各産業の人材育成を支援するJICAは、05年11月、工業分野の品質管理支援の一環として、和悟さんを派遣。陶器やガラス、コンクリートといった建築資材を製造する窯業(ようぎょう)関連企業の製品・原料の品質検査や、エネルギー監査・環境監査などを行う建築資材技術センターに配属され、同センターや関連企業がISO14001※2を取得し、環境に配慮した事業ができるよう技術指導を行っている。

活動当初から、企業を指導する役割を担うセンター自体、環境意識が低いと感じていた和悟さんは、「センターが模範的な存在にならなければならない」と、センターのトップを含めたISO14001取得推進委員会の立ち上げを提案。さらに、計画、初期調査、記録整備、審査などISO14001取得のために実施すべきさまざまな事項を記した活動計画表を作成し、センター全体で職場環境改善の意識を高めていくよう促している。

とはいえ、「時間厳守」といった日本ではごく当たり前のルールが通じず、予定していた会議が延期・中止になることも少なくない。計画通りに進まず、どうすればセンターのスタッフが一致団結して取り組む気持ちになれるのか、頭を悩ませている。だが、「センターはチュニジアの窯業界をリードし、同国の発展に寄与する重要な役割を担う。ISO14001を取得し、業界全体の環境意識の向上を目指そう」と、粘り強くスタッフの意識改革に努めてきた。その結果、センターとして守るべき環境方針が打ち出され、次はいかにそれを実践に移していくかが課題となっている。

また、活動の合間には、書道や茶道を紹介することにも力を入れているほか、出身地、山口県宇部市の地元新聞で同国の様子を日本に伝える「チュニジアからの便り」と題する月1回の連載も執筆している。

※2 組織の活動に伴う環境への影響などを低減し、環境リスクの発生を予防するためのマネジメントシステムに関する国際規格。

日本の精神をケニアへ

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長年、趣味として続けてきた書道を披露する和悟さん(中央)。日本文化に関心のあるチュニジア人学生など、集まった全員の名前を漢字の当て字で書いてプレゼントした

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布の裁断の仕方を説明する一枝さんの講義を、熱心に聞く学生たち。「正確かつ迅速に制作する技術の指導を心掛けている」

一方、一枝さんは、チュニジアから約5000キロ離れたケニアにいた。 実は、一枝さんがケニアを訪れるのは2度目。68年に世界旅行をした際に立ち寄って以来、38年ぶりの同国に「何もなかった当時に比べ、今は高層ビルが立ち並ぶなど、あまりに発展していて驚いた」。

06年3月、ケニアの産業・工業振興に貢献できる人材の育成を目的に設立された産業技術専門学校の服飾学部に派遣された一枝さんは、技術国家試験を目指す学生に洋裁の技術指導を行っている。

衣料百貨店を営む家庭で育ち、幼いころから紳士服や婦人服の裁断を経験、大学の家政学部を卒業後、店を継ぎ、長年誇りを持って仕事をしてきた一枝さんは「服を一目見ただけでその作り方が分かる」というほどのエキスパートだ。学校に着任したとき、積もったほこりと壊れたミシン、布などが教室中に散乱しているのを見て「ぎょっとした」が、まずは、学部長や教員、学生らに呼び掛けて清掃を始め、放置されていた各種工業ミシンを使用できるよう努めた。

さらに、整理された状態を一時的な現象とせず、服飾学部の気風とするために、「整理、整頓、清掃、清潔、正確の5つの精神が大切」と訴え、学部全体の意識改革に取り組んでいる。「技術立国である日本の技術者の根底に流れている基本精神を導入するのは、不可能なことではない。一つ一つの作業に責任を持って取り組んでいく姿勢を身に付ければ、技術は必ず向上する」と学生のやる気を引き出す指導を心掛けている。そして、「最終的には学生の作品が市場価値のある商品として売れるようになれば」と願う。

一枝さんが住む地域の通信状態が悪いこともあって、月に1度ほどしかメールで連絡を取り合えない田村夫妻。和悟さんは「離れていると、家庭を支えてくれていた妻の大切さがよく分かる。でも、夫婦が違った場所で生き生きとした時間を持ち、そこから得るものを共有するのも悪くない」とほほ笑む。

2人は「現地の人々が自立していくための手助けになれば」と、長年培ってきた技術と経験を生かし、今日もそれぞれの場所で活動に励んでいる。