monthly Jica 2007年9月号

特集 国際緊急援助隊(JDR)設立20周年  被災者に寄り添う緊急援助(2/6ページ)

ACTIVITIES in Pakistan(パキスタン)
オールジャパンで奮闘したパキスタン地震災害

【パキスタン地図】2005年10月8日にパキスタンで発生した大地震で、外国のチームとして一早くバタグラムで活動を始めた国際緊急援助隊(JDR)。厳しい山岳地帯での日本による緊急援助とそれに続く復旧・復興支援は、バタグラムの再生に大きく貢献した。

10月8日8時50分、地震発生

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救命できる率は災害発生後72時間以内であれば高いといわれる。だがれんがと土の建物は崩れると人が息をするすき間ができない。救助チームには小さなスコップだけが頼りだった

そのとき、JICAパキスタン事務所の高橋亮(まこと)職員は地方都市ラホールのホテルにいた。突然の大きな揺れ。レストランで食事を取っていた客は一斉にテーブルの下に身をかがめた。間もなく携帯電話が鳴り、「事務所に集合!」という三角幸子次長の叫び声がした。

2005年10月8日土曜日、現地時間8時50分(日本時間12時50分)。パキスタン北部カシミール地方で発生したマグニチュード7・6の大地震は、死者7万3000人、負傷者6万9000人、被災者400万〜500万人を出す大惨事となった※。パキスタン政府が日本に国際緊急援助隊(JDR)の派遣を要請したのは地震が起きてから4時間後。休日だったが、すでにJICAのJDR事務局には職員が集合していた。

外務省と関係各省が救助チームの人数を決めると同時に、JICAでは救助機材や隊員の生活機材の準備に取り掛かる。医療チームのほうは派遣要請があった段階で700人ほどの登録者に一斉にファクスを送り、参加の可否を問う。成田空港出発は明日の朝だ。事務局では隊員たちに配る資料の準備などで徹夜作業が続いた。

※ 2005年11月2日付パキスタン政府発表。

10月9日深夜、パキスタン到着

9日早朝。海上保安庁、警察庁、東京消防庁などから参加した隊員らに医師と看護師を加えたJDR救助チーム全49人が成田空港に集まった。結団式が行われているころ、JDR事務局の大友仁さんは空港のチェックインカウンターで汗まみれになっていた。6トンもの機材をターンテーブルに載せるためだ。飛行機は約1時間遅れて10時出発。警視庁機動隊特殊技能係から救助チームに参加した石橋俊彦隊員は「一人でも多く救助したい」と気を引き締めていた。

バンコク経由で一行がラホールに到着したのは9日の深夜。陸路でイスラマバードの空軍基地へ移動し、翌10日午前、救助活動を統括するパキスタン軍の要請で、救助チームは最大の被災地ムザファラバードの北西にある山岳地帯の町、バタグラムへと向かった。

そのころ成田空港ではJDR医療チームの1次隊が飛び立とうとしていた。チームの面々は、JDR事務局のファクスに応えた医師や看護師、薬剤師、医療調整員、業務調整員らの総勢21人だ。

救助チームがヘリからバタグラムに降り立つと、周りには200人ほどの村人が集まっていた。JDRは、この地域では一番乗りの外国からの支援チームだ。倒壊を免れたゲストハウスに活動本部を設置、バタグラム郡で最も被害を受けたとされるバターモリ、チャパグラム、ゴルゲラ地区での捜索が始まった。

生存者の発見を信じて

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患者を診察する医療チームの医師。ここで合計2,242人の診療を行った

11日9時40分、医療チーム1次隊がバタグラムに到着、翌日から診療を始めた。

12日、バターモリでがれきの下に生き埋めになっている18歳の女性がいるとの情報。3つの小隊に分かれた救助チームは15分交代で捜索活動を続けた。「標高が高いため空気が薄く、活動は難航した」(石橋隊員)。この地域の建物はれんがや土でできている。余震が続く中、「少しでも揺れると残った部分がどしゃっと崩壊した」(同)。最初の地震発生からすでに4日。都市と異なり、ここでは建物が倒壊すると、被災者が呼吸し、救助チームの円滑な活動に必要なすき間ができない。救助チームは厳しい条件にありながら、生存者の発見を信じて手探りの捜索を進めていった。

13時53分、村中の人が見守る中、少女を発見。残念ながら生存は確認できなかったが、少女の親族は、「『これできちんとした葬儀ができる』と、救助チームに温かい謝辞を述べてくれた」(同)。

13日11時20分、ゴルゲラで要救助者の情報。いちるの望みはまたもかなわず、幼い少女の2遺体を収容。同日13時45分、捜索活動終了。14日16時45分、49人の救助チームは首都イスラマバードに帰着し、5日ぶりにシャワーを浴びた。バタグラムの気温は、昼間は30度を超え夜は5度まで下がる。テントの中で冬用のシュラフと毛布1枚で、ぎゅうぎゅう詰めで横になっても寒くて寝付けなかった隊員たちは、ホテルのベッドで眠りこけた。

JDR、自衛隊、元青年海外協力隊、NGOの連係プレー

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震災で倒壊した学校や病院を再建するため、北部地震被害施設復旧計画概略設計調査が行われた。震災1周年を迎えた2006年10月8日に、バタグラム県中央病院仮設手術棟が完成、アジズ首相と小島誠二・駐パキスタン大使の出席のもと、開所式が催された

救助チームが引き揚げた後も、医療チームは診療を続けていた。周りにはJDRに続いて到着した赤十字やNGOのテントが立ち、援助活動が活発化していった。夜にはそれらの担当者がJDRのテントに集まり、情報交換を行った。

ある日、テントに3歳くらいの子どもが運ばれてきた。症状が重くここでは処置できないと判断。一次的治療を施し、大きな病院へ搬送することにした。大友さんは子どもと家族を軍のヘリポートに連れていったが、翌日、冷たくなった子どもを抱いた両親がテントにやって来た。天気が急変し、ヘリが飛ばなかったのだ。大友さんは悔しさに唇をかみしめた。

通常、被災直後は外傷の患者が多く、3、4日たつと風邪や下痢が増えてくる。ところがここでは10日たっても骨折などの重傷患者がひっきりなしに訪れる。JDRは医療チームの2次隊派遣を決め、10月20日、日本から派遣されていた自衛隊部隊のヘリで2次隊がサイトに到着した。自衛隊による機材や人員の搬送はとても助かった。その活動を通訳などとして支えたのが、かつてパキスタンに派遣された元青年海外協力隊員だ。

10月30日12時30分、診療終了。医療チームが去った後、現地では災害人道医療支援会(HuMA、42ページに関連記事)などのNGOが引き続き診療活動を続けた。

震災から2年—バタグラムの町には今、復興の槌音(つちおと)が響いている。JICAは震災直後の緊急援助に続き、復旧・復興までの一貫した支援を行った(表参照)

07年7月、現地を訪れたJDR事務局の佐藤仁さんは「当時の患者さんや軍関係者とも会ったが、みんなから『日本チームの活動は際立っていた』と言われ、ああ、(JDRの活動は)間違っていなかったんだなと思った」と話す。震災時パキスタン事務所でJDRの受け入れに奔走した稲葉光信さんも「バタグラムでは日本が支援しているという認識が定着してきた。自分が日本人だと分かると駆け寄ってきて握手をしたり肩を抱いてくれたりする人がいる」と言う。JDR、自衛隊、元協力隊員、NGOの連係プレー、そして日本による復興支援は現地の人々の心に大きな足跡を残したようだ。

(注)登場するJICA職員の肩書はすべて当時のもの。

(表)パキスタン地震復興支援一覧表

支援期間内容
JDR救助チーム2005年10月9日〜18日49人がバタグラムで活動
JDR第1次医療チーム
JDR第2次医療チーム
10月10日〜23日
10月20日〜11月2日
第1次チーム21人、第2次チーム21人が被災者2,242人を診療
自衛隊部隊10月12日〜12月1日ヘリコプターによる搬送支援など
緊急援助物資の供与10月11日2,500万円相当の緊急援助物資を引き渡し
プロジェクト形成調査10月12日〜11月15日世界銀行、アジア開発銀行主催の調査に参加、日本による支援のあり方を迅速に検討
ジーラムバレー橋梁復旧
(開発調査)
2005年12月〜07年11月ムザファラバードからインドに通じるジェーラム道路の橋梁復旧について、地滑り対策などを含む技術指導を兼ねた実証事業の実施
ムザファラバード復旧・復興計画策定調査
(緊急開発調査)
2006年1月〜07年11月災害に強い都市を再建するため、復旧・復興計画マスタープランを策定。これに基づきがれき撤去、地滑り監視・警戒・避難体制構築支援、女子学校の再建および防災教育普及プロジェクトを実施。現在、西岸バイパスプロジェクトの詳細設計調査を実施中
保健医療施設にかかる耐震建築指導プロジェクト
(技術協力プロジェクト)
2006年2月〜07年1月バリアフリーの要素も取り入れた一次保健医療施設の耐震性向上のための標準設計書作成、モデル施設を建設する過程を通じた施工管理の技術移転
北部地震被害施設復旧計画概略設計調査
(ノン・プロジェクト無償資金協力)
2006年1月〜8月保健医療、教育、運輸インフラを優先とした施設復旧にかかる概略設計調査を実施
ボランティア派遣
(青年海外協力隊グループ派遣)
2006年3月〜7月パキスタンでの協力隊経験者を、国立身障者総合病院と寡婦や震災孤児の保護施設「アシアナプロジェクト」に派遣、リハビリやレクリエーション、衛生教育の指導などを行った
地震・地滑り危険評価国際会議2006年1月18、19日パキスタン地質研究所主催の国際会議(JICA共催)に日本人専門家を講師派遣
ローコスト耐震住宅建設普及
(プロジェクト形成事業)
2006年3月ローコストの住宅耐震技術の普及を目的に、ムザファラバード市内で実寸大住宅や縮小モデル住宅を用いたデモンストレーションを実施