monthly Jica 2008年3月号

特集 食と農業 生きる糧を守るために

PROJECT in Syria(シリア)
人々の生命線、節水型の農業を

【地図】シリア年率2〜3%の勢いで人口が増え続ける一方、食料の生産高が向上せず、食料安全保障が脅かされつつあるシリア。農作物の安定的な供給のため、乾燥地など厳しい気候条件の下でも持続可能な農業を推進していけるよう、JICAは環境に配慮した節水型灌漑(かんがい)農業の普及に協力した。

全水使用量の90%が農業用水

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圃場で導入された灌漑器具の使用法などを指導する普及員。圃場での実演は参加農家の満足度が最も高かった

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圃場で近代灌漑について説明する技術者の話を熱心に聞く農家の人々

世界最古の文明メソポタミアを起源とするシリア。チグリス・ユーフラテス川の恵みにはぐくまれた肥沃(ひよく)な大地がこの地の繁栄を築き、初めて農業が営まれたことでも知られる。国内総生産(GDP)の20%を占め、全労働者の30%が従事するシリアの主要産業である農業は、国民の食料供給を支え、社会・経済の発展を担っている。

シリアの料理といえば、ケバブ(牛や羊などの串焼き)が有名だ。主食はパンで、野菜や豆類の煮込みなども庶民の味として親しまれている。しかし近年、同国の食料安全保障が脅かされつつある。年々人口が増え続け、食料増産体制の整備が求められる一方で、小麦や野菜、果物類など農作物の生産量が不安定なのだ。その原因は、シリアにとって希少な“水”が効率的に使われていないことにある。

シリアの年間平均降水量はわずか約240ミリ(日本は1800ミリ前後)、農地面積は国土の75%を占める。だが気候の影響を受けやすい天水農業が中心で、農作物の出来はその年の気象に左右され、安定しない。最近はユーフラテス川や地下水を水源とした灌漑農業も増え始めているが、水利効率が著しく低い伝統的な地表灌漑であるために、国土の25%程度の農地面積で国全体の90%以上もの水を使用。地下水位の低下や枯渇などを引き起こし、生活用水まで逼迫(ひっぱく)させている。このまま大量の水を使い続ければ、生産性が低下し、食料不足にも陥りかねない。

シリア政府は安定した食料供給を保つ上で節水農業が重要と判断。2000年、すべての伝統的灌漑を5年間で節水型の近代灌漑に移行する政策を打ち出した。しかし結果的に普及率は13.5%にとどまり、水の使用量はそれほど減っていない。近代灌漑導入のメリットや節水の必要性について、農家の人々の理解を図る人材や体制が不十分だったことが大きな理由だ。地中海性気候から砂漠気候まで、5つもの気候区分があるシリアにおいては、地域の特徴に応じた農業が求められ、特に乾燥地など厳しい気候条件での持続可能な農業の推進が重要な課題となっている。

そこでJICAは04年11月〜08年3月、1)現地に適した節水灌漑技術の開発、2)技術などを農家に伝える技術者・普及員の研修、3)農家への普及の3つを活動の柱とした「節水灌漑農業普及計画」を実施。比較的水に恵まれ、ドリップ※やスプリンクラーなど近代的な灌漑器具の導入が他地域よりは進んでいるものの、節水効果がなかなか上がらないダマスカス郊外県、ダラ県、ハマ県で活動を行った。この3県は、小麦や野菜、果物類など収益性の高い作物を生産しているが、水が不足する夏期に多量の灌漑用水を必要とする作物体系になっている。

※ドリップ灌漑は、各作物の根の周辺のみに水分を供給し、無駄な水使用を防ぐ農法。

農家の人々の意識を変えるために

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研修を受ける普及員。農家に対する技術的なサポートはもちろんのこと、それを相手に分かりやすく伝えるためのコミュニケーション能力も普及員に求められる

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個人で所有する井戸の地下水が枯渇し、河川からの違法な取水も増えている

「新しい灌漑器具の導入に懐疑的だった農家の人たちの意識をどう変えていくか、相当苦労しましたね」

そう話すのは、プロジェクトの総括を務める松島修市専門家。例えばダラ県では、水くみ上げポンプの電気代や労働力の軽減などによる生産コストの削減がインセンティブとなり、器具の導入までは行われていたが、器具を使用する上で節水のことまで深く考えず、水が無駄に使われていた。「ダラ県の農家の人たちは、肥料にしても何にしても十分以上投入することが好きで、『節水』や『ほどほど』というマインドが欠けていた」と松島さん。

だからこそ、プロジェクトでは農家への普及活動に特に力を入れた。普及内容は灌漑器具の導入(ハード)、正しい使用方法の普及(ソフト)、節水意識の向上(マインド)を組み合わせた形に、普及方法はセミナー、フィールド・デイ(圃場での実演)、移動劇団、テレビ番組、パンフレットなど、農家の人々が理解しやすい形にした。

他方、普及する側の技術者・普及員の能力も不十分だった。農家の人たちの声を近くで聞き、技術的な疑問に答えたり、国・地方行政の政策や施策などをかみ砕いて説明するのが彼らの仕事。にもかかわらず、以前は農家へ出向くことさえなかったという。

原因は技術者・普及員の養成研修。講師の一方的な講義で実践性に欠けていた上、研修内容と受講者の業務・専門性が合致せず、研修成果のフォローアップも行われていなかった。「それが、プロジェクトが進むにつれて、普及員が積極的に農家に行くようになって。終わりごろには、普及活動のアドバイスを求めてプロジェクトの事務所に立ち寄ることも増えましてね。本当に頼もしくなりました」と松島さんは目を細める。研修コース、カリキュラム、教材、講師陣など既存のリソースを活用しつつ、灌漑器具敷設のための図面書きや現場実習など受講者が実際に手を動かす作業やケーススタディーを多く取り入れたこと、また受講者のレベルやバックグラウンドに合った内容に工夫した結果だ。アラビア語で書かれた技術マニュアルも完成し、これから配布する予定になっている。

普及体制を確立

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うねの間に水をためる伝統的灌漑(上)と根元だけに注水する近代灌漑(下)で綿花を栽培。灌漑の近代化で水の使用量は格段に減った

プロジェクト終了時には、3県で、従来より21%少ない水量で以前とほぼ変わらぬ収量を得られるようになった。また、農業農地改革省に設立された「灌漑近代化推進局」の支部が各県の農業局内に置かれ、普及活動を県レベルでスムーズに行えるようになり、各地のニーズに合った形の普及体制が整った。

「今でこそ分かってもらえますが、最初は『なぜ日本人専門家はそんなに頻繁に農家に出掛けていくのか? そんな必要あるのか?』と何度も技術者・普及員に聞かれました。他ドナーの多くは、ソフトよりハード面に重点を置き、使用方法などを指導しに農家へ行くことが少ないんですね。節水の必要性を理解してもらうまで道のりは長かったですが、これこそが日本の支援の特徴ではないでしょうか。長年にわたる多分野の協力で信頼関係が築かれていたこともいい方向に働きました」と松島さん。

また、各県で活動していた3人の青年海外協力隊員の力もプロジェクトをよい方向に導いた。ダラ県の野菜栽培隊員、中山正和さんは、試験栽培を通じて「灌漑用水を過剰に使ってもトマトの生産性はほとんど向上しない」ことを確認し、節水灌漑の推進に有益なデータを提供。ダマスカス郊外県の試験農場に配属された土壌分析隊員の神澤嘉顕(かんざわよしあき)さんは、「ドリップ灌漑では作物や土壌をビニールシートなどで覆い、蒸発を抑制することで、節水効果のみならず、生産性も高まる」ことをナスの試験栽培で実証し、シリア側からも高く評価された。

国土は日本の半分程度だが、年間の気温変化や降水量、作物体系などは地域によって大きく異なるシリア。環境に優しい節水灌漑技術を普及できたのは現時点でこの3県にすぎず、今後の課題は、研修・普及活動を継続し、全国展開していく上でこうした多様な地域性にどう対応していくか。シリア自身のさらなる努力が求められる。JICAは全国展開に向けた取り組みへの協力を検討している。

人口増加のみならず、地球温暖化の影響が深刻化する昨今、特に乾燥地など水の確保が困難な地域における持続可能な農業の推進は喫緊の課題だ。節水に成功して自信がついた3県を牽引(けんいん)役に、貴重な水を無駄にしない持続可能な灌漑農業がシリア全土に根付き、安定的な農作物の供給で人々の暮らしが守られることを願う。