monthly Jica 2008年5月号

特集 元気なアフリカ Part2 新たな成長へのチャレンジ

【画像】5月28〜30日、第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)がいよいよ開催される。アフリカを中心に、世界各国・国際機関の代表が横浜市に集結する。今回は、成長の加速化、「人間の安全保障」の確立、環境・気候変動問題への対処について重点的に議論され、ここからアフリカのよりよい未来に向けたチャレンジが再び始まる。

長く成長から取り残されていたアフリカに今、世界中が熱い視線を注いでいる。エネルギー価格の高騰を背景に、豊富な天然資源を有するアフリカ諸国への投資が拡大し、年平均5%以上の成長を達成、2008年は6%を超える見込みだ。しかし、こうした資源は経済成長を牽引(けんいん)する一方で、富の分配に絡み紛争や汚職、貧富の格差の拡大を引き起こしかねない。地球温暖化や環境破壊の影響が深刻化する中で、脆弱(ぜいじゃく)な貧困層はより危機的な状況に置かれている。国際社会は、経済成長を加速させるとともにその“恩恵”が貧しい人々に届けられ、貧困削減を促進する支援を行うことが必要だ。

日本はこれまで、アフリカの自立的で持続可能な発展を目指し、オーナーシップを重視して「経済成長を通じた貧困削減」に取り組んできた。そして近年、成長の道を歩み始めたアフリカの潜在力を開花させようと、官民連携でアフリカの発展を後押しする試みが活発化している。TICAD IV、さらに7月の主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)は、日本がアフリカ開発における存在感を高め、リーダーシップを示す好機だ。10月に、技術協力、無償資金協力、有償資金協力を総合的に行う援助機関として誕生する新JICAへの期待も高まっている。

TICAD IVに合わせて、4月号で紛争終結後に復興、開発へとまい進している国々に対する支援を紹介したのに続き、5月号では、経済成長のカギとなるインフラ整備や貿易・投資促進など「成長の加速化」につながる支援に焦点を当て、特にアジアの開発経験を活用した協力や、民間企業などとのパートナーシップの拡大に向けた新たな動きを取り上げ、変革のうねりが高まるアフリカの“今”を伝える。

VOICES from Mozambique(モザンビーク)
「よりよい将来を共につくろう」

【地図】モザンビーク文・写真=谷本 美加 (写真家)
text and photos by Tanimoto Mika

17年間に及ぶ激しい内戦で国土が荒廃し、1992年の内戦終結時には「世界の最貧国の中でも最貧」といわれたモザンビーク。しかし、わずか10数年で経済復興を成し遂げ、現在、発展が遅れている北部地域で、近隣国につながる道路を整備して産業開発・民間投資を促進し、地域全体の成長と貧困削減を目指す試みが、日本・アジアを巻き込んで進行中だ。

また、日本企業などが出資して設立され、同国の奇跡的な経済成長を牽引(けんいん)したアルミ精錬会社は、企業の社会的責任(CSR)として周辺地域のコミュニティー開発にも力を入れており、JICAも青年海外協力隊を派遣して協力している。

明るい兆しが見え始めたアフリカの成長を加速化させるため、アジアの経験を生かしつつ、官民連携で進める日本の支援—— そのモザンビークでの取り組みを伝える。

北部地域発展のカギ、ナカラ回廊

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ナカラ港とナンプラ市を結ぶ道路。2001年に舗装されて交通アクセスが改善された。貧困削減のため地方開発を重視するモザンビーク政府は、ナカラ回廊をはじめ、インフラ整備に力を入れる

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ナンプラークアンバ間道路改善計画の対象道路。雨期は特に通行が困難になる。ナカラ回廊と平行してマラウイにつながる鉄道があるが、輸送効率が悪く、回廊整備への期待が高まる

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ナンプラから西に約135キロのリバウエまで5時間かけて毎日走るバスの運転手(左から2人目)。雨期には車の往来で道路が大きく陥没することもあるという

雨粒が、車のフロントガラスを激しくたたきつける。バタバタという雨音に加え、低い雷鳴が響いている。3月中旬、モザンビークは雨期真最中だ。青空が灰色の雲に覆われたかと思うと、急に土砂降りになる。水をたっぷり吸った赤土の道路は、乾く暇もない。

「クアンバからナンプラまでの道(353キロ)は、とても悪いねぇ。クアンバの小学校にトラックで本を運んだことがあるけれど、2日もかかったんだ」

「リバウエからナンプラまでは135キロぐらいだが、3月は道路の状況が一番悪いから、5時間もかかるんだ。気を付けて運転しないと、道路がぬかるんで穴がえぐられているところもある。舗装道路ならこんなことに気を使わなくてもいいんだけどね」

ナカラ回廊で出会ったドライバーたちは、そう口々に言う。

モザンビーク北部のナカラ港から、西の内陸に向かう道路は、中継の町ナンプラ・リバウエ・クアンバをつなぎ、さらに国境を越えマラウイ、ザンビアへ続く国際回廊だ。ナカラ港_ナンプラ市の199キロが2001年にようやく舗装されたものの、さらに内陸へ伸びる残りの500キロ近い道路は、未舗装のままだ。乾期には土埃を巻き上げながらも、バス・トラック・大型コンテナ積載の貨物自動車が往来するが、雨期にはぬかるみ、車のわだちが深く跡を刻み、頻繁に通行不可能になってしまう。

もしこのナカラ回廊が舗装され、どんな悪天候にも負けない道路に改修されたなら、農村地帯で収穫された農作物が、年間を通してより大きな市場へ、あるいは港から海外へと効率的に輸送され、道路周辺地域の経済成長と農民の所得向上につながり、経済発展の遅れた北部全体の地域開発と貧困削減に大きく貢献するだろう。それだけでなく、マラウイやザンビアとナカラ港をつなぐ、輸出入ルートのための国際幹線道路としてグレードアップすることになるのだ。

モザンビークは、独立後から17年にわたり、激しい内戦が続いた。モザンビーク道路公団プロジェクト事業部のネルソン・ヌネ部長はこう話す。

「内戦中は橋や道路が至るところで壊され、道路の真ん中に木が生えてしまったり、やぶに覆われてしまったりという状況で、たった200キロを移動するのに、2日もかかるのが普通でした。寸断された道路も多く、1992年に内戦が終結しても、避難した人々が自分の町に帰ることさえできなかったのです」

当時に比べれば、国内の道路の20%が舗装された現状は、「決して素晴らしく整っているとは言えないが、良くなっている」と言う。そして今、北部地域発展のカギと期待されるナカラ回廊の未舗装区間の整備に意欲を燃やす。その基盤となるのが、JICAの開発調査で07年11月に策定された「ナンプラ−クアンバ間道路改善計画」だ。2011年を目標とする道路整備計画や概略設計、維持管理計画などがつくられたほか、計画づくりの技術の移転も行われた。

アジアの経験活用にベトナムも協力

モザンビークからはるか1万キロほど離れたベトナムでは、すでに90年代半ばから、ベトナム中部ダナン港を起点とし、ラオス・タイを経てミャンマーまでをつなぐ東西経済回廊が構想され、日本も外務省による無償資金協力やJICAの開発調査、国際協力銀行(JBIC)の円借款などを通して道路・港の改良や橋梁建設を支援してきた。

港から国境を越えて近隣諸国を結びメコン地域の発展を促す東西回廊は、まさにナカラ回廊と同じ。JICAの開発調査の結果を踏まえて、ナカラ回廊整備のための円借款供与を検討しているJBICは、日本の支援によるアジアでの回廊整備の経験をアフリカでも参考にしてもらおうと、07年8月、モザンビーク政府関係者をベトナムの東西回廊視察に招いた。そして、今年2月には、両国の協力関係をさらに発展させるべく、ベトナム政府関係者をモザンビークへ招き、日本を含めた3カ国でセミナーを開催。ナカラ回廊を経済の大動脈につくり上げ、道路周辺地域の経済成長を通じて貧困を削減するには、道路整備のみならず、経済特区や工業団地の開発、通関システムの改善、地域産業の育成など、総合的な取り組みが必要になる。モザンビークの実情に合った産業振興政策、アジアでの経験の適用可能性、貧困層への配慮の視点など、さまざまな角度からの問題提起や意見交換が行われ、ナカラ回廊を基盤とした地域開発への期待が高まっている。

モザンビーク初の道の駅

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アンシロの道の駅の屋内販売施設では、公衆電話などの公共サービスや冷たい飲み物なども提供している

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道の駅のロゴマークが付いた色あせたTシャツを着たジュアオさん。青空市場で売られているピーナツの生産者

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ナカラ回廊沿いのバス停に停車したバスに、地域で収穫された農産物の売り子が集まる。「回廊沿いに従来からある市場は、路上で売るため危険でもあり、形態を変えていきたい」と道路公団の職員は言う

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道の駅の青空市場では地域特産の農作物や竹製の工芸品なども売られている。今後の課題は、どのように集客するか、また、家族営農から商業営農の市場へと転換を試み、地域開発の拠点としてどう運営していくか

ナカラ回廊周辺は、緑豊かな穀倉地帯ではあるものの、国内で最も貧困層の多い地域の一つだ。そうした貧しい人々に裨益する地域振興の試みとして、JICAの開発調査の一環で一つのパイロットプロジェクトが実施された。その名も「MICHINOEKI」。日本ではおなじみの、そしてアジア諸国にも広がりつつある「道の駅」だ。

07年8月、ナンプラから19キロほど東にあるアンシロ地区の回廊沿道にオープンしたモザンビーク初の道の駅は、この回廊を利用するドライバーには、市場・駐車場・公共トイレを併設した休憩施設として、また地元農家には農作物の集荷・販売ルートや生産拡大の拠点として活用されている。

「『ミチノエキ』って日本の言葉だというのは知っているけど、意味は分かりません。このマーク?何の意味かしら?」

アンジェリーナ・ジュアオさんは、自身が着ているすっかり色あせた「MICHINOEKI」のロゴマーク入りTシャツを改めて見つめた。彼女は、自分たちの畑で作ったピーナツを道の駅の青空市場で売っている。言葉の意味は知らなくても、回廊を走行するドライバーが休憩する市場で、地域住民を支援するプロジェクトであることはよく分かっているそう。ほかにも、地元産のサトウキビから作られた砂糖、コメ、トウモロコシが売られ、ゴマなどは実際にナカラ港から海外に輸出されている。

将来、このナカラ回廊で道の駅を本格的に展開していくのであれば、立地条件や販売商品の種類など、いくつもの改善を要することがこのパイロットプロジェクトで明確になった。モザンビーク道路公団としては、道路整備とともに地域開発の重要性にも関心を高めており、今後さらなる工夫を凝らしていくことになる。

道路公団のヌネ部長は「道路は住民にとって日常生活に直接かかわる大事なインフラです。道路が整備されて初めて、市場、病院、学校など、生活に必要なものにスムーズにアクセスできる。ですから、ナンプラ−クアンバ間道路改善計画をなんとしても実行していきたい」とやる気を見せた。

大きな期待を寄せるのは、地域住民や政府だけではない。周辺国のマラウイ、ザンビア、そして協力関係を築き始めたベトナムも、緑と赤土の大地を颯爽(さっそう)と走り抜ける舗装道路の向こうに、アフリカ南東部の発展を見据えている。

「奇跡」を生んだアルミ精練事業

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モザールのアルミ精錬所(写真後方)周辺には19社の工場が集まり、1万人もの雇用を生み出している。モザンビークにアルミの原料はなく、モザールは原料を輸入しているが、安価の電力、良好な港、欧州へのアクセス、優秀な人材などの条件が事業を成功させた

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ネルソン・マンデラ中学校のコンピュータークラスを教える岡村さん。中学生と一緒に社会人も参加できる。同校は、モザールコミュニティー開発基金でモザール近隣のマトーラリオ地区に初めてつくられた中学校

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約2,400人が通うネルソン・マンデラ中学校の門。「巨象のようなアルミ精錬所をつくればいい」という住民の言葉から、象が基金のトレードマークに。基金は教育、農業、保健などさまざまな支援を行っており、住民は生活環境が良くなったという

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基金のマネージャー、ムーサさんは、内戦中は海外に避難していたが、戦後、国を変えるために帰国し、社会貢献活動を始めた。戦後の急速な変化と成長に喜びと驚きを感じている

「モザンビークの奇跡」という言葉がある。内戦中、年平均マイナス0.1%の経済成長率が、内戦終結からわずか10年後には、6〜7%にまで上り詰めたという、この国の高い経済成長ぶりを表す言葉だ。この「奇跡」の一翼を担ってきたのが、オーストラリアの民間資源会社、日本の三菱商事株式会社、南アフリカ開発公社、そして戦後復興にかけるモザンビーク政府の共同出資で、98年に首都マプト近郊に設立されたアルミ精錬会社モザールだ。当初は夢のプロジェクトと評されたものの、その後、国内製造業生産の49%(03年)を占めるほどの、世界最大規模のアルミ精錬所となり、約1万人に上る雇用を創出している。

さらに、企業の社会的責任(CSR)の一環として「モザールコミュニティー開発基金(MCDT)」を設け、アフリカの地域開発モデルとも呼べる社会貢献活動を行っている。

「この地域にアルミ精錬所を建設する前、住民と何年もかけて話し合いました。最終的に、『巨象のように大きな精錬所が建つといい』と住民たちの合意と応援を得て建設されたのがこの工場なのです。住民は私たちの“お隣さん”ですから、お隣さんが困っていたら助けるのが当たり前でしょう」

そう話すのは、同基金のマネージャー、アルシード・ムーサさんだ。実際に、今やモザールはまさに巨象のような大プロジェクトに成長した。そして、基金による社会貢献活動も、学校建設・教材供与などの教育支援、水道施設や病院の建設、衛生・環境支援、雇用創出のための小規模ビジネス支援、スポーツ・文化支援など多岐にわたり、その数は約200件、支援額は年間500万ドルに上る。

基金により建設されたこの地域初の中学校、ネルソン・マンデラ中学校では、青年海外協力隊の岡村仁美さんが、PCインストラクターとして活動している。

「日本人の先生もモザンビーク人の先生もそんなに違いはないけれど、日本人の先生のほうが粘り強く教えてくれます」と恥ずかしそうに話すのは、その日、表計算ソフトの授業を受けていたアントニオ君だ。コンピューターを学び始めてわずか1カ月というのに、表をアフリカらしい原色でカラフルに色付けしていく。小学校就学率さえまだ6割ほどのこの国で、「会計士になりたい」と語る彼の夢が、一歩現実に近づいているように思えた。

「どんな仕事に就こうとも、コンピューターは将来使うことになると思うので、これをきっかけにずっと継続して、仕事でも使えるようになってくれたらと思っています」と岡村さんは話す。

「共にモザンビークのよりよい将来をつくることができると信じている」という力強い言葉をくれたムーサさん。アフリカとアジア、そして政府と民間企業などが手を結び、モザンビークの持続的な成長を支えていけば、第2、第3の“巨象”が生まれる可能性は、まだまだ秘められている。