monthly Jica 2008年7月号

特集 母子保健 かけがえのない命をまもるために

PROJECT in Cambodia(カンボジア)
未来永劫に続く安全なお産を

【地図】カンボジア内戦で医師や看護師、助産師など保健医療人材を失ったカンボジア。民主国家として歩み出した同国に対し、JICAは1995年から人材育成を通じた母子保健の向上に協力してきた。現在は、コミュニティーレベルでより質の高いサービスをすべての人々に平等に提供するため、全国普及を目指したモデルづくりに取り組んでいる。

停滞する妊産婦死亡率

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自宅出産したコンポンチャム州の女性。カンボジアの合計特殊出生率(1人の女性が一生に生む子どもの平均数)は3.4。日本は1.25(2005年)

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村から首都へのアクセス道路は未舗装で、特に雨期は悪路。救急患者がいても搬送に時間がかかる

信じ難いが本当にあった話だ。カンボジアの首都プノンペンの北東コンポンチャム州。2006年、夫と3人の娘を持つある女性が、出産後に命を落とした。死因は大量出血。妊娠中に胎児が子宮内で死んでしまったのにもかかわらず、適切な処置を取らなかったからだ。

いわゆる医療ミスではない。「夫の稼ぎはすずめの涙ほど。交通費をかけて病院に行けば娘たちを食べさせられない」——体の異変に気付きながらも、家族の生活を考えるとどうしても躊躇(ちゅうちょ)せざるを得なかった。村の伝統産婆や保健センターの助産師も、高度な医療機能を備える首都の国立母子保健センターでの診療を勧めたが、緊急時に患者を基幹病院に搬送する仕組み(レファラルシステム)※も資金も、州の保健行政官らとのネットワークもないので、患者である彼女へのアドバイス以上のことはできなかった。

そうするうち臨月に入った彼女は大出血に陥った。意識がもうろうとする中、それでも彼女は病院に行くことを拒んだ。だが、迫り来る死への恐怖や、周囲の必死の説得のかいもあり、ようやく受診を決心。明け方4時のことだった。

しかし、交通費や診療費は無論ないので、まずは夫が資金集めに近所を駆け回った。100ドル近く集まると、次は車を手配。数時間後に出発するも、途中で点滴が切れれば近くの診療所に立ち寄って、なかなか国立母子保健センターまでたどり着かない。結局到着したのは午前10時。決心からは6時間が経過し、残念ながらそのとき彼女の呼吸は止まっていた。普段なら、村から国立母子保健センターまでは車で1時間の道のりだ。

こんなことがカンボジアの地方ではごく普通に起こっている。妊娠から出産までに起こり得る合併症は予期できないことが多く、安全な出産を迎えるには正しい知識と技術を持った助産師による小まめなケアが欠かせない。地方の保健センターでの処置が難しい症例の場合や緊急時には、基幹病院に搬送する仕組みも重要だ。

しかし国家は財政難、全国の保健センター約900カ所のうち、助産師を配置しているのは8割にとどまる。地方の助産師不足は特に深刻な上、知識や技術も十分とはいえない。レファラルシステムがないことに加え、冒頭の女性のような貧困という壁も立ちはだかる。

カンボジア政府は、「保健セクター戦略計画2003〜2007」において、母子保健を優先分野として取り組み、その結果、乳児死亡率や5歳未満児死亡率などの水準は改善している。しかし、妊産婦死亡率は近隣国と比べても依然として高い。

※患者が適切な医療施設で治療を受けるための患者紹介・搬送のための仕組み。

人材育成からチームワークづくりへ

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1997年、無償資金協力により建設された国立母子保健センター。産科・婦人科・新生児科を持つ国内最大の基幹病院として、助産師をはじめとする保健医療人材の研修、母子保健分野の研究や政策支援などを行っている

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保健センターの助産師の技能をチェックする石原由紀専門家(中央)

カンボジアの母子保健分野でのJICAの活動は16年に及ぶ。1992年、医療アドバイザーの専門家を保健省に派遣したことが最初の協力だ。

当時、援助機関による支援が少なかったこの分野。JICAは、内戦の影響で保健医療人材が著しく不足していたカンボジアに対し、人材育成などを通じて母子保健の向上を目指す「母子保健プロジェクト」を95年に開始、97年にはプノンペンに国立母子保健センターを建設した。2000年までのフェーズ1では、医療部門や看護部門といった各部門を設置し、会計システムや診療費免除制度の確立などセンターの管理・運営面を支援すると同時に、センターの産婦人科医や助産師などの知識と技術力の向上に重点を置いた。その成果を踏まえ、05年までのフェーズ2では、研修の対象を地方にまで拡大。日本人専門家ではなく、センターの医師や助産師が講師となり、地方の産科医や保健センターの助産師たちを指導した。この研修は、妊産婦の診療や出産現場にも立ち会いながら、4週間で修了。研修を受けた助産師は、10年間で500人に上る。

その後07年に始まったのが「地域における母子保健サービス向上プロジェクト」だ。このプロジェクトでは、国立母子保健センターの協力を得ながら、各地の保健行政官や病院が保健センターの助産師を支援するチームワークをつくり、さらにはコミュニティーとの協働を通じて、地方の母子保健サービスが包括的に実施されることが主な目的となっている。研修を受けた地方の助産師からヒアリングした結果、新しい知識や技術を習得しても上司や同僚の理解や、保健行政官からのサポートを得にくく、チームワークがなければ研修の成果を発揮することが難しいと分かったからだ。

例えば、地方の保健センターを毎月訪問して仕事ぶりをモニタリングする保健行政官に対し、助産師は問題があっても報告しない。解決を期待できないからだ。また、給料が数カ月支給されないことや、分娩キットを自分のお金で購入することは、地方では当然で、問題点として認識されにくい。

さらに、本来なら保健センターの助産師が抱える問題を把握し、その解決に向けてサポートするはずの保健行政官が、保健センターを訪問するとその助産師に代わって自らが診療活動を行ってしまうケースも多い。行政官が自分の役割を理解していないためだ。そして、国立母子保健センターの医師や助産師が地方にまで足を運ぶ機会も少ない。こうした状況では、地方の問題が中央政府にまで伝わってこないため、適切な対策を取ることが難しい。

すべての人に平等な母子保健サービスを

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地方の助産師の支援体制を考えるワークショップ

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保健センターの助産師(右)を指導する国立母子保健センターのトレーナー

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コンポンチャム州の保健センター。地方のセンターには水や電気がない場合も多い

これまでゼロだった“チームワーク”を一から築き上げ、地方の助産師が円滑に仕事を進められるようになるには、保健センター、地域の保健行政官、地域の病院の医師・助産師の3者が、本音で話し合える信頼関係を築くことが重要だ。普段からコミュニケーションを図り、仲良くなっておくことでつながりは生まれる——そう考えたJICAは、3者が頻繁に顔を合わせて話す機会をつくり、それをモデルとして確立させ、いずれ全国に広げていくための試みを始めている。

モデルと言っても、1つの決まった形にするのではない。保健行政官の既存の会議に保健センターや地域の病院の助産師が参加したり、保健行政官の月に一度のモニタリングに地域の病院の医師や助産師が積極的に加わるようにしたりすることなど、お金をかけずにちょっとした工夫で各地域の状況に合ったコミュニケーションの場をつくっていく。時代が移り、格段に増えた援助機関が独自のアプローチで支援を展開する今、地域によって母子保健サービスの内容や質が異なっており、全国の人々に平等にサービスを提供する仕組みづくりは、カンボジア政府の大きな課題でもある。

JICA専門家の小原ひろみさんも、「母子保健は未来永劫。先進国でも途上国でも、お金持ちであっても貧困であっても、お産は多くの女性に関係する。だから、サービスのよい地域が1つだけあっても意味がない」と話す。財政難の政府にとっても、より少ない資金でできるモデルづくりへの期待は高い。

現在、プロジェクトでは、コンポンチャム州の4つのサイトでコミュニケーションの機会づくりを複数試行中。2010年の終了時までには、モデルとなり得る汎用性の高い方法をいくつか選び出し、全国展開に向けて体系立てていく。

「たくさんの助産師が適切なケアを提供できるようになってうれしい。そうした成果を挙げられたのは、長年の活動の中でカンボジア人と日本人の信頼関係ができたから」と、国立母子保健センター長のカナール医師。彼がそう話す背景には、これまでカンボジアの母子保健分野にかかわってきたたくさんのJICA関係者が「プロジェクトはカンボジア人のもの。あなたたちがかじ取りをしなくては」と言い続けてきた歴史がある。「だから私たちは自信を持てた」(カナール医師)。

また、あくまで正規の助産師の育成に重心を据え、地道に取り組んできた日本の姿勢も影響している。カンボジアでは、出産の6割が伝統産婆による分娩であることから、一時期、母子保健の援助潮流は伝統産婆の技術力向上であった。しかし、基礎教育を受けず、資格も持っていない伝統産婆の能力向上には限界があり、流れは助産師に戻った。「日本では戦後、助産師が女性の職業として認められ、敬意を集めていた。そんな経験が、日本独自の路線を描いてきたのかもしれない」(小原さん)。そうした日本の取り組みも、保健省からの厚い信頼につながっている。

地方には「自分たちを支援する援助機関がいないことが問題だ」と言う人々もいる。しかし、自信をつけた国立母子保健センターの医師や助産師は、そんな彼らの気持ちを理解しながらも、「自分たちの足で立てるようになろう」と、かつて日本人専門家がやっていたように励ます。「プロジェクトを通じて中央と地方の対話が進めば、地方の助産師が自分の足で立ち上がるための支援体制ができるはず」と小原さんは言う。

「チュロン・トンレイ(大河を渡る)」——カンボジアでは出産のことをよくそう例える。大河を渡るくらい出産は危険な行為だと考えられているからだ。人類が滅びることのない限り、未来永劫続く母子保健。カンボジアのすべての女性がもっと自分の体を気遣い、一人一人が安心して出産を迎えられるよう、その“試金石”として、JICAの支援には期待がかかっている。