monthly Jica 2008年7月号

特集 母子保健 かけがえのない命をまもるために

Expert's View
専門家に聞く 母子保健と国際協力

2015年をターゲットにしたミレニアム開発目標(MDGs)のうち、「乳幼児死亡率の削減」を目指す目標4と「妊産婦の健康の改善」を目指す目標5の達成が危ぶまれている。開発途上国が抱える母子保健分野の問題は何か、日本は何を発信していくべきなのか。JICAの母子保健プロジェクトにかかわってきた萩原明子・JICA客員専門員に聞く。

「社会的弱者の重視・上からと下からのアプローチに着目した『人間の安全保障』の取り組みで成し遂げた日本の経験を発信したい」

萩原 明子(はぎわら・あきこ)

【写真】JICA客員専門員、課題アドバイザー(保健)。1963年神奈川県出身。米国オハイオ州立大学博士課程修了(Ph.D. ヘルスプロモーション・健康教育)。JICAスリランカ「ペラデニア大学歯学教育プロジェクト」長期専門家、ヨルダン「人口・家族計画・WIDプロジェクトフェーズ2」長期専門家などを経て、2005年8月よりパレスチナ「母子保健に焦点を当てたリプロダクティブヘルス向上プロジェクト」チーフアドバイザー。07年8月より現職。

1 開発途上国の母子保健分野の現状は?

途上国では母子保健の取り組みが非常に遅れており、MDGsの目標4と5の達成が懸念されています。新生児死亡の99%は中低開発国で起きていて、特にサハラ以南アフリカと南アジアで深刻です。70%の新生児死亡は、1ドル以下の廉価な方法で予防でき、子どもの死亡のほとんども予防や処置が可能な疾病によるものです。一方、研究費の99%が先進国で起こる1%の新生児死亡の研究に使われているという現状があります。

妊産婦死亡の99%も途上国で起きています。国や地域間の格差も大きく、妊娠や出産で命を落とす危険性は、途上国で16人に1人、先進国では2800人に1人です。

サハラ以南アフリカの状況が厳しい背景には、保健医療サービスが一番必要とされている貧困層にまで届いていないということがあります。都市には病院があったり、医師がいたりと、ある程度のサービスがあるのですが、へき地に行けば行くほど妊産婦のケアができない状況なのです。

アジアに特徴的なのは、女性蔑視、ジェンダーの問題ですね。特にインドを中心とした男子偏重の慣習や、中国の一人っ子政策、ベトナムの二人っ子政策が、女の子のケアを後回しにしています。途上国では医療全般が遅れている中、立場の弱い女性と子どもに焦点が当てられなかったということも、MDGsの遅れの背景にはあるのだと思います。

2 MDGs達成に向けた国際社会の取り組みは?

MDGsが目標6で掲げる感染症対策は、日本が2000年の九州・沖縄サミットで世界の感染症対策のための資金協調メカニズムを打ち出したことから、改善がみられています。しかしながら、これまで取り組みが遅れていた、母子保健、保健システム強化、保健人材育成などでも国際社会が協調し、支援の理念を具現化することが、7月の北海道洞爺湖サミットでも議題となる予定です。

日本は戦前戦後の100年間、目覚ましい母子保健の向上を図りました。母子手帳や母子衛生法、予防接種法など法制度の整備といった上からのアプローチと、保健師や助産師、ボランティアの人々の地域保健への参画など下からのアプローチが、全土で包括的に実施され、妊産婦死亡率や乳幼児死亡率の劇的な低下につながったのです。このような「人間の安全保障」に基づくアプローチを、サミットでは日本の経験として打ち出そうとしています。

日本の母子保健の特徴は、日本が開発した母子手帳に見られるように、妊娠期、出産期、出産後、赤ちゃんの胎児期、誕生後と、母子が一体化した継続ケアが受けられるところにあります。実は、この「母子の継続ケア」という考え方は海外では意外と新しく、これまでは母と子どもの医療がばらばらに行われてきました。ところが最近になってこのアプローチが注目され、2005年9月にやっと「Partnership for Maternal Newborn & Child Health」(PMNCH:妊産婦と乳幼児のためのパートナーシップ)という母子保健分野の国際協調の枠組みが設立されました。こうした国際的な取り組みの中で、日本が経験に裏打ちされたリーダーシップをとっていく必要があると思います。

3 今後、JICAに期待することは?

日本は国際保健の中心的役割を務めており、洞爺湖サミットでも母子保健分野への重要性を議長国として呼び掛ける予定です。しかし、政府開発援助(ODA)実績が世界第2位から5位に転落した日本が、援助対象国政府との現場での協働による技術移転、制度構築、社会変革を目指したキャパシティ・ディベロップメント※型の支援を中心とした保健医療協力を継続するためには、これまで以上に総力をもって、援助効果を最大化するための戦略が必要だと思います。MDGs達成に貢献するため、JICAの保健医療分野で強化されるべき点を次に挙げます。

(1)包括的母子継続ケア・アプローチ、キャパシティ・ディベロップメントによる保健サービスの質的向上など、日本の経験に基づいた協力の継続、(2)援助効果の実証的評価とその発信、(3)JICA事業を国家レベルへ拡大するための多機関との連携、(4)国際保健の上流部における援助動向の形成への参画、(5)インフラなど保健以外の事業との戦略的な連携、(6)安定した援助基盤を国内外に形成するための市民社会への発信。

昨年、インドでのリプロダクティブヘルス国際会議で、JICAブースに展示した日本の母子保健の取り組みが大きな反響を呼びました。JICAの協力でインドネシアやパレスチナに導入された母子手帳に関心を示す国も少なくありません。しかし、母子手帳の導入は、どこでも可能というわけではなく、ある程度の識字率や医療施設・医療サービスへのアクセスといった必要な条件があり、手帳を作って配るだけでは失敗に終わる危険も高いのです。そういう点も含めて、今後は、日本やJICAが積み上げてきたよい事例や適切な情報を、積極的に発信していくべきだと思います。

※ 途上国の課題対処能力が、個人、組織、社会などの複数のレベルの総体として向上していくプロセス。