monthly Jica 2008年8月号

特集 企業連携 経済成長を支える新しいパートナーシップ

PROJECT in Thailand(タイ)
アジアの自動車王国へ

【地図】タイ自動車産業を国づくりの柱にするタイでは今、国際基準の自動車生産が求められているが、産業を下支えする部品産業の人材が不足している。そこで2006年、日本とタイ両国の政府機関と民間企業が立ち上がり、人づくりに乗り出した。4者協働で始まった「自動車裾野産業人材育成プロジェクト」の活動を伝える。

日タイの政府と民間で人づくり

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2007年に稼動したトヨタ・モーター・タイランド社のバンポー工場。年産能力(1トンのピックアップトラック)は10万台、従業員は2,000人に上る(写真提供:トヨタ・モーター・タイランド社)

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プロジェクトの最高意思決定機関である委員会。ここに集まる日本とタイの政府と民間の4者の意思疎通と連携がプロジェクトのカギを握る

アジアのデトロイトを目指そう——

そんなタクシン元首相の構想から始まったタイの自動車産業振興。1997年のアジア通貨危機で一時停滞したものの、その後の日本をはじめとする海外の自動車メーカーの進出によって生産台数は年々増加し、2005年には100万台を突破。昨年初めて輸出台数が国内販売台数を上回った。乗用車の生産比率が高い日本とは異なり、タイでは乗用車としても荷物の運搬車としても利用できるピックアップトラックが半数以上を占める。堅調な伸びを示す背景には、国内はもとより、中東、オセアニア、欧州への輸出拡大や、導入が決定している“エコカー”生産への高い関心がある。

国産の自動車メーカーがないタイでの自動車生産は、すべて外資によるものだ。うち9割以上が日本のメーカーで、その多くがピックアップトラックの輸出拠点として生産を拡大している。市場が世界へ広がれば、品質・信頼性ともに国際基準を満たした自動車の生産が一層求められる。また、中国やインドの経済発展に伴って国際競争にもさらされた今、より付加価値の高い製品づくりが不可欠だ。

しかし、産業が急速に発展するにつれ、人材不足という問題が表面化してきた。ピラミッド構造の自動車産業において、その裾野部分で支える部品産業の人材がとりわけ足りない。元来農業国で、“ものづくり”の土壌が育っていないタイ。絶対的な人材の不足と同時に、高い技術力の熟練工も皆無に等しい。

そうした実態を受けて、タイ政府や産業界、盤谷(バンコク)日本人商工会議所を中心とした部品産業の人材育成に関する議論が始まった。JICAも99年から専門家を派遣。そこに社員教育に積極的な日系企業も加わり、“現地発”の人材育成構想が動き出した。そして06年、構想を本格化すべく、日本とタイ両国の政府機関と民間企業の協働により立ち上がったのが「自動車裾野産業人材育成プロジェクト」。4者協働で技術・技能の研修制度と技能検定制度を構築するものだ。

政府開発援助(ODA)で、日本の政府と民間、開発途上国の政府と民間が共にプロジェクトを推進するケースは珍しい。このプロジェクトに関しては、自動車部品メーカーなどのタイ産業界、自動車産業を国づくりの柱にするタイ政府、資源国であるオセアニアや中東、東南アジア諸国連合(ASEAN)域内向けの輸出基地としてタイでの生産拡大と技術者の安定確保を目指す日本の自動車メーカー、自動車産業の人材育成を日タイ経済連携協定の支援項目に掲げる日本政府の4者の思いが一つになり、実現に至った。

4者協働というだけあって、関係者は実に多い。日本の政府側からは経済産業省、日本貿易振興機構(ジェトロ)、(財)海外技術者研修協会(AOTS)、JICAが、民間側からは(社)日本自動車工業会、盤谷日本人商工会議所、トヨタグループ、ホンダグループ、デンソーグループ、日産グループが参画。一方タイの政府側は、工業省、労働省、国家経済社会開発庁、タイ自動車研究所、民間側はタイ工業連盟、タイ自動車工業会、タイ自動車部品製造者協会、タイ自動車技術者協会で構成されている。これら関係者は最高意思決定機関である委員会で3カ月に一度、プロジェクトの進捗(しんちょく)や方向性などを確認し合う。

実際に技術・技能力向上のための研修制度づくりに当たるのは、トヨタ、ホンダ、デンソー、日産という日本が誇る4企業の専門家たち。トヨタによる生産システム技術(トヨタ生産方式)、ホンダによる金型製作技術、デンソーによるものづくりマインドと製造技能—どれも、各社の社員教育の内容がそのまま活用されており、一般的な技術移転の範囲を超えたレベルのノウハウが惜しみなく注ぎ込まれている。そして、日産による技能検定制度の構築に生かされているのは、“技術立国”日本の国家技能検定の仕組みだ。

このように範囲の広いプロジェクトを取りまとめ、スケジュール管理や委員会へのアドバイスを行うのがJICA専門家の亀屋俊郎さん。「民間との連携で政府側に求められるのは、各社の活動の問題点を把握して解決に向けたサポートをすること、そして民側のスピード感についていくこと」と話す。

ものづくりマインドを鍛える

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ものづくりマインドを教え込むデンソーの荒谷さん。気付きを促す研修のため、一方的な説明にならないよう、受講生の理解度を確認しながら進めている

プロジェクトでは、日本人専門家が各種技能や教授方法を指導し、まずタイ人の指導者を育成する。次に、晴れて指導者となった彼らが社内や同業の技術者・技能者に研修を行い、人材を育てていく。そしていずれタイが自立して研修制度を運営できる体制をつくる。

世界有数の自動車部品・システム製品の総合メーカーで、「世界トップレベルのモノづくり」にこだわり、事業を展開するデンソー。同社が担当するのは、管理監督者としての考え方や行動、仕事への取り組み姿勢といったものづくりに対するマインドを鍛えることと、機械や電気などの製造技能を向上させることだ。

デンソーは、自社の海外生産拠点の自立に向け、技能分野の人材育成を現地で推進する体制づくりを行っている。その最前線にいるのが、株式会社デンソー技研センターの荒谷典正(つねまさ)専門家。過去10カ国以上で体制整備を経験したベテランだ。

荒谷さんは、初めに指導者育成として、部品メーカーのリーダークラスに対し「働く者の心構え」を伝授。その内容は、あいさつに始まり、時間厳守や4S(整理・整頓・清潔・清掃)など、ものづくりをする上での基本が中心になっている。「タイの部品メーカーに必要なのは、現場の作業員から社長まで共通して『良い製品を提供し、お客様に喜んでもらおう』という意識を高めること。金銭的な課題はあるが、社内で人を育てる環境も整備する必要がある」と荒谷さん。研修の受講者からは新技術に対する質問や要望も多いが、自身の海外経験で裏付けられた「まずしっかりとした基礎を築く」という考えのもとで、彼らの“気付き”を促すよう、指導に当たっている。

検定で技能レベルを検証

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機械加工の技能検定員に、実技試験の課題となる加工工程について指導する日産自動車の角田憲昭専門家

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機械加工の技能訓練講座の様子。レベル3の受験費用(技能訓練講座+教科書+実技訓練+検定+評価)は1万バーツ(約3万円)と高く、各企業からの補助が得られるよう、働き掛けも行われている

他方、育った人材の技術・技能が確かかどうかを検証するのが技能検定制度だ。もともとタイには、ミクロン単位の精度が求められるような自動車製造に特化した国家技能検定制度がない。自動車技能といえば、修理や整備などアフターサービスを指し、製造過程の技能は含まれていない。しかし、自動車産業がこれほどの活況を呈している今、技能レベルを国家資格として認定することは、世界基準の自動車を製造する上で必須の取り組みだ。

技能検定制度づくりを担当する日産自動車株式会社の専門家たちは、各試験科目の検定員と技能指導員の育成に注力している。技能指導員とは試験前に行われる技能訓練講座の講師のことで、日本にはないタイ特有の仕組み。社内の先輩から指導やアドバイスを受けられる環境にないタイでは、日本のように自学自習で受験するのが難しいからだ。

これまでに立ち上がった試験は、機械加工や金属プレス、プラスチック射出成形、鋳鉄鋳造、仕上げ、機械製図、空気圧装置組立など27科目。すでに1500人近くが受験し、合格者は約1000人に達する。最上級のレベル3は、日本の国家技能検定1級(最上級)とほぼ同レベル。タイ人にとってはハードルの高いチャレンジだが、「国際競争力を付けるためには、このレベルまで引き上げなければならないというメッセージを彼らに示す必要がある」と森健三専門家は言う。

また技能検定制度には、技術者のモチベーションと地位の向上も期待される。途上国全般にいえることだが、産業界に名を連ねるのはほんの一握りの大卒で、現場の技術者とは賃金格差も大きい。「しかし、理屈でものづくりはできないし、現場の経験だけでもうまくいかない」と森さん。検定員や技能指導員になる人材は、まさしく現場の技術者。森さんらが「検定員になって業界を背負って立つんだ」と意識付けをすることで技術者たちの目の輝きが変わっていく。「そうすると、次世代の育成への意欲もわいてくるようです。技術者にチャンスを与え、企業内での待遇を改善させるよう、経営者にも働き掛けることも大切」(森さん)。

日本の最先端のノウハウを最大限に生かし、自動車産業の発展のカギとなる裾野産業の人材を包括的に育成する——これほどバランスの取れたプロジェクトは、政府単独でも、民間単独でも容易でない。利害関係者が多く、交渉や調整などに時間と労力がかかるが、その分、成果も2倍3倍と増していく。

タイが目指す2011年の生産台数は200万台。両国の政府と民間の力を一点に集中させることは、タイ経済の発展のみならず、日本経済にも好影響を与えるという大きな可能性を秘めている。