山の国が揺れた ネパール

2015年4月、ヒマラヤ山脈の麓にある小さな山岳国ネパールが、震災に襲われた。
すぐさま現地に向かった救助チームと、山岳地帯に病院を展開した医療チーム。
救援現場で奔走した隊員たちに、活動の様子を聞いた。

もろい大地に立つ仏教の都 家々が一瞬で崩れ去る

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カトマンズ

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救助犬と共に捜索を進める救助チーム隊員。この地区では、レンガ積みの建物は完全に倒壊してしまっていた

文殊菩薩が湖を干拓して作ったといわれるカトマンズ盆地。実際に、氷河期には一面の湖だったとされる。中世の仏教建築が豊富に残り、盆地全体がユネスコの世界遺産に指定されたこの地域は、観光地としても、ヒマラヤ登山の拠点としても世界的に知られる。そのヒマラヤ山脈は、インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突してできたものだ。今もインド亜大陸は北上を続け、ネパール北部に広がるヒマラヤ山脈を隆起させている。

2015年4月25日、ネパール中部で起きた地震は、地球物理学的に見れば必然ではあった。

マグニチュード7.8の地震は、首都カトマンズを含むネパールの広い範囲に被害を及ぼした。特にカトマンズはもともと湖だったために地盤がもろい上、レンガ積みの家など、地震に弱い建築が多く、被害は深刻だった。カトマンズ盆地に住む200万人弱を含め、被災者はネパール全人口の3割に当たる800万人に上った。「王宮付近など、私たちが最初に担当した市内の地域では、レンガ積みの建物が完全に崩れている状態でした」と、国際緊急援助隊(JDR)救助チームの一員としてネパールに派遣された、さいたま市消防局の角田実さんは話す。

日本は地震発生当日にJDR救助チームの派遣を決定し、翌26日には成田を出発して現地に向かった。海上保安庁第三管区海上保安本部羽田特殊救難基地で特殊救難隊の隊長を務める田尻智克さんは、「緊張のせいか、出発前のメディカルチェックで、どの隊員も血圧が高かったことを覚えています」と語った。田尻さん自身、特殊救難隊の一員としてJDRに派遣されると決まったとき、気持ちが高ぶったという。

しかし、航空事情などに阻まれ、現地に到着したのは地震発生からおよそ72時間後だった。経由地のバンコクからすぐにはカトマンズに入れず、いったん、インドのコルカタに退避したのち再びバンコクへ。過ぎていく時間に隊員たちも歯がゆさを感じていたが、同時に苦労したのが4頭の救助犬たちだ。ハンドラーを務めた警視庁警備犬訓練所の相田秀久さんは、長時間、輸送用コンテナから出ることができなかった犬たちのコンディションを心配したという。

壊れたレンガを積み直す 防災対策が復興後の課題に

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救助において重要なことの一つが、救助する側が怪我をしないことだ。危険な状況で、いかに冷静に対処するかが問われる

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今年10月、さいたま市消防局が主催した国際消防救助隊連携訓練。派遣がない間も、隊員は非常時に備えている

結局、現地入りが実現したのは4月28日の午後だった。警視庁警備部災害対策課救助隊指導班主任の澄川敏康さんは、被災した建物を見て、その脆弱さに驚いたという。救助チームは今回、カトマンズ市内と近郊の計3カ所で救助活動を行ったが、そのうち2カ所はレンガ造りの家々が崩壊した地区だった。隊員たちはレンガを手作業で運びながら、懸命の救助活動を行った。

角田さんは、地元の人たちががれきとなったレンガを大切にしていることに驚いたという。「家を建て直すための大切な財産だから、と言われたのです」。田尻さんは「救助作業を終えて振り返ると、先ほどまでがれきが積んであった場所がすでに更地となっていて、もう復興へと歩み始めているのだと思いました。ネパールでは歴史的建造物はもちろん、被災した家屋も、レンガなどで建て直すと聞きました。次の地震で死者をできるだけ出さないための対策が必要です」と語る。

今回の派遣に先立つ3月、JDRは国連による外部再評価(IER)試験を受け、最も難しい"ヘビー"の評価を継続獲得していた。「試験が予行演習となり、実際に派遣があれば自分たちがチームの中心となって活動するのだ、という意識があったので、準備でも慌てることはありませんでした。私たちハンドラーが気負ったりすると救助犬にも影響が出るので、平常心を保つよう心掛けていました。幸い、犬たちは、長時間のコンテナ輸送を終えてすぐに捜索活動を始めたにも関わらず、大きな疲れやストレスは見えませんでした」と相田さんは振り返る。角田さんも、「3月の試験で顔見知りがいたこともあり、お互いに連携が取りやすいと感じました」と話す。

従来より長丁場の約2週間の活動だったが、テントを使った野営ではなくホテルに投宿できたことから、活動環境は比較的恵まれていたという。その一方、いつまで続くか分からない救助活動の中で、モチベーションの維持や不安の解消が課題だった。「災害現場における自身の安全確保はレスキューの鉄則。その上で、状況に合わせて最適な救助を行うのが私たちの仕事です」という角田さん。遠い異国の地でも、いつもと変わらない救助活動を心掛けた。隊員たちは皆、こうした活動の裏で調整やコミュニケーションのために飛び回ったJICA職員たちへの感謝の言葉を語る。

3カ所目の担当地区となったカトマンズ北部のゴンガブ地区では、倒壊したコンクリートの建物の中にいるかもしれない要救助者を探した。1階、2階が倒壊した建物を捜索するため、傾いた3階部分の床に穴を開けて下の階にカメラを送り込むなど、懸命な作業を行った。澄川さんは、「床に穴を開けるときの機械の振動が建物に響いて、建物全体が揺れるように感じました」と、そのときの印象を語る。幸い、余震の被害や二次被災などは起きなかったが、残念ながら生存者を救出することはできなかった。

道路事情の悪さや行き交う人の多さ、建築物の脆弱さなど、ネパールが抱える災害対策面の課題をその目で確認した隊員たち。彼らが日本での救助活動にその経験を生かす一方で、日本はネパール全体の災害対応力を向上させるための取り組みを実施している。

"野外病院"初出動 地元住民の希望に

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医療チームが派遣されたのは、病院の数も少ない山岳地域だった。診察を求める人たちが大勢訪れ、スタッフは全力で対応した

一方、JDR医療チームは27日に派遣が決定し、29日に現地入りした。今回は、JDRとして初めて、手術ができる"フィールドホスピタル(EMTタイプ2)"での出動となった。社会福祉法人恩賜財団大阪府済生会千里病院千里救命救急センター医長の大場次郎さんは3度目、日本医科大学付属病院薬剤部主任薬剤師の加藤あゆみさんは4度目の医療チーム参加となるが、成田空港に集合した仲間のいつも以上の多さに、驚きとともに緊張を感じたという。

タイプ2の特長は、患者を診察するだけの診療所(EMTタイプ1)だけでなく、必要に応じて手術もできる設備を展開することだ。そのためには手術機材はもちろん、滅菌室や入院ベッドなども必要となる。何もない場所で、医療用テントを使って施設を作るのだが、現地では繰り返す余震がさらなる障害となった。

活動場所となったバラビセ村は、カトマンズから車で3時間ほどの山間部にある。近隣で手術ができる唯一の病院が被災し、JDRの"野外病院"には多くの患者が列を作った。当初、骨折などのケースはバラビセ村から車で2時間半かかる病院に搬送していたが、その病院でも患者をさばき切るのが難しく、JDR医療チームが手術の一部を引き受けることになった。

歩けないけが人を背負って運んで来る家族や、歩いて6時間以上の場所から診察をしてもらいに来る人など、訪れた患者はさまざまだ。こうした患者の多くが、さらに車で数時間の距離にある病院に行かずに済んだことは、今回の活動の大きな意義だと、大場さんは語る。

それだけに、活動中に大きな余震に襲われ、新たにけがをした患者など、まだ治療が必要な人たちを残して緊急退避せざるを得なかったのは心残りだった。大場さんは、骨折の手術のために全身麻酔をかけたところで余震が起き、手術中止を強いられた11歳の男の子のことを振り返る。「せっかく手術を始めるところまで準備しながら、中止して他の病院に搬送することになったのは、患者や家族には辛かったようです。自らも被災者である現地通訳の力を借りて十分に説明し、転院してもらいました。その後、私たちも彼の転院先の病院に移って医療支援を再開したのですが、そこで手術を受けたその子と家族の笑顔を見ることができて、ようやく安心しました」

一方、これまでの派遣では一人で活動してきた薬剤師の加藤さんは今回、もう一人の薬剤師と共に活動することになった。薬剤師といっても、JDRでの仕事は薬の処方や服薬指導などにとどまらない。薬剤はもちろん、検査キットや医療機器など、あらゆる資機材の管理役を務めるのだ。資機材の中には低温保存が不可欠なものもある。今回、輸送上の制約で冷蔵庫を別送しなければならなかった医療チームは、手分けしてホテルでペットボトルに入れた水を凍らせ、保冷剤代わりに使った。他にも、睡眠薬や向精神薬は日本から持ち込めないので、現地で手配するか、他の薬で代用しなくてはならない。「アレルギー症状を抑える抗ヒスタミン剤を睡眠導入剤として使うなど、国内では保険適応外使用となるような使い方も、時には必要になります」と加藤さんは話す。

日頃の業務で真摯に患者と向き合い、しっかりと自分の業務をこなしていなければ、被災地派遣などの非常時に対応することは難しいと語る大場さんと加藤さん。それでも、医療従事者としての責任を背負い、一つでも多くの命を救うために、これからもJDRの一員として活動を続ける予定だ。

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患者で込み合った薬局。薬の飲み方を指導したり、相手が子どもなら体重に基づいて薬の量を決めたりするなど、薬剤師の役割は重要だ

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薬品を低温保存するための冷蔵庫。今回は荷物の制限から後送せざるを得ず、工夫を凝らして急場をしのいだ