JICA Volunteer Story 無限大の可能性を信じて 水泳 生山咲 カンボジア

カンボジア水泳連盟のナショナルチームの未来をひらく

2016年1月から、カンボジアの教育青年スポーツ省水泳連盟にナショナルチームのコーチとして派遣された生山咲さん。日本とはまったく違う環境に戸惑いながらも、若い選手たちの思いに応えて指導を続け、結果を出してきた。今、カンボジアの水泳チームは、東京オリンピックを目指している。

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プールサイドで選手に声をかける生山さん(写真:石川正瀬)

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カンボジア

生山咲さんが初めてカンボジアのプノンペンにある練習プールを見たとき、その水は緑色だったという。「修理をする余裕がなく、ろ過装置が壊れたままだったからです。塩素もなく、掃除は手作業。ビート板やロープ、水着や帽子、ゴーグルなども足りない状態でした」。そんな環境でも生山さんの心をとらえたのは、選手たちの「泳ぐのが楽しい」「速く泳ぎたい」という純粋な思いだった。「水泳を教えてほしい! という意欲がとても伝わってきました」。

メンタルを鍛え自信をつけさせる

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ブダペストの世界選手権に出場したナショナルチームの3人の選手と。中央が生山さん。右端はカウンターパートのヘム・キリーさん

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プノンペン・オリンピックスタジアムにあるプールで練習するナショナルチームの選手たち。写真:石川正頼

生山さんはベビースイミングから始まり、大学卒業までの22年間を水泳とともに過ごしてきた。とくに東海大学の水泳部では女子主将を務め、4年生だった2014年にはジャパンオープンの女子50メートル平泳ぎで4位に入賞した。

卒業後の進路として、生山さんが選んだのはJICA青年海外協力隊だった。中学生の時『世界がもし100人の村だったら』を読み、国際協力の分野で働きたいと思っていた生山さんにとって自然な選択で、しかもちょうどカンボジアでのナショナルチームの指導者を募集していた。水泳の普及活動よりも競技者の指導に取り組みたかった生山さんにとって、まさに「これだ!」と思える出合いだった。

プノンペンに赴任した生山さんが最初に指導にあたったのは、10歳から15歳までのユースチーム。初めての国際大会で驚いたのは彼らの自信のなさだった。

「他国の選手と泳ぐのをこわがっていました。隅っこに固まって、誰にも見られたくないとビビッている。たしかに、100メートルのレースで25メートルも差がつくほど実力がなかったのですが、それよりもこのメンタルでは勝てるわけがない。まず自信を持たせるところから始めました」

松岡修造ばりに「なにが目標なのか?」「どうしていきたいのか?」「自分のいいところは?」「悪いところは?」と選手たちに問いかけ、メンタルトレーニングを週に1回取り入れ、徹底的に自分の泳ぎや目標を考えさせた。

その効果が表れたのは、生山さんが赴任してから1年後に行われた国際大会だった。他国の選手に臆することなく堂々と泳ぐ姿に成長を感じたと生山さんはふり返る。2017年からは12歳から31歳までのナショナルチームの選手を含む23人のトップチームを指導し、翌年ハンガリーのブダペストで開かれた水泳の世界選手権では、生山さんがヘッドコーチとして3人の選手を率いて6種目に出場し、そのうち5種目で自己ベストを更新した。

夢は標準記録突破で東京オリンピック出場

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カンボジア水泳界の期待の星、ヴォレア選手

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メコン河を泳いでいるところをヘム・トンさんにスカウトされて、水泳の才能を開花させたチャントール選手

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プールサイドに集まった教え子たち

「実は、カンボジア水泳と青年海外協力隊には深い関係があるんです」と言う生山さん。1966年、世界で全職種において初めて派遣された協力隊員の一人が中村昌彦さんで、しかもカンボジアが派遣先だったのだ。中村さんの指導で多くの選手が育ったが、ポルポト政権の時代に水泳界は消滅。その後、水泳連盟を再建したのが中村さんの教え子だったヘム・トンさんだった。

ヘム・トンさんは残念ながら2015年に亡くなるが、その最期に望んだのが、日本からの青年海外協力隊の派遣だったそうだ。「まるでヘム・トンさんに導かれるように、彼の命日のちょうど1年後にカンボジアにやってきました。私のカウンターパートは彼の息子のキリーさんなんです」と生山さん。

さらに生山さんが指導する選手の中には、ヘム・トンさんがその才能を発掘したチャントール選手がいる。地方の農村で働く彼がメコン河で泳ぐ姿を見て、ヘム・トンさんがスカウトしたという。

「選手には貧しい家庭の子も多く、生まれたときから人生が決まっていると考えている人が大多数です。そういう環境だからこそ、可能性は無限大だと信じられる選手であってほしいし、可能性を示すことができる指導者になりたいと思っています」と生山さんは語る。

今、生山さんが注目しているのは女子100メートル平泳ぎの15歳のヴォレア選手。1年間で自己ベストを5秒も縮め、2017年の東南アジアのユースの大会では表彰台には届かなかったものの0.1秒差で4位の成績を残した。

協力隊員の任期を終えた生山さんは、この4月からカンボジアのナショナル・トレーニングセンターと直接契約を結び、まだまだ伸びしろのあるカンボジアのトップチームを率いている。

「目標は東京オリンピック・パラリンピック。途上国枠ではなくオリンピックの標準記録を突破して出場することです。今の標準記録まではあと約5秒。十分可能性はあると思います」

プロフィール

生山 咲(いくやま さき)

1992年、埼玉県出身。母はスイミングインストラクター。生後6か月からベビースイミングを始める。2011年、東海大学教養学部国際学科入学。水泳部に入り、毎日水泳漬けの日々を送り、4年生のときには女子主将を務める。2014年9月の日本学生選手権で引退。2016年、青年海外協力隊の水泳隊員としてカンボジアへ赴任。2018年からカンボジアのナショナルチームのコーチを務める。