人や地域と交流を case1

心に火をつけたい。車いすで支える自立

神保康広さんは車いすバスケットボールの元日本代表。
現在、スポーツ用車いすの企画・開発に携わる一方で、パラスポーツの普及など社会貢献活動を行っている。原動力となっているのは、障害者としての経験だ。

【画像】

松永製作所はイギリス代表チームのオフィシャルサプライヤー。神保さんは整備士としてチームに同行することも。

スポーツがみんなの活力になる

「やばい」-そう思った次の瞬間、体は地上5~6メートルの高さを飛んでいた。バイクによる単独事故。時速140キロでブロック塀に衝突して下半身の自由を失った。1986年、16歳のときだった。

「もう生きていけない」。居場所のない社会に戸惑い、後ろ指をさされることも少なくなかった。やり場のない不満を募らせ、家に閉じこもる生活は2年続く。失意から救ってくれたのは車いすバスケだった。

後輩たちに伝える"自立"

【画像】

2004年アテネパラリンピックに出場。日本チームは8位に入賞した。

【画像】

現在も仕事の合間を縫って社会貢献活動を続けている。2015年と2016年の2度にわたってジンバブエで普及活動を行った。

「人生が劇的に変わりました。他の障害者と交流するなかで学校に行く手立てを教えてもらい、就職もできました。スポーツを頑張ったことで少しずつ前向きに生きられるようになったのです」と、神保康広さんは当時をふり返る。

その後の実績は目覚ましい。6度の全国制覇に4度のパラリンピック出場。30歳のときに渡米し、全米選手権での優勝も経験した。活躍の陰には友人や先輩たちの存在があった。「ふさぎ込んでいた私に車いすバスケを熱心に勧めてくれた友人や、お金も車もない当時、練習の送り迎えをし、車いすを譲ってくれた先輩など、多くの方々の支えがありました」。だからこそ「自分がしてもらったことを後輩たちに伝える」ことが引退後のテーマになった。

転機となったのは、2006年に青年海外協力隊として渡ったマレーシアでの経験だ。派遣の目的は代表チームの指導だったが、そこで見たのは"スポーツ以前"の状況だった。「現地の障害者はかつての自分と同じ苦しさを抱えていました。能力を発揮する場所がなく社会から隔離されている。なにより、自立のための気力が削(そ)がれていました」。

神保さんはコーチという立場を超えて選手たちに寄り添った。「この国に障害者の存在を知らせ、なんでもできることを証明するのは彼らアスリートだ」。発奮を促すべく、練習では厳しいメニューを自らやって見せ、コートの外では挫折から立ち直った自身の経験を伝えた。選手たちは飛躍的に成長し、現在では経営者になった人や、以前は周囲が許さなかった結婚をした人もいる。

【画像】

マレーシアで車いすバスケットの普及と代表チームの指導に従事。

【画像】

車いすを使用する青年海外協力隊員の派遣は神保さんが初めて。

いつかまた東南アジアへ

【画像】

選手にアドバイスする神保さん。豊富な経験を生かしてミリ単位で車いすを調整する。

協力隊の生活は充実していたが、個人での活動には限界も感じた。「いつか必ず帰ってくる」。そう約束し、次なる挑戦に選んだのが車いすの企画・開発だ。松永製作所に入社すると、スポーツ用の「MPシリーズ」をゼロから立ち上げ、今日に至るまでブランドを育ててきた。最大の特徴は「セミアジャスト」といわれるフレームだ。車いすバスケの試合では、選手同士が激しくぶつかり合うため車いすが壊れることも多いが、セミアジャスト車では壊れた部分を数分で交換でき、また溶接で固められていないフレームは適度にしなり高いターン性能を発揮する。

これがヒットした。2016年のリオ大会では日本代表選手8人が松永製作所の車いすを採用して知名度を上げ、2018年に欧州市場へ進出。イギリスチームにMPシリーズを提供し、翌年の欧州選手権で男子が優勝、女子が準優勝をしたことで海外からの注文も大きく伸びた。開発に着手してからおよそ10年。長い道のりだった。

途上国の障害者の自立を支援したいという思いは今も変わらない。現在はオリンピック・パラリンピック後を見据え、東南アジアでの事業を計画している。「マレーシアでは、修理されずに放置された車いすをたくさん見ました。障害のある方に技術を伝えて修理工場を造り、さらに車いすバスケの普及もできれば、仕事とスポーツの両面から自立を後押しできると考えています」。

実は一度マレーシアに進出して、「気持ちが先走って大失敗」した過去がある。小さな市場でビジネスと社会貢献を両立させる難しさもある。しかし簡単には諦めない。「なんでもできることを証明する」-これからもそういう道を歩み続ける。

「スポーツは身を助けるというのは本当にそう。仕事をしながら、同じような境遇の子たちを支援し続けたい」

松永製作所 神保康広(じんぼ・やすひろ)さん

【画像】

神保康広さん

1970年生まれ、東京都出身。18歳のときに車いすバスケットボールを始め、1992年バルセロナから2004年アテネまで4大会連続でパラリンピックに出場。2006年、青年海外協力隊としてマレーシアに派遣。現在、松永製作所でスポーツ用車いすの海外市場を担当するとともに、製品企画・開発に従事する。