アゼルバイジャンの発電所建設のコンサルタント業務を担った東電設計の佐藤光行さんは、事業にかける思いと行動力で資金難を乗り越えた。
文:松井 健太郎
「最後までやり遂げよう」
佐藤光行さんの声が東電設計の会議室に響き渡った。2014年8月、アゼルバイジャン政府が建設中のシマル火力発電所2号機に対する日本からの円借款の融資が終了し、それ以降の資金はアゼルバイジャン側が担う予定になっていた。しかし、おりしも同国は原油安などの経済の変動により通貨が暴落。政府による資金確保が困難な状況だった。
コンサルタント業務を担っていた東電設計の社内からはODA事業の終了とともに「事業から撤退するべき」との声が上がった。その撤退論を1号機の建設から関わる佐藤さんは強い口調で制したのだ。「工事を行うアゼルエナジー社とは信頼を築き、頑張ってきた。プロジェクトをこのまま放置してしまうこと、そして私たちエンジニアが撤退するのは卑怯だ」と。
しかし、声を荒げた佐藤さんの頭に一抹の不安がよぎったのも事実だった。円借款の終了時点で、2号機建設の進捗率は予定の60パーセント以下。当時、建設資材は高騰し、従業員への給料の支払いも大幅に遅れるなど、アゼルエナジー社は経営破綻寸前だったからだ。佐藤さんは社内の営業部の応援を得てアゼルエナジー社と直接コンサルティング契約を結んだ。
早速、事業の立て直しを図ろうと、アゼルエナジー社に対し首相府に補助金を要請するよう提案した。ところが、長年の協力関係により親友といっていいほどの信頼を築いていたビド・シャリホフ副首相から「君とは交渉しても、アゼルエナジー社とは交渉しない」との返答。佐藤さんは「私は交渉する立場にない」としつつも、できることがあるならと半年間以上も協議を重ねた。日本大使館のサポートもあり、ついに政府から支援が承認された。半ば放置状態だった建設現場は息を吹き返し、工事は一気に進んだ。
そして、2019年9月、イルハム・アリエフ大統領を迎えて2号機の竣工式が開催された。その前日、佐藤さんは中央制御室で出力上昇テストに立ち会っていた。食い入るように見つめるメーターが無事に最大出力に達した瞬間、感激で胸が詰まり床に膝をついてしまった。仲間と握手を交わした佐藤さんは、「あきらめないでよかった!」と喜んだ。
紆余曲折の末に完成した2号機だが、建設工事が始まった頃、2011年3月11日には東日本大震災が発生した。日本にいた佐藤さんに、アゼルエナジー社の仲間から安否を気づかうメールが多く寄せられた。1週間後に予定通り現地に渡航した佐藤さんは、お土産に桜の苗木を3本持参したところ、それをアゼルエナジー社が発電所構内に植樹。「この桜は被災者への追悼と、日本とアゼルバイジャンの友好の絆の象徴です」と黙とうを捧げてくれた。義援金も渡され、「感動で言葉になりませんでした」と佐藤さんは話す。
翌2012年、桜の木は可憐な花を咲かせた。そして、「震災復興に挑む日本人へのエールと、日本の協力に感謝を表すために、発電所を桜の花で埋め尽くしたい」と、アゼルエナジー社は「コーカサスで花サカス」という企画を東電設計の関連企業だった尾瀬林業とともに立ち上げた。100本以上の桜の苗木を自己資金で購入し、通関手続きを経て日本から輸入した。翌2013年、多くの花が咲いたものの、それ以後はどの木も花を咲かせることはなかった。「土や気候が合わなかったのでは」と佐藤さんと発電所所員たちは残念がったが、ふたたび桜を植えようという話がいま持ち上がっている。「もっと桜のことを勉強し育てたい」と両者は、友情の花だけでなく、桜の花も咲かせる日が来ることを願う。
「コーカサスで花サカス」プロジェクトは現地の新聞にも取り上げられ、桜が友好の証しとして広く知られた。
シマル2号機コンサルタントのTEPSCO(東電設計)チームは、大震災のすぐ後、仕事のためアゼルバイジャンに飛んで来てくれた。自分たちの国が大変な状況となっているにもかかわらず桜の苗木を3本持参して発電所入り口付近に桜を植えてくれた。発電所所長らが黙とうし、周囲に柵を設置した。大変感動的だった。
東日本大震災に見舞われ、日本では多くの桜も津波で流され、この年、日本人は桜を存分に楽しめなかった。しかしチームが持参した3本の桜は、このアブシェロン半島で咲いたのである。
日本人の技術の高さだけでなく、誠実な心にわが国の多くの人たちは感動した。
シマル火力発電所建設事務所長。中国の火力発電所建設をはじめ、ロシア、クロアチアの発電所調査業務などにも従事。現在はアゼルバイジャンの電力セクター全体の現況を調査するため、JICAの協力のもとに情報収集と確認調査を実施している。
「何事もあきらめず、最後までやり遂げたい」
日本語が堪能で、アゼルエナジー社との協議やアゼルバイジャン政府・関係機関との対応に力を発揮した。
11年前の春、日本の大学院での留学を終えてアゼルバイジャンに帰国しました。まもなくODA事業を請け負い、発電所を建設していたTEPSCO(東電設計)チームとの出合いがあり、今日の私の人生を決定づけた日となりました。無縁の電力の世界に飛び込み、これまで11年間、プロジェクトの運営の難しさに鍛えられました。
佐藤さんには「何事も絶対に最後まであきらめるな!いつもこれからがスタートだ!」と、私はずいぶん勇気づけられました。立派な発電所が完成し、チームの一員として日本のプロジェクトに参加できたことは誇りに思っています。電力インフラの課題・問題はたくさんありますが、引き続きベストを尽くします。