ポジティブのすすめ ケニア 写真・文:渋谷敦志

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夕方、カクマキャンプの一角でバスケットボールの練習をする南スーダンからの難民。制約の多い生活のなかで、スポーツが活力を与える。

ポジティブのすすめ(2020年9月号掲載)

1992年にスーダン南部(現在の南スーダン)から難を逃れて越境してきた人びとは、ケニア北西部にあるカクマで暮らし始めた。四半世紀以上経った今、19の国籍の人たちが生活するも、人口の多数を占めるのは南スーダンからの難民だ。ここで生まれ育ち、アイデンティティの喪失に悩む者もいるなか、“ポジティブ”という言葉を多く耳にする。この言葉に胸を痛めるのは、私たちの意識に潜む難民へのネガティブな視点の裏返しなのかもしれない。

下記サイトに他の写真も掲載しています。

写真家より

地面に伏せる痩せこけた少女。その後方で少女の方をじっと見ているハゲワシ-。「ハゲワシと少女」と題された写真を見たことがある人は多いだろう。1993年に南アフリカの写真家ケビン・カーター氏が撮影したその一枚を、僕は大学1年生のときに見た。内戦の災禍がもたらす過酷な現実、子どもたちを苦しめる飢餓。衝撃を受けた。もしあんな決定的瞬間を目の当たりにしたら、写真家は撮るべきなのか、救うべきなのか。自分ごとのように考えた。国際協力や人道支援に携わる人たちも、あの写真に心揺さぶられた経験があるのではないか。写真で知った以上、起きている悲劇を知らなかったとは言えなくなる。でも、いったい何ができるというのか。答えは出ない。それでも、なんとかしなければと前に踏み出す人がいるのだ。

そんな一歩を駆り立てる写真を撮りたいと願い、写真家を続けてきた。アフリカにはかれこれ30回は通っている。「ハゲワシと少女」が撮られた南スーダンには2013年に訪れた。スーダンから独立して間もない頃だ。ようやく自分たちの国を持ち、コミュニティを立て直そうと奮闘する人びとの姿を撮影した。あの少女が生きていたら25歳くらいのはずと思い、どこかで出会わないかと彼女の姿を探したものだった。

その年の暮れ、南スーダンは内戦状態に陥った。2017年には一部地域で飢饉が発生して極限の飢えがふたたび人びとを追い詰め、400万人もの難民が周辺国で避難生活を強いられていた。その現状を受けてウガンダ、エチオピア、ケニアを訪れ、南スーダンとの国境近くにある難民キャンプを撮影して回った。今回のケニアで暮らす難民の写真は、世界がコロナ禍に見舞われる直前、国連UNHCR協会の協力で撮影したものだ。

写真では現実を変えられないと心が空っぽになることもある。それでも、なぜ変えなければならないかという問いを投げかけることはできる。その「なぜ」が写真を見る人の内なる境界線を押し広げ、世界が自分以外のたくさんの人の「生きていく」という思いでできていることを想像する手がかりになればと願う。それが、僕が写真を撮るときに思うことだ。

渋谷敦志(しぶや・あつし)

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渋谷敦志さん

1975年、大阪生まれ。立命館大学産業社会学部、英国London College of Printing 卒業。高校生のときに一ノ瀬泰造の本に出合い、報道写真家を志す。大学在学中に1年間、ブラジルの法律事務所で働きながら本格的に写真を撮り始める。大学卒業直後、ホームレス問題を取材したルポで国境なき医師団主催1999年MSFフォトジャーナリスト賞を受賞。著書『今日という日を摘み取れ』(サウダージ・ブックス)、『まなざしが出会う場所へ─越境する写真家として生きる』(新泉社)など多数。JPS展金賞、視点賞などを受賞。

ケニア

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首都:ナイロビ

国名:ケニア共和国
通貨:ケニア・シリング
人口:5,257万人(2019年、国連)
公用語:スワヒリ語、英語

JICAの取り組み

JICAは、南スーダンなどの紛争地で発生する難民・避難民に対して、人道と開発の連携をふまえ、難民流入により影響を受けるホストコミュニティに対する支援や難民・避難民の生計向上支援などを行っている。

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