【セミナー報告】中南米3事務所長帰国報告会、それぞれの国で体感した社会・経済等の実態、協力の方向性を報告

2023年1月10日

ラテンアメリカ協会の主催によるJICA中南米のセントルシア・キューバ・ペルーの在外拠点事務所長による帰国報告会が11月2日にオンラインで開催されました。

殿川広康セントルシア事務所長は、50年に一度の洪水に耐えうる「セントルシア最長の橋の建設」や東カリブ地域で1970年代から取り組んできた水産施設建設の実績を紹介しました。
そして、「再生可能エネルギーや海藻サルガッサム問題について民間セクターと知恵を出して解決していきたい」と民間企業等との連携を呼びかけました。

2018年に設置されたキューバ事務所の2代目所長となった三田村達宏所長は、キューバの独特な社会経済モデルの現状と課題について、駐在時に起こった主な政治経済上の出来事を交えて「キューバの特殊性を理解し、現地の方々と『対話』を重ねながら関係づくりをしてきた」と報告しました。キューバの見えにくい実態、今後の協力の方向性を考える上での難しさを感じつつ、社会主義・計画経済の課題、外貨獲得の取組み、新しい中小零細企業に見る「民間セクター」の芽吹き、普遍的な社会サービスの持続性、海外移民ディアスポラの人材・資金の活用などに関し、独自の視点での考察を述べました。

ペルー事務所の中川岳春所長は、戦前・戦中・戦後においてペルー日系人のおかれた立場や状況など日系社会の歩みを紹介しました。これからビジネス活動する方や日本企業にとっても、ペルー日系社会との連携は不可欠であり、更なる日系社会との関係性の深化の期待を届けました。

次回(2月15日)は、パラグアイとニカラグアから帰国した2人の所長の報告会を開催予定です。
詳細はラテンアメリカ協会の下記のHPをご参照下さい。

【画像】

セントルシア事務所 殿川 広康所長、キューバ事務所 三田村 達宏所長、ペルー事務所 中川 岳春所長

各事務所長の報告

(1)『東カリブの現状と今後の協力の方向性』

殿川 広康セントルシア事務所長
(2021年4月から2022年8月までセントルシア事務所長を務める)

東カリブ地域へのこれまでの協力分野は「防災」「環境」「水産」で、主に次のような協力実績がある。

  • セントルシア国カルデサック流域橋梁架け替え計画:50年に一度の洪水に耐えうる『セントルシア最長の橋』の建設
  • ガイアナ国再生可能エネルギー・省エネルギーシステム導入計画:カリブ共同体本部の年間使用電力の半分を賄う太陽光システム設置
  • 東カリブ諸国での水産施設建設:1970年代から多数の水産施設を建設(地元の方から親しみを込めて「リトル東京」と呼ばれる施設もある)
  • 約400名の協力隊の派遣、10か国から約1600名の研修員の受入れ

今後については、防災・環境・水産等のこれまでの取り組みをすすめつつ、保健・教育・民間セクター開発にも取り組んでいきたい。特に「再生可能エネルギー」と「サルガッサム対策」については民間企業等と協力して進めていきたい。

≪再生可能エネルギー≫
東カリブ地域では輸入の化石燃料に依存し電力料金が高く産業力の低下にもつながっている。現状課題の対策として再生可能エネルギーの導入が進められているがまだ不十分であるため、民間セクター等との協力により実証事業を通じたデモンストレーショ効果浸透を図っていきたい。

≪サルガッサム≫
海藻「サルガッサム」がカリブ海沿岸諸国に漂着し、漁船の航行への影響や放置していくと悪臭となるため街の衛生や環境に多大な影響がでている。回収・廃棄は大きな負担となっているため、利活用の試みが行われているが、有効策がないのが現状であり、サルガッサムの商品化、肥料化、エネルギー化などへの活用方法を民間セクターと検討していきたい。

(2)『現場で感じたキューバの変革と今後の支援の方向性』

三田村 達宏キューバ事務所長
(2018年に設置されたキューバ事務所の2代目所長として2019年から2022年9月まで所長を務める)

現地職員を初めて採用するなど事務所の体制整備をしながら外部との関係構築を図ることに務めた。駐在中には「2020年の大統領・首相職の設置・就任」「第8回共産党大会」「反体政府デモ」「海外移民の拡大」等があり、現状把握に努めたが、限られた報道・情報開示、統計データの分析の難しさなど実態把握に困難が伴い、現地専門家との意見交換を重視した。
またコロナ前から歴史的・構造的な問題から停滞していた経済の課題、コロナで外資収入が途絶える中での負のスパイラルの加速化、さらに「二重通貨の廃止」という大きな転換期を迎え、経済はまるで「パンドラの箱」を開けたように、先が見通せない状況であった。
そのような中で4つの重点分野である「農業」「保健医療」「環境保全」「経済社会開発基盤の整備」に取り組むも、キューバの理想と現実の中で「キューバの中長期的な発展に役立てているのか」「キューバのニーズを満たす支援なのか」「人々のニーズ応えられているのか」と自問することが多く、キューバの特殊性を理解し、現地の様々な方々と議論と対話を積み重ねながら今後の支援の方向を検討した。
経済状況は混沌としこれまでの仕組みが機能しない中で、新しく導入された零細中小企業の独自の動きに可能性を感じた。例えば農業分野において、外貨獲得のためにチリ・ハバネロを丁寧に育て、きれいに箱詰めした商品をオランダに空輸。それにより得た外貨で輸入投入財を購入し、ビニールハウスの拡大など、さらなる生産拡大のための投資を行い始めている。国営企業では対応しきれていなかった分野で、「地方・民間」をキーワードとして、各地でやる気のある人材による独自の取組みの広がりに注目している。
しかし、多くの零細中小企業で「経験不足」「ビジネス計画立案が弱い」「公的資金ではなく海外の家族からの資金で運営」など、キューバならではの弱点も多く、今後の日本の支援のターゲットにもありうると考えている。
「社会主義か資本主義か」という単純な二項対立ではなく、自らの社会経済モデルを柔軟に更新しながら、キューバらしさを失わずに持続的な社会経済へと変化・深化して欲しいと考える。

(3)『ペルー日系社会について』

中川 岳春ペルー事務所長
(2019~2022年度にペルー事務所長を務める)

ペルーには世界3位の約十万人の日系人が住んでいる。他の中南米地域と異なり、JICAの前身の一つである旧・移住事業団による移住支援はほとんどない。また、他の近隣諸国と異なり日系移住地(コロニー)はなく、現地社会に溶け込んでいる点はペルー日系社会ならではの特徴である。
多くの県人会があるが沖縄県からの移住者が多く、県単位ではなく町村会県人会も存在するなど、沖縄コミュニティーの大きさを感じることができる。

中南米の国々の独立当初の農業労働者は、アフリカ系の人々や中国からの苦力(クーリー)が農業の中心だった。その後、ペルーを含む中南米の国々での労働力不足や、先んじて進んでいた米国への日系移民が米国での排日運動などもあり、中南米への日系移民の歴史が始まる。
ペルーの日系移民の取っ掛りは民間の移民会社による「さとうきび農園での農業業務に従事する契約移民」だった。契約書の表面上の高条件に夢を託し渡航したが、厳しい環境・待遇に耐え切れず、砂漠を歩いて脱走する方もいた。農園での厳しい環境を抜け出し、リマ市・カヤオ市などの街に到着し、理髪店や家具、商店でのビジネスで成功を収める日系人が増えてきた。日系人自ら各地に日本人学校を設立するなど経済的にも成功してきた。現在のペルー日系人信用組合に繋がる頼母子講(たのもしこう)などによる日系人同士の互助の仕組みもあった。
日系人社会は拡大し1930年代、ペルーの外国人の3人に1人は日本人が占めるに至った。日系人は経済的に成功を収めつつあったが、日系人を対象とした暴動がおこり店舗破壊や略奪など反日感情も高まっていた。
第2次世界大戦中、敵国となったペルーでは、日系人に対して集会禁止令、日本語禁止令、邦字新聞発行停止令が発令され、またペルー日系人も北米の日系人キャンプ収容所に送致される方も大勢いた。
終戦と共に、各種禁止令が解除され、反日感情も弱まり、日系社会が活気を取り戻し始めた。1990年代には、ペルーの不安定な政治経済や、日本での労働力不足を背景に、日本への出稼ぎに行く日系人も多かった。

これからビジネス活動する方や日本企業にとっても、ペルー日系社会との連携は不可欠だと思う。本日は時間の関係から詳しくは説明できなかったが、是非本日紹介したペルー日系社会の基礎情報をご活用いただきたい。