平成26年度1次隊/サモア/小学校教育
氏原 岬(香川県)
「いつか途上国に橋をつくりたい。」
これは、私が幼いころ、設計士だった父が何度か話してくれたことです。自分の力を世界で役立てるという選択肢があることを最初に認識したのは、父のこの話だったように思います。
小学校教諭として就職して7年。そのころテレビのニュースで「マンホールチルドレン」についての特集を見ました。それまで海外に出たことがほとんどない私にとって衝撃的な内容でした。日本にいては見ることができない事実が、世界にはあるのだと感じました。自分の目で世界を見てみたい、そのときに思い出されたのが、幼いころに聞いた父の話。途上国で自分が何かできるかもしれない。人のために役に立つことができるとしたら、それは、長年携わってきた教育しかない。世界の教育現場を見ることが、日本の教育現場に帰って来たときに何か役に立つかもしれない、そう思い職教員参加制度を使っての応募を決めました。
サモアの風景
村での生活
私の派遣先は、サモア独立国という南太平洋に浮かぶ小さな島国でした。協力隊の合格通知をいただいて初めて知った国でしたが、青い海と青い空、ココナッツの木が風に揺れる、ザ南国!といったサモアを私はいっぺんに好きになりました。配属先は、伝統的な生活が色濃く残る田舎の小さな村。そこでは、村じゅうの人々が温かく迎えてくれ、声を掛けてくれたり助けてくれたり。日本のような便利さはもちろんありませんが、本当に何不自由なく生活することができました。
その村の公立小学校で、私は算数と理科を教える活動に取り組みました。
理科の授業の様子
一番長く関わった子どもたち
私の活動は、主に子どもたちへの算数と理科の授業、先生方を対象にした指導法の研修会の開催でした。その活動の中で、たくさんの壁にぶつかりました。特に考えさせらたことは、「文化をどう理解するか」ということです。
当然ながらサモアには日本と違ったサモア独自の文化があります。それは生活だけでなく、学校生活の中にも脈々と流れています。大事にしているものの優先順位、先生の授業や仕事への考え方、子ども理解の在り方、立場によっての振る舞い方。私にはなかなか共感できないものも多く、「もっと~したらいいのに」「~すべきでは」と日本の文化を基準にした考え方から抜け出せませんでした。結局この文化の違いが大きな壁となって、活動が自分の思ったように進まないことも多々あり、イライラしたり落ち込んだり悩んだりすることがありました。
サモアのために何ができたのか、それについては自信を持ってこれだということはできませんが、私が学んだことは数えきれないほどあります。
目の前の子どもたちが分かる・できるためにと考えること、そのために授業や教材を工夫すること、どのような順番で何を教えたらいいのか系統性を大切にすること、子どもの力を信じて根気強く指導すること。忙しい日本の現場でついおろそかになってしまっていた、「教師の仕事」に向き合うことができたように思います。また先ほどの壁にぶつかった経験も、振り返れば私自身の教師として、日本人としての気づきや成長につながりました。日本では当たり前だった「日本の文化」を再認識し、日本の教育現場に帰ったとき私自身大事にすべきものを発見できたと思います。教師として教育観・児童観の広がり・深まりがあった、大変有意義な1年9ヶ月でした。
帰国後私は小学校教諭に復帰し、日本の子どもたちを前に日々格闘しています。サモアでの経験が自分の1つのものの見方や考え方となり、判断のフィルターになっていると感じます。今後も協力隊経験を土台にして、子どもや教育について考え、実践していける教師でありたいと思います。