輝く未来に向かって生きる子どもたちのために(前編)

【写真】増矢 幸子(徳島県)平成24年度3次隊/グアテマラ共和国/助産師
増矢 幸子(徳島県)

人生を変えた本との出会い

出発の日

 私が国際協力に関心を持ったきっかけは中学生のときに読んだ一冊の本との出会いだった。それは長年ユニセフの親善大使を務めている黒柳徹子さんの「トットちゃんとトットちゃんたち」という本で、この本との出会いが私の人生を変えた 。読み進めるうちに、下痢や栄養失調などのありふれた病気でたくさんの子どもたちが亡くなっている現状を知り、ショックで涙が止まらなかった。同じ時代に生きているのに、生まれた場所や環境が違うだけでこんなに違うのはどうしてだろう、世界の子どもたちのために私に何かできることはないかと必死で考えた。当時は今ほどインターネットが普及しておらず、私が何かを調べるときはいつも町の図書館だった。そこで、「青年海外協力隊になるには」と書かれた本を手に取り、いつか私も!と心に誓った。その後、医療の現場で経験を積んで「青年海外協力隊」に応募しようと決め、助産師として6年働いた後に青年海外協力隊を受験した。試験合格後に訓練所に入り、念願だった協力隊としての派遣が決まってからは数日で荷造りを終え、あっという間に出発の日を迎えた。

第二の故郷グアテマラ

ホームステイ先の家族

 私が派遣された「グアテマラ」は、メキシコの南、中央アメリカに位置している。よく「暑そうだね」と言われるが、私が住んでいたトトニカパン県モモステナンゴ市は標高2200mの山間部であり、秋の始まりのような少し肌寒い気候であった。日本でいうグアテマラのイメージといえばコーヒーだろう。しかし、実はその他にも美しい民族衣装ウィピルやマヤ文化の伝統が色濃く残るとても魅力的な国である。元々は縁もゆかりもない場所だったが、今では私の大切な家族や友人が暮らす大好きな第二の故郷であると感じている。

言葉の壁を越えて

近所の子どもたち

 私の配属先モモステナンゴ市保健センターでは妊産婦および乳幼児死亡率の高さが問題となっており、妊産婦ケアの知見を有するボランティアの要請がなされた。初めてやってきた日本人に驚きつつも、みな歓迎してくれた。しかし、せっかくもてなしてくれるのに、勉強したはずのスペイン語がほとんど分からない。最初は頑張るしかないと意気込んでいたが、何を聞いても分からないことだらけで、何のためにここまで来たのかと落ち込むことも多かった。そんな時、保健センターの近所に住む子どもたちが私の名前を覚えて「サチー!!」と呼んでくれるようになった。出勤時には私が見えると「早くおいでよ」と迎えに来てくれ、帰る時には「また明日ね」と見えなくなるまで手を振ってくれた。早口のスペイン語はほとんど聞き取れなかったが、彼らが私を大事に思ってくれていることが伝わってきた。言葉が分からないという理由で壁を作っていたのは自分自身だったことに気がついた。彼らに勇気をもらってからは、間違っていても恥ずかしがらずに積極的に話しかけることができるようになり、活動の幅も広がっていった。「目の前の人を大切にすること」を教えてくれた小さな友人たちに今も心から感謝している。

伝統的産婆と共に

職場の同僚

伝統的産婆

伝統的産婆と保健センター医療者の研修

 活動を進めるうちに、モモステナンゴ市では約7割弱の妊婦は伝統的産婆(産婆=助産師の旧称)に付き添われ、自宅で出産していることがわかった。伝統的産婆は経験的に出産を助け、それを生業としているが、医療の専門教育を受けておらず、時に誤った判断をしてしまうこともあった。私は、職場の同僚が運営していた伝統的産婆の研修を手伝わせてもらうようになった。研修で彼女たちと関わるうちに、彼女たちがどれほど温かく妊婦や家族に寄り添っているか、痛いほど伝わってきた。研修では妊婦の異常が少しでもあれば保健センターに来るように伝えていた。しかし、彼女たちが保健センターに妊婦を連れて行っても、妊婦の家族からは「どうして自宅で産めないのか」と責められ、保健センターの医療者からは「どうしてこんな風になるまで放っておいたのか」と怒鳴られるという話を聞いた。確かに、手遅れの状況では母子の命に関わってしまうこともあり、とても難しい問題だった。しかし、「母子の命を守りたい」という思いは立場が違っても同じである。そこで、伝統的産婆と保健センターの医療者との合同研修会を企画し、それぞれの意見を交換し、表彰し合う場を設けた。お互いに認め合い、協力し合える関係性を築く第一歩になったと信じたい。

【後編に続く】