釜石便り

【写真】山口 哲史さん(愛媛県)H23年度1次隊/ニカラグア共和国/小学校教諭
山口 哲史さん(愛媛県)

はじめに

私は、2013年6月に青年海外協力隊としての活動を終え、ニカラグアから帰国。その後、同年9月から岩手県釜石市で復興のお手伝いをさせていただいています。
東日本大震災からもうすぐ4年。釜石市をはじめとした三陸の様子をお伝えします。

釜石市の概要

橋野高炉跡

釜石市は岩手県沿岸南部に位置し、北が大槌町、南が大船渡市、さらにその南が陸前高田市です。
人口は約3万6千人。「鉄と魚の町」として発展し、幕末から明治にかけて使われた洋式高炉の遺跡である橋野高炉跡は、世界文化遺産への登録を目指しています。
また、過去に新日鉄釜石ラグビー部が日本選手権7連覇を達成、「北の鉄人」と呼ばれたことが記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。漁業が盛んで、さんま、わかめ、鮭などが特産です。

東日本大震災における釜石市及び周辺の様子

釜石市では、震度5強の揺れを観測。津波の高さは9.3mであったと推定されます。
被害状況は、死者が888人、行方不明者が152人、家屋倒壊数が約3,600棟です。

2014年10月11日、12日、姉妹とともに釜石市・大槌町・陸前高田市を巡りました。その時の様子をレポートします。

津波の被害を受けたと思われる建物

青い線が津波浸水深の表示

<10月11日/釜石市中心市街地>
私の住む釜石市。中心市街地付近には、2014年3月に大型商業施設ができ、飲食店も増え始め、私の赴任当初より「復興が進んできている」と感じていました。しかし、未だに津波の被害を受けたと思われる建物が残っています。
また、海のすぐ近くにあるこの建物には、津波が到達した高さが記されていました。建物の3階付近にまで達したという事実に、津波の威力の大きさを感じます。

風の電話ボックス

大槌町旧役場庁舎

<10月12日/大槌町>
まず、大槌町にある「風の電話ボックス」を訪れました。 
電話線は繋がっておらず、会えなくなった人に想いを伝える空間です。大槌町のガーデンデザイナーの方が、「心の復 興のきっかけになれば」と自宅の庭に設置されました。電話ボックスの中のノートには、訪れた人々の想いが書かれていました。
大切な人を突然亡くしてしまう、それがどれほどつらいことなのか想像もつきません。少しずつ人々の心が癒されることを願っています。

次に、旧大槌町役場庁舎を訪れ、その周辺の様子を一望できる山に登りました。この旧役場庁舎は津波に襲われ、町長を含め、職員約40人が犠牲になりました。現在、正面玄関がある部分は、震災遺構として保存が検討されています。
山の上から見下ろした旧役場庁舎周辺は、震災から3年半が過たった今なお、更地の部分がほとんどでした。「復興にはまだまだ時間がかかる。」そう感じました。

巨大なベルトコンベア

奇跡の一本松

<10月12日/陸前高田市>
 午後からは、陸前高田市を訪れました。ここ陸前高田市では、市街地が丸ごと津波にさらわれました。中心部には、土を運搬するための巨大なベルトコンベアが設置されていました。これを使い、高台造成地から出る土砂を市街地まで運び、平地部のかさ上げに使います。
 このベルトコンベアを見上げながら中心地を歩き、「奇跡の一本松」に到着。約7万本と言われる高田松原の中で、唯一耐え残ったのが、この「奇跡の一本松」です。
海水を被ったことでダメージを受け、平成24年5年に枯死が確認されましたが、復興のシンボルとして後世に受け継いでいくため、人工的な処理を加え、モニュメントとして保存されています。空に向かって力強く伸びる一本松に勇気をもらいました。

東京の方の応援メッセージ
(ツール・ド・三陸inりくぜんたかた・おおふなと にて)

 釜石に赴任してから、早くも1年半になろうとしています。
職場の方、同じ仮設に住まわれている方、仮設店舗の方…、たくさんの方々に支えていただいての釜石での生活も、3月末までとなりました。
 釜石には、まだたくさんの仮設住宅があり、盛り土が終わるまで家を建てられない地区もあり、復興は道半ばです。このレポートを通して、少しでも釜石をはじめとした三陸の様子を知っていただければと思います。