【青年海外協力隊50周年企画】協力隊を支えた四国の初期隊員たち-2(香川)後編

【写真】三好 稔さん(香川県) 1972年:タンザニア/2003年:ジャマイカ/2006年:フィジー/2009年:ボリビア 職種:自動車整備
三好 稔さん(香川県) 

シニア海外ボランティアに応募した経緯は?

20歳で協力隊に参加しましたが、現地での生活、活動において「技術・知識不足が原因で満足する結果が出せなかった」という想いがあり、いつかもう一度参加したいとずっと思っていました。
シニア海外ボランティアに1回目応募しようと思った時は42歳でしたが、家内に相談したところ、あっさりと子供の学校が終わるまではダメと言われました。
2回目応募した時には娘が大学卒業前で、妻に黙って応募したら受かってしまい、打ち明けたのは語学研修に入る前でしたが、妻は諦めていたのか何も言わずに見送ってくれました。その後、会社を辞め、一ヶ月後には東京に行っていました。

現地で仕事をする上で感じた青年海外協力隊とシニア海外ボランティアの違いは?

シニア海外ボランティアと言うだけで、相手が青年海外協力隊の時に比べ私の提案を素直に聞いて貰えたので仕事自体はやり易かったです。

それぞれの国での印象での印象は?

ジャマイカ

フィジー:生徒と

ボリビア:職場仲間と

ボリビア:oruro

ジャマイカは、初めてのシニア海外ボランティアとして参加した地でした。
任地は人口3000人程の小さな田舎町にあるジャンクション職業訓練学校で、自動車整備をカウンターパートに指導しました。24時間レゲエの音楽が流れていて、最初は何時寝るのだろうと思っていました。

2回目のフィジーでの赴任先は首都のスバで、カウンターパートと共にPWDという公用車の保守整備をしている整備士への基礎研修を職場内で立ち上げ、整備士の技術向上開発を行いました。
フィジー人は、屈強な体つきの割には物静かで優しく、素直な人達でした。

3回目の任地は、ボリビアの首都ラパスから1500?q離れた人口約70000人のトリニダ市で、シニアでは珍しく田舎に派遣されました。仕事はゴミ処理場で、20年前に日本からの援助で入ったゴミ回収車やキャタピラー等の保守整備と整備士への指導に関わりました。
ボリビアでは、任期途中にクーデターが発生して、派遣されていたボランティア全員でホテルへ避難し、避難生活を楽しませてもらいましたが、そんな中でも警察と病院には無関係でした。
トリニダの人達は、週末は飲んで、踊って、食べてとパーティー好きな人達でした。

今まで4回の海外ボランティア活動をしましたが、一度も怪我、大病、盗難、強盗等の事故に遭った事はありませんでした。そして、どの国の人達も私を歓迎してくれ、また厄介ごとを持ち込んでは私を楽しませてくれました。

三好さんにとってJICAボランティアとは?

【画像】・常に新鮮な気持ちになれるところ。
・価値観の違う人達と出会う事で毎回新しい発見があるところ。

今後の展望、目標、野望等がございましたら教えてください。

今の仕事である「NPO法人 かしの実作業所(障害者自立支援組織)」を早く軌道に乗せ、香川県内で利用者さんへの工賃支払い額をトップにしたい。

皆さんへのメッセージを!

ピンチはチャンス!トラブル発生時がチャンス!