イスラムを知り、禅僧を目指す

平成26年度1次隊/ジブチ/理科教育
照峰 直伸さん(愛媛)

協力隊への道 (派遣前)

実家である西光寺

大三島からの景色

私は愛媛県・大三島の西光寺という禅宗のお寺に生まれました。
物心ついたときから、
「絶対にお寺は継がない」
と神様に誓いたいほどお寺は嫌いでした。
「命が失われることから利益を得ているのでは」
という見当はずれの思い込みがあったのです。
しかし、自分の家は嫌いでも、生まれ育った村や島は大好きでした。
大三島は田舎を絵に描いたようなところで、人は親切、自然豊かです。

多くの自然に囲まれて育ったせいか、私はいつの間にか理科に興味をもっていました。
そのままの流れで大学も仏教とは全く関係のない理学部へと進みました。
当時は実家や宗教に対する反発が大いにあったように思います。

しかし、二十歳のときに転機がありました。
一年のうちに母方の祖父母をともになくし、そのお葬式で初めて、父がお勤めをしている姿を真剣に見たのです。
いつもくだらないことや古くさい考えばかりを押し付ける父が、そのときは「尊敬すべき偉大な存在」であるように映りました。
「人の命が終わるときと真剣に向き合う」
これほど立派なことはないなと思いましたし、その気持ちは今でも全く変わりません。
そして、私は禅僧になることを決意しました。

「でも、お坊さんになる前にやりたいことがある。わずかでも誰かの役に立ちたい、ほかの国・ほかの宗教を見てみたい、だから少しだけ時間をください。」
両親にそう言って私は協力隊への道を歩み始めました。

ジブチでの自分 (派遣中)

ジブチの夜景

福澤諭吉中学校

学校の生徒たちと

環境クラブでの活動の様子

2014年夏。私は世界で一番暑い国ジブチに派遣されました。
そこで私を待ち構えていたのは、本能的に危ないと感じさせる強い日差しと、どこにいても湿気をまとったサウナのような暑さでした。
小・中・高、12年間皆勤の体力だけが取り柄の私も
「これはドえらいところに来たぞ」と正直不安になりました。

暑さを象徴する例としてふさわしいかはわかりませんが、ジブチの小中学校は5月末から9月中旬まで、3カ月以上夏休み(バカンス)です。(ただただサボり癖のある国民性と言えるのかもしれません。。。)

そんな夏休みの多いジブチの学校の中でも、私は日本の無償資金協力で建設された「福澤諭吉中学校」に配属されました。
オシャレな校舎・大きなグラウンド・体育館・安倍首相が寄付されたABE文庫など、日本とジブチの友好の証となっています。

また、福澤諭吉中学校は「FUKUZAWA」というアルファベットで記され、現地の言葉で「共にひらく」という意味になります。
教科書を「共にひらく」
新たな道を「共にひらく」
教育するにあたって、これほどいい言葉はないと今でも思います。

「FUKUZAWA」での活動は主に、
(1)理科室・準備室の整理整頓
(2)実験ビデオの作成
(3)学校花壇や環境クラブ等の特別活動
の3つを行いました。

「わずかでも誰かの役に立ちたい」

そんな気持ちとは裏腹に、教育者としての責任感、整理整頓に対する意識、使いこなせない語学から生じる問題など高く厚い壁にぶち当たりまくりました。

これらの壁を乗り越えられたのかどうかはわかりません。
しかし、どれも自分をとことん見つめさせてくれたことは確かです。

また、本来の活動とはあまり関係のない面でも、ジブチで自分を見つめる機会がありました。

派遣されてからちょうど1年後の夏、ラマダンもしくはラマダーンとして知られているイスラム教の断食(約1カ月間、太陽の出ている間は飲まず食わず)に挑戦したときのことです。

「ほかの宗教を見てみたい」

心に留め続けていた気持ちに突き動かされ、私は断食を始めました。
しかし、断食を始めて気づいたことは、
「一番暑い国の一番暑い時期に一滴も水を飲めない生活が楽なわけがない」
ということでした。

「誰も見てないし、少しくらい水飲んでもいいよね…」
弱い自分が幾度となく自分に問いかけました。

そんな私とは対照的に、道行くジブチの人たちは平気な顔をしていました。

「この人たちは本当に断食しているのだろうか。どこかに隠れてこっそり水を飲んでるんじゃないか。」
私は通り過ぎていく人々を疑いました。

ジブチで生活を始めてから1年間、ジブチの人たちから計画性や忍耐力をほとんど感じたことがなかったからです。
苛立ちは日に日に増すばかりでした。

そんな日々を2週間ほど繰り返したある日、一日終わりの日記を書きながら一つのことがスッと腑に落ちました。

「自分ができたのか・できなかったのかのみを評価すべきである。
それに、自分が他人を評価すべきでないし、できないのだ。」と。

この一見当たり前のように思えることも、断食をやってみて初めてきちんとわかりました。

だからこそ、「やってみなければわからないこと」や「自分を見つめるということ」が、
今後、私が伝えていかなけらばならない禅(ZEN)なのだと思います。

現在とこれから (帰国後)

正眼短期大学

現在、私は岐阜県にある正眼短期大学で仏教の勉強をしています。
一方で、知り合いや友人の多くが「自分は無宗教だ」と言っています。
それはなぜか。
理由はさまざまかと思いますが、根本的には
「よくわからないから」ではないかと思います。
日本人がもっている宗教に対する嫌悪感も
根源には「きちんと理解できていない」という面があるように思います。
実際、日本で報道されるイスラム教(極悪非道)と、私がジブチで見てきたイスラム教(善良穏健)には大きなギャップがあります。

「学ぶこと」と「伝えること」
今の私にできることはこの2つだと考えています。
多くの人にとって仏教をわかりやすく伝えられるように、
まずは、しこたま勉強します。

短大で1年間仏教の基礎を勉強したのち、
来年2017年の秋から、短大に隣接する「正眼寺」というお寺で修行を始めます。
そして、禅僧になるための修行を3年間した後に、島に帰り実家を継ぎます。
島に帰ってからは、「ふるさとへの感謝の気持ちを伝えたい」と考えています。

私の地元である大三島は、
少子高齢化と過疎化がF1レーサー顔負けのスピードで進行しています。
参考までにですが、大三島の高齢化率は10年前の時点で43%を越えています。
それに加えて、若者(私と私の兄弟・友人)は島の外に出たっきりで帰ってこれません。
それはなぜか。
一概には言えませんが、
「仕事・職場がないから」というのが最も大きな原因と考えられます。

このままでは、間違いなく島の人口は減少し、伝統や文化、学校や職場はなくなっていきます。

「ふるさとを失いたくない」
お寺を継ぐと決めたときから私が常々思っていることです。

ではどのようにして島に人を呼ぶ・呼び戻すのか、その中で協力隊員としての経験をどう活かすのか。

大三島は「観光資源(神社仏閣・サイクリング・近代芸術など)」に恵まれていますし、
私自身の「宗教・教育・語学などの異文化に触れた経験」も活かすことができるのではとないかと考えています。

そこで、インバウンド(外国人観光客)を対象のひとつとした、
仏教的なアクティビティ(座禅・写経・精進料理など)を展開することで、
島内外におけるヒト・モノ・カネ・情報の出入りを活発化させ、
新たな職場をつくりだすことができるのではないかと考えています。

島から出たっきりの若者を呼び戻し、田舎に住みたいと考えている人たちを呼ぶことで、
「家族で住みやすい島づくりをする」
それが大きな目標としての私の夢であります。


最後に、ちょいとひとりごとです。
ジブチで使用していたフランス語という言語は漢字で表すと「仏語」、「ほとけのことば」と書きます。
また、私の名字である、「テルミネ(terminer)」は仏語で「終わらせる」という意味です。
誰かや何かの一生を、誠心誠意「終わらせる」ことのできる、そんなお坊さんになれたとき、きっと私の人生もテルミネ(terminer)できるのではないかと思っています。

長文かつ駄文であったかもしれませんが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。