スーダンで暮らした日々、そして未来へ

【写真】伊東 亜希子さん(徳島)平成26年度2次隊/スーダン/コミュニティ開発
伊東 亜希子さん(徳島)

不安を抱えながら始まったスーダンでの生活と活動

砂の国スーダン

ナイル川

路上のお茶屋

スーダン料理

2014年秋、飛行機から降り立ったスーダンは、セカンドサマーに突入していました。40度の気温、照り付ける太陽、舞い上がる砂。到着後に喘息のような症状が現れ、病院で検査するという始まりでした。また、出国前に配属先が未定になり、到着してから政府機関の障がい者評議会に決まったものの、全く予想していなかった未経験の分野に、不安な気持ちがつのりました。

1年中、夏だと思われるかもしれませんが、スーダンにも短い冬はやってきます。夜になると、乾燥している分、体感では1割増しで寒く、けれど昼間は暑いという、なんとも服装に困る気候です。びゅーっと風の音が聞こえると、ワンテンポ遅れて家の中にも風が吹く、そして防寒具は毛布1枚。軟弱な私は1か月に1度は風邪をひくという状況が春まで続きました。

活動はといえば、本当に1歩1歩です。それまで障がい者の方とほとんど接したことがなかったため、どこか恐れに似た感情がありました。アラビア語が通じないよりもさらにコミュニケーションが取れないことに戸惑ってもいました。それでも、握手をする、挨拶をする、同じ場所で過ごす日々が積み重なると、徐々に障がい者の方と働く環境に慣れていきました。
そんな私を支えてくれていたのは、スーダン人の温かさでした。職場の人たちは、初めて迎え入れた日本人を何かと気にかけてくれました。食事に誘ってくれたり、買い物に付き添ってくれたり、結婚式に呼んでくれたり、生活の知恵も授けてくれました。顔見知りになった近所の人たちとも、挨拶をかわし、時に路上のお茶屋でシャーイ(紅茶)をごちそうになりました。
けれど、仕事は停滞していました。私が部署の人たちと決めたのは、障がい者の現場の状況を知るために調査し、それを形にするということでしたが、なかなか理解と協力が得られなかったのです。人脈が広がったと思えば、配属先で人事異動が起こり、活動が始まったと思えば、ラマダン(断食)になって仕事どころではなくなり、自分の活動の意味も見失っていきました。

活動の転機

BOKURA2015

Tシャツアート展

そんな時、私の出身地である四国のJICAから、Tシャツアート展のお話をいただきました。世界各地で活動する青年海外協力隊隊員の撮影した写真がTシャツになり、それを現地で展示するというものです。行き詰っていた私は、すぐにやりたい旨を伝えました。偶然、他の隊員がスーダンと日本の友好イベント「BOKURA2015」を企画していたこともあり、私も参加して共同で行うことにしました。

一緒にイベント準備に奔走していたのはスーダン人の日本語学習者でした。配属先から戻った夕方、彼らと合流し、スーク(市場)に向かう日々。目当てのものを見つけるまで、いくつかのスークを訪れました。そして迎えた当日、多くの観客が訪れ、イベントは大賑わいでした。

イベントへのかかわりから広がった活動

完成した障がい者施設を紹介した冊子

配属先の職員と完成した冊子を持って

充実した1か月の後、戻った日常。任期は1年を過ぎたばかりです。停滞したままの活動をどうすべきか迷いました。イベント準備で仲良くなった日本語学習者にふと悩みを漏らしてしまったのはそんなときでした。友人2人はすぐに「一緒にやりましょう」と言ってくれました。ほしかった協力者を、こうして得ることができました。そして、障がい者施設を訪問し施設の詳細を調査し始めました。
調査で何が難しいかというと、障がい者施設にたどり着くことです。教えられる住所は、○○モスクの近く、××銀行の裏など、あいまいなものばかり。友人が電話で聞きながら、道行く人に尋ねながら、やっと見つけ出していました。そして、通訳を務めてもらいながら質問事項を埋めていきます。協力のおかげで3週間で約20か所の施設をまわることができました。

年が明け、より多くの施設のデータをとるために作戦を練りました。最低限のアラビア語でなんとかなる質問用紙を作り、同僚に先方への電話だけお願いしたのです。アポが取れ、道順を教えてもらえれば、出かけるだけです。ですが、近くまで行き、先方に電話が繋がらずに途方にくれたり、訪問しても不審に思われたり、心が折れそうなこともありました。それでも、春には訪問数が50に上っていました。
帰国を3か月後に控えた7月、いよいよ追い込みの時期です。訪問してわかったのは、現場のことは現場の職員が最も詳しく、ネットワークがあるということでした。リストにない施設を紹介してもらい、時にはその場で連絡も取ってもらいました。片道2時間の施設にも足を延ばし、現場を見て回る日々に一区切りをつけたときには、訪問数は90程になっていました。

調査データの製本化をしたい、という気持ちとは裏腹に、帰国まで2か月。間に合うだろうか、という焦りの中、編集作業を行いました。アラビア語翻訳では数人の日本語学習者が手伝ってくれました。データの確認作業では、犠牲祭の祝日に配属先の上司のお宅に押しかけ、夜遅くまで電話やパソコンとにらめっこの日々。本が完成したのは、まさに帰国の2日前でした。

2年間の活動で得たもの

障がい者イベント

ジャラベーヤを着た男性

トーブ姿の女性

任期の2年目は調査以外にも、障がい者施設と共同でイベントやセミナー、ワークショップを行い、慌ただしく過ぎ去っていきました。そこではいつも、様々な人が関わり、協力してくれていました。人との繋がりが活動に結びつく、そして、新たな出会いがまた次の挑戦に続いていく。人との縁や出来事の連鎖を思うと、不思議な気持ちと強い感謝の念がわいてきます。

夜明け前に響き渡るアザーン(祈りを呼びかける声)、果てしない砂色の大地と灼熱の太陽、バスやリキシャに混じって闊歩するロバ、街のど真ん中に発着する飛行機の轟音、窓の外を赤く染め、打ち付けるハブーブ(砂嵐)、道の脇に集められた羊たち、モノや人があふれるスーク(市場)、青と白が合流して1本になるナイル川―――そんなスーダンの首都ハルツーム。
シャイだけど親切で人懐っこい人々、真っ白なジャラベーヤを着た男と色鮮やかなトーブ姿の女、指を鳴らしてゆったりと踊る姿、茶屋でスパイス入りコーヒーや紅茶を飲む男たち、一心に祈りを捧げる真剣な横顔、祝いの叫びをあげる女たちの声、大皿の料理を器用に口に運ぶ指先、呪文みたいな長い挨拶を繰り返す口元、太陽みたいな笑顔―――そんなスーダンの人たち。

今も鮮やかに蘇るスーダンでの日々を胸に、次のステップに進んでいこうと思っています