World is チョット mine

【写真】神野 諒さん(愛媛)平成25年度3次隊/モンゴル/バスケットボール
神野 諒さん(愛媛)

 皆さん、こんにちは。僕はモンゴルで一番寒い県と言われているザブハン県のオリアスタイ市のスポーツ局で、中高生を対象にバスケットボールの指導をしていました。氷点下20度は当たり前で冷え込むと氷点下40度にもなる任地での活動でした。バスケットボールが大好きなモンゴル人の中に飛び込めば僕は有名人。街を歩けば「ほら、バスケの先生だよ」とヒソヒソされることや、「やぁ、ジン!」と声をかけてもらうほど人気者でした。そんな僕のモンゴルでの2年間とその後を簡単に紹介したいと思います。

モンゴルでの活動

シュートフォームの説明

セミナーでの作成会議の様子

同僚とのお別れ会

 上記にあるように、主な活動は中高生を対象としたバスケットボールの指導でした。モンゴルのバスケットボールのレベルは、隊員を要請するほどですから、まだまだ発展途上で、特に競技に対する考え方が違っていました。バスケットボールは点を取り合う競技ですが、モンゴルのバスケットボールは、その「得点」にたどり着くまでの過程で、必要な心技体が欠けており、いわばバスケットボールのような球技にすぎない状態でした。僕の活動はまさに土台造りで、両手でドリブルすること、左手でも庶民シュート(レイアップ)を打つこと、体の使い方、シュート、ディフェンス、パス、チームプレイ、ストレッチ…ありとあらゆるバスケットボールの基礎からの指導でした。そして、バスケットボールの基礎以前にも、靴は外履きと内履きを区別すること、ジーンズではプレイしないこと、装飾品は外すこと、練習時間には遅れないことなど、日本では言わずとも出来ていることの指導も行いました。プレイ環境も良いものとは言えず、コートがでこぼこでドリブルが思わぬ方向にはねる、生徒30人に対してボールが2つしかない、コートがバレーコートサイズ、コート横がすぐ壁で激突の危険があったり…思い返せばバスケットボールっぽい遊びから、競技としてのバスケットボールをプレイするに至るまでに任期が終わらなくて良かったなと思います。帰国して1年が経つ今となっては、楽しかったことばかりが記憶から抽出されますが、当時の自分のブログを読み返すと様々な葛藤があり、奮闘努力していたことが分かります。日本での常識は海外では非常識というのを肝に命じていたものの、予想外のことがたくさんありました。そもそもカウンターパート(国際協力の場において、現地で受け入れを担当する人)が僕の派遣前に配属先からいなくなるという途上国ならではの展開には逆に闘志をかき立てられたのを覚えています。そのような状況の中で、言葉もままならない僕にできることは、バスケットボールを一緒にするということだけでした。
 
 それでも活動は毎日が刺激的で練習を終えるたびに充実感と達成感に心が満タンになりました。当初は言葉が本当に伝わらなくて困りましたが、実際にジェスチャーなどで動きを見せ、拙いモンゴル語でもコミュニケーションをはかっていました。生徒との関係づくりも上手くいき、日本料理、モンゴル料理を作りあったり、休みの日を一緒に過ごしたりして、これぞ異文化交流だ!という時間もたくさんありました。しかし、時にはつまずくこともあり、一難去ってまた一難で、自分の描いていた活動と現実のギャップを試行錯誤しながら埋めていくことの方が多かった気がします。特に言語には本当に苦労し、伝えたいことが伝わらない時の悔しさや腹立たしさは今でも忘れません。海外旅行中に言葉が通じなくても心で通じ合える!という想いを抱きましたが、それは旅人にしか通用しないものだと実感しました。

 1年が経った頃には言葉にも慣れ、活動は『バスケットボールの為に』から『バスケットボールを通して』へと変化していきました。それは、バスケットボールの技術や理論だけの活動ではなく、彼らの日常にも繋がるよう意識した活動です。例えば、時間の使い方です。バスケットボールは時間が決まっているスポーツで、その時間の使い方が勝敗を決めることもあります。それは日常生活でも同じことで、普段の時間の使い方がルーズだとバスケットボールにもそのルーズさが出てしまいます。習慣が大切であるハビットスポーツと言われるバスケットボールだからこそ日常生活から改善していくことが大事だと子どもたちに説いていました。この頃から子どもたちの変化を発見する機会が多くなっていき、バスケットボールの技術も然り、練習に取り組む姿勢や、出来なかったことが出来るようになっていく子どもたちに手応えを感じることができました。そして、子ども同士で教えあったり注意しあったり切磋琢磨する姿には感動しました。しかし、嬉しくて幸せな時もあれば、とことん落ち込みやる気を失うこともあり、もう頑張ることをやめたいと思うこともありましたが、その度に、バスケットボールに夢中な子どもたちから元気をもらい、「今を頑張れない僕が、2年後、3年後、その先の僕を頑張れるかよ!」と自分に言い聞かし、やる気を取り戻していました。
 
 バスケットボールの指導の他にも、週1回2つの小学校への巡回指導や、1日30試合分の笛を吹いた県大会の審判、地域リーグへの参加、他県に出向いてのセミナーも行いました。ゴールネットを手編みで作ったこともあり、日本にいるだけでは出来ないバスケットボールとの関わりを持つことができました。日本語を教えたり、英語を教えたり、生徒の髪を切ってあげたり、バレーの指導や大会への参加など、「あれ?バスケット教えに来たんだけどな?」と不思議に思う時もありましたが、バスケットボール以外の角度からモンゴルの人々と関われたことは本当に良かったと思っています。
 
 2年間という短い間で僕がモンゴルの教え子、配属先の人、その他関係者に伝えられることなんてほんのわずかで、もしくは何もなかったのかもしれません。しかし、現地で同じ時間を過ごし、同じものを食し、互いの名前を呼び合って、たっぷりの喜怒哀楽を交換したことに価値があり、その継続が国際協力の大きな一歩になると思っています。そして、あの2年間はJICAスタッフの皆さん、モンゴル隊員の皆さん、同期、何よりモンゴルの方々のおかげで成り立ったものだと思っています。感謝です。

帰国して

ラジオでJICAボランティアでの経験を話す神野さん

大学への出前講座にて

 モンゴルでの生活は日本と比べるとよりシンプルであり、シンプルですが無視するには美しすぎるものたちに囲まれていました。起きる、働く、食べる、遊ぶ、寝る、このシンプルで明快な生活の中にパワフルでワンダフル、かつビューティフルな衝撃があります。それは、心にスーッと染み渡るようでドカッとくる衝撃です。突然ですが、道端のゴミに感動したことはあるでしょうか?ゴミと聞くとそれだけでいい印象は受けないと思います。ましてや道端にたくさん落ちていれば尚更だと思います。しかし、道端に捨てられてあるたくさんのゴミも夕日を浴びることで、キラキラと光を放ち感動するほど美しいものになっていました。また、道を歩く牛の白い吐息を見て「全力で生きる」ということを考えたりと、日本で暮らしているだけでは見落としてしまいそうなことを沢山見つけました。きっと日本にも普段の生活に紛れて見えてないものや、見えているけど気づけていない素敵なものがあるはずです。しかし、帰国してから1年が過ぎ、あれだけシンプルなものからパワフルさを感じていたにもかかわらず、今となっては欲が故にそれを見落とし、世知辛さすら感じています。もしかするとキラキラしていたのは自分だったのではないかと今この原稿を書きながら猛省しています。この機会にもう一度モンゴルでの2年間を思い出して今の生活にのみこまれないようにしたいと思います。
 
 協力隊での経験は僕にとって、とても大きな自信になっています。言葉も生活様式もほぼわからない場所でやってきた僕に今後出来ないことなんてないと勘違いしてしまうほどです。モンゴルでの生活は、生活習慣はもちろん、食事に仕事、自然環境や人間性までも日本とは違い、そうかと思ったら同じところもあります。日本以外の世界を見るということは、とてもいい経験になりますし、日本の良さを知るきっかけにもなります。また、その地で実際に暮らしてみることは旅行などでは絶対に発見、体験できない経験につながります。それは正の事柄と負の事柄両方に通じることですが、その振り幅が自分の人間としての幅になるのだと思います。
 
 どんな方法になるのかどんな結果が待っているのかはわかりませんが、今後はこの経験を社会に還元することが目標です。帰国してから1年が経ちますが、自分がモンゴルで積んだ経験をJICAの出前講座で伝えています。幸いなことに多くの機会をいただき、この想いを伝えることができています。これからも機会があれば、僕たちにできることは必ずあって、それがいつか世界を変える力になり、それは結局世界も、自分も変えられるシゴトじゃん!と講座を受けてくれる方々に発見してもらえるよう頑張りたいと思います。

 僕たちの舞台は地球で、世界をよくするも悪くするも僕たちです。世界は僕たちのものです。その内の少しだけ、ほんの少しだけですけど・・・世界はチョット僕のもの。