平成22年度1次隊/ヨルダン/環境教育
松下 倫尚さん(香川)
私は2010年から2012年までの2年間、中東のヨルダンという国で青年海外協力隊の環境教育隊員として活動していました。帰国して早5年が経ちましたが、当時の記憶は変わらず、鮮明に残っています。特にアラビア語に関しては言葉自体に思い出があるため、単語を多少忘れることはあっても、アラブ人と会って話をする機会があれば自然と出るような感覚になっています。
岩山砂漠ワディラム
活動風景
ヨルダンの子どもたち
アラビアンイベントにて
私が派遣されていたヨルダンの首都アンマンは、ヨルダンの全人口の半分近くが住んでおり、人口のほとんどがパレスチナ人で生粋のヨルダン人は少ないです。ヨルダンには死海や世界遺産ペトラ遺跡を筆頭に多くの文化遺産が点在し、たくさんの外国人旅行者が訪れます。中東は暑いというイメージが強いですが、夏は乾燥しているため、湿気の多い日本よりも過ごしやすかったです。一度も海外に出たことのなかった私でしたが、中東の風土にはすぐに馴染みました。
活動先は、教育省の教育支局で、支局が管轄する学校の環境クラブへの指導や担当顧問へのフォローアップが主な活動でした。子どもたちが環境への関心を高め、学校や地域が綺麗になるような活動をしていこうと配属先のカウンターパート(国際協力の場において、現地で受け入れを担当する人)と二人三脚の活動がスタートしました。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」(知らないことを人に聞くのはその時は恥ずかしいことかもしれないが、聞かなければ一生知らないままなので、そのほうが恥ずかしいことである)、祖母の座右の銘を学生時代から勝手に引き継いで多用していますが、この2年間の活動でフル活用しました。
日本での個人事業の仕事(環境管理士)やNPOでの活動の経験を活かして、子どもたちにリサイクル工作や体験型アクティビティ(主に廃棄物処理や水環境、公害に特化した事柄)、環境イベントを開いたり、現地の先生方に教材を作って指導方法を伝えたり、他の隊員たちと文化交流祭やワークショップなどを主催しました。ですが、ボランティアが2年間の間で出来ることは限られています。私が現地で子どもたちや先生たちに伝えたかったことは「自主性と継続」。ボランティアがいなくても自分たちだけで自主的に活動が継続していくこと。それが最終目標です。
中東にはイスラム教があります。いつも「アッサラームアレイクム(あなたたちに平安がありますように。)」と声をかけられ、日本のおもてなしとは異なったおもてなしを人々に学び、この2年間を助けられました。また日本の技術力(車や電化製品)やアニメなどの影響もあり、「日本は素晴らしい」 「日本車は最高」と言われることも多く、私自身が日本に改めて誇りを感じ、日本人として自分のアイデンティティを見つめ直すこともできました。
帰国してからは、環境NPO団体に所属しながらヨルダン武術やアラビア語講座の運営、国際交流イベント等に参加し、同期の元エジプト隊員と結婚し、子どもも授かり、家族3人で仲良く生きています。現在は人材派遣会社の人材コーディネーターの仕事をしており、地域の人材を掘り起こす日々を送っています。この仕事を始めて、もちろん個人差はありますが、日本人がマジメでよく働くという固定観念は完全に払拭されました。アラブ人と比較した場合、ラマダン(断食)時期の仕事っぷりは仕方がないにしろ、働くことに関しては大差無い気がします。
現在、家族で暮らしている香川県。今後、観光産業が重要視されている日本で、四国も海外から注目を集めています。実際、外国人旅行者は増加の一途を辿っており、インバウンドビジネスのチャンスと言われています。ただ、残念ながら地元人口減少とともに、海外・県外への流出が拍車をかけ、地元のことを説明でき、さらに言語化できるスキルを持った人材が極端に少ないのが現状です。もっと帰国隊員の経験を活かせる場が整い、香川県に還元できればと考えています。
最近では、相変わらず毎年訪れるヨルダン人の友達の相手やエジプト人家族との交流、警察本部からのアラビア語の通訳・翻訳の協力、ホームステイ対面式で受入れ先とヨルダン人へのフォローなど、中東に特化した国際交流ばかりですが、それが今の自分にできる地元での役割だと強く感じています。