ブラジルの日系社会での活動を通じて

【写真】福田 煕子(ひろこ)さん(香川)平成26年度0次隊/ブラジル連邦共和国/日系日本語学校教師
福田 煕子(ひろこ)さん(香川)

ボランティアに参加したきっかけ

 大学のボランティアで日本語を学ぶ外国人児童の存在を知ったのがきっかけです。大学では、大人を対象に日本語教育の勉強をしてきたので、日本にいながら日本語を学びたくなくても学ばなければいけない子どもたちがいる、ということがとても衝撃的でした。そして同じころ、ブラジルから帰国したボランティアの方に会い、日系社会というものを知りました。
 日系社会の日本語教育と、日本にいる子どもたちの日本語教育の状況が似ていると思い、ブラジルの日系社会ボランティアに応募しました。

ブラジルでの活動

運動会

 とはいえ、日本語教師の経験もない、社会人としての経験もない私は、不安ながらに活動をしていました。もっといい方法があるのではないかと常に手探り状態で、配属先の方々が期待したようなことはできていないかったと思います。ただ、数打ちゃ当たるとはよくいったもので、運動会のBGMを自分好みの選曲にしていたら、そのデータをほしいと言われたり、たまたま紹介したポッキーダンスを発表会で踊りたいと言ってくれたり。私が投げたボールがちゃんと誰かに届いているんだと確信できたことが、本当にうれしかったですし、2年間のモチベーションになりました。

アイデンティティに揺れる子どもたち

節分

 日系社会といえば、全員が日本語を話せると思ってしまいますが、実際はそうではありません。地域によっても日本語の使用頻度は違ってきますが、私の配属先の子どもたちはほぼ話せません。日本語で会話できる大人ですら「私の日本語下手だから」といい、日本語で日本人と話すことに抵抗を感じています。家でも地域でも日本語を使わない彼らがなぜ日本語を勉強するのか。それは日系人だから日本語学校へ行くという慣習があるからです。そういうわけなので、子どもたちの日本や日本語に関する興味はとても薄いです。日本語学校を卒業しても日本語は話せないかもしれませんが、ブラジル学校の友達とは違った、日本語学校での心の繋がりを生徒の間で感じ、学校の役目は日本語を教えるだけでないのだと思いました。
 移住から100年が過ぎ、子どもたちは日本人とブラジル人というアイデンティティの間で揺れ動いています。これは、日本にいる外国人児童にも通ずるものがあるのではないでしょうか。

帰国後

 任期満了できたのは、私自身ここにいたいと思えたから。そして、受け入れ側も2年間いてくれてもいいと、双方が思えたからこその2年間だと思っています。
派遣前は、ボランティアとして中間的な視点だけでしたが、実際に外国人として生活し、第2の視点を得、そして今は外国人を雇う、共に働く立場としての第3の視点に立っています。
 現在働いている小豆島の観光ホテルでは、同僚だけでなく日々接するお客様にも外国の方が多くいます。そうした中で、みんなが、ここにいてもいいんだ、日本に来て良かった、来てくれて良かった。そう思える環境を私の周りからでも作っていきたいです。そして、この想いがシェアされ、ハッピーになる人が増えることを願っています。