幸せの国 ブータンで得た宝物(前編)

【写真】KSB瀬戸内海放送アナウンサー 中村 康人(香川)平成13年度2次隊/ブータン王国/放送
KSB瀬戸内海放送アナウンサー 中村 康人(香川)

JICAボランティア派遣中の活動について

首都ティンプー

BBS(ブータン放送協会)

唐辛子

カップラーメンにマツタケ

世界最弱決定戦プレイ後に集合写真

 私は2001年12月から2004年1月までの2年1カ月間、放送隊員としてBBS(ブータン放送協会)で活動しました。活動場所はBBSのスタジオがある首都ティンプーでした。当時、情報を制限していたブータンは、インターネットやテレビが解禁されたころで、これまでラジオ放送のみだったBBSもテレビ放送を開始しました。もちろんブータンで唯一のテレビ局です。放送時間も1時間から2時間程度…日本と大きな違いです。ただ、インドなど数多くのチャンネルが衛星で受信できたため、富裕層はパラボラアンテナを設置してテレビの文化を楽しんでいた人もいました。私は、未熟だった番組制作のお手伝いをするため赴任しました。要請内容は、テレビ番組の企画、演出などのアドバイスを行うことです。BBSに派遣された隊員は、ラジオ放送のみだった時代に、音響隊員が派遣されたもののテレビ放送に関する隊員の派遣は初めてでした。

 首都のティンプーは沖縄とほぼ同じ緯度にありながら標高は2400mで、赴任当初、高地での空気の薄さに悩んだ記憶がよみがえります。沸点が低くお湯がすぐ沸いたり、気圧の関係でポテトチップの袋が常に膨らんでいたりと、日本では味わえない経験をしました。また、唐辛子の文化で、タイや韓国よりもカライ食事は、赴任当初、私の体調を崩す大きな要因となりました。赴任当初67kgあった体重も半年で52kgに…。しかし、慣れてしまうとこのカラサも楽しみとなり、活動後半には、ブータン人と同じように、緑の生唐辛子に塩をつけてそのまま食べるというスタイルを身につけました。帰国後にはじめて食べたソバのツユのあまさに、一面、唐辛子をかけ、隣の人が笑っていたことを思い出します。郷に入っては郷に従え…文化の違いは最初、厳しいもののそれを楽しむ気持ちの余裕ができれば、すぐに慣れてしまうことも体感しました。もちろん、体重も戻りましたよ(笑)。逆に澄んだ空気やヒマラヤの山々など、私にとってあっていたのかもしれません。また、ブータン人はキノコが大好きで、ブータン料理によく使われていますが、その中で好まないのが「マツタケ」。日本と同じ上質なマツタケが取れるのですが、ほとんど食べないので日本人によく売りにきていました。価格は1kg150円!うん万円する日本産に比べて破格だったためよく食べていました。日本から送られたカップラーメンに、マツタケまるまる2本を入れて食べたことがあります。ブータンにいた私にとって、マツタケよりも輸送料をあわせると高価な日本のカップラーメンが貴重でした。住んでいる場所が変わってしまうと、価値観が変わる…。貴重な協力隊の経験として、帰国後、出前授業などで子どもたちに必ずしゃべる話題です。

さて、BBSの話に戻しましょう。

 協力隊に派遣される前は7年あまり、大分の民放テレビ局で、アナウンサー、記者、番組のディレクター業務といった報道制作の全般に携わっていました。人生は1度きりなので、多くの挑戦をしたいという思いから、30歳の時に一念発起し、協力隊に挑戦しました。大分の放送局では1期生で、開局に携わってきてこともあり、BBSでの指導も自信があったのですが、あっさりと崩れ去りました。指導者としてではなく協力隊の派遣先にありがちなマンパワーを求められていて、その差に、もどかしい日々が続きました。コミュニケーションは英語でしたが、あまり得意ではなかったことと、現地の言葉が多く飛び交っていたため、なかなか人の輪に入ることができませんでした。活動前半の1年間は、もやもやした壁と戦う毎日でした。そこで私の出した答えは、「とにかく、実際にやってみよう」。ブータンで活動していた協力隊員を追った30分番組を、1週間に1度制作し放送しました。それを見たブータンの人たちが、いいと思ったところを吸収してもらえばと考えたのです。決して押しつけることのないようにという思いで制作をしたことで、事態は好転しました。活動でいちばん印象的だったことは、ワールドカップサッカー(W杯)の日韓大会決勝戦当日、ティンプーで行われたブータンとカリブ海の英領モントセラトとの「世界最弱決定戦」でテレビ中継の指揮を執ったことです。ブータンで初めて中継録画を実現させました。

(後編に続く)