南米で学んだ放し飼い養鶏で村おこし

【画像】しゅりの里 社長 藤田守さん 販売事業部長 中野元憲さん


しゅりの里 社長 藤田守さん 販売事業部長 中野元憲さん

 帰国した青年海外協力隊員の中には、地元で仕事を始め地域の活力となっている人たちがいます。高齢化の進む高知県幡多郡三原村で自然環境を生かした養鶏を営む協力隊経験者たちの活躍をご紹介します。

 三原村は高知県南西部、四万十(しまんと)市と宿毛(すくも)市、土佐清水市に挟まれた山の中にあります。人口は1800人、昔からコメ作りや野菜作りが盛んですが、最近は高齢化が進み、人口の36%は65歳以上です。
 その三原村の山中に8年前に入植し、養鶏を営んできたのが藤田守さん。愛媛県松山市出身で、大学2年の20歳の時に青年海外協力隊員として1991年にパラグアイに渡り、首都アスンシオンから550キロも離れたコンセプシオンにおいて養鶏を指導してきました。
 帰国後、自分の理想とする自然養鶏を日本でやりたいと思い、まず資金集めのために会社勤めを5年。その時に勤務した高知県の人と自然に惚れ、高知県内で養鶏に適した土地を探し、8年前に三原村の開墾地に住みつきました。現在は農場全体を「しゅりの里」と称し、自然養鶏を営むと同時に、三原村の村おこしを目指しています。

 藤田さんの自然養鶏に共鳴し、現在「販売事業部長」として農場を支えているのが地元四万十市出身の中野元憲さん。中野さんは自動車整備工として勤めた会社をやめて独立し、地元で自らオートバイショップを経営していました。多忙であきらめかけていた協力隊の参加年齢が35歳から39歳に引き上げられたことを知り、バイクショップをたたんで応募。1992年に自動車整備の隊員としてパラグアイのアスンシオンに渡りました。その時知り合った藤田さんと高知で偶然再会し、意気投合して「しゅりの里」の共同経営者になりました。

Q:パラグアイで知り合ったきっかけは?

 (中野さん)JICA事務所の依頼で地方隊員のバイクを修理に行って知り合いました。当時自分は40歳で最年長の隊員、藤田くんは20歳の最年少隊員でした。彼は、僻遠の地で孤立し、年一度の隊員総会にも参加しないような頑固者。事務所からは様子を見てきてくれとも言われていました。彼には、「協力隊員とはいえ、組織の中の一員。自分の仕事をきちんとやるだけではダメで、報告や他の隊員との情報交換をするべきだ。」と説きました。

 (藤田さん)あのころはとにかく「海外の田舎で徹底的に自分の力を試したい」というのが夢で、自分のことしか考えていませんでしたので、親子ほど歳が離れていた中野さんの助言は貴重でした。三原村に入植したばかりのころも、村の人たちからは何者だろうと好奇の目で見られましたが、村に溶け込む努力、村の役に立つ努力を続けています。協力隊時代と一緒ですね。

Q:協力隊での体験と現在の仕事はどう繋がっていますか?

 (藤田さん)協力隊に出発する前に派遣前訓練の一環で、愛媛県の養鶏場で養鶏技術を学びました。当時の最新の技術で、ケージ飼いによる飼育方法で、給餌や採卵も自動でした。しかし、任地のコンセプシオンでは全くその逆で、人と鶏が共存する放し飼い養鶏でした。その鶏が健康で卵も肉もおいしく、自分もいつかは日本で自然養鶏をやりたいと思うようになりました。現在の放し飼い養鶏はパラグアイで学んだものです。
 また私が三原村に入植した頃はコンセプシオンでの生活に似ていました。入浴は川やドラム缶風呂でしたし、トイレは穴を掘って用を足していました。しかし、隊員での経験があったので楽しく生活できていました。隊員時代の村人との関係づくりや村おこし活動は三原村での生活と重なるところ大です。

Q:中野さんは帰国後、バイクショップや自動車整備の仕事を再開することは考えなかったのですか?

 (中野さん)帰国後は不況で、地元四万十市のバイク関係者の中には廃業している人もいるぐらいでした。自分は、映像作りが趣味だったのですが、ちょうど地元TV局の支局でカメラマンの募集があったので、ニュース記者を5年ほどやりました。その後、機械修理関係の仕事を始めたのち藤田くんと再会しました。以前に培った人脈が今では大いに役立っています。
 数年前の四万十市で行われた協力隊の募集説明会で偶然再会しました。藤田さんの外見はパラグアイの頃とは変わっていましたが、養鶏に対する情熱は全く変わっていませんでした。協力隊と同じように、ゼロから初めての土地で新たな仕事に挑戦して彼の姿を見て、自分も地元の人間として手伝いたくなったのです。四万十市周辺には自分なりのネットワークがありましたし、仕事で培った営業力を発揮できると考えました。卵のネット販売や販路の拡充などを販売事業部長としてアドバイス、サポートしています。

Q:入植したての頃はどんな様子でしたか?

 (藤田さん)三原村の人たちは、電気もガスも水道もない所に住みこんで鶏を放し飼いにしている私を好奇の目で見ていたようです。村の中心部からも遠く、当初は村人のとのつきあいもあまりありませんでした。村役場とは入植条件をめぐってのトラブルもありました。とにかく鶏を増やし、事業を軌道に乗せるために必死でした。この仕事は長年の夢でしたので、めげることはありませんでした。入植当時500羽だった鶏も、いまやっと3000羽になり、農園も少し軌道に乗り始めました。
 そんな中で、村に溶け込み、村のために役立つ努力を少しずつ続けてきて、最近は村の人たちからの信頼も得ることができたと思っています。村に住みつき、事業を継続することによって、村人も仲間として受け入れてくれるのです。

Q:村おこしにはどのように関与していますか?

 (藤田さん)村は国から「構造改革特区」の認定を受け、村の隠れた特産であった「どぶろく」の製造許可をもらっています。現在7軒が「どぶろく」作りや農家食堂を始めています。地場の三原米を使った「どぶろく」は味わいが深く、また、農家食堂で出す料理は自家栽培の安心野菜で、大変価値のあるものです。自分としては、この「どぶろく」をもっと県外に売り込み、農家食堂を起点に農業体験を核とした観光振興ができないか、考えているところです。また、新規就農希望者の研修受入れのお手伝いもするつもりです。この村では自分は一番の若手になるので、積極的に村おこしに関わっていきたいと思います。

Q:具体的にはどうやって三原村の特産品や農家食堂を売り込むつもりですか?

 (藤田さん)個人事業主としての「しゅりの里」を発展的に解消し「農業法人しゅりの里自然農園」を設立しました。理由は三原村活性化のため雇用の拡充、地域の特産品の開発・販売を行いたい、そして最近注文に生産が追いつかないこともあり、私自身が生産に集中したいという思いがあったからです。地域の特産品の中には「どぶろく」や「三原米」があります。「しゅりの里」のネットワークや販路を使い、「どぶろく」の販売や、新たな販路の構築を目指していきたいです。

Q:お二人の今後の目標や夢は?

 (藤田さん・中野さん)しゅりの里は現在、放し飼いたまご・スモークチキン・たまご石鹸などを販売しています。今後は、養鶏以外にも野菜・果樹・稲作などにも力を入れていきたいと考えています。帰国隊員や若い就農希望者をどんどん迎えていきたいです。「しゅりの里」も新たに西地区を開拓し、広大な土地があります。是非そのような若者に土地を使っていただきたいですね。私たちの経験やネットワークを使い、就農者が自分で考え楽しく生活できる場所を作っていきたいと思います。少しでも多くの人が三原村に住み、村が活性化して欲しい。それが自分の使命だと思います。
また、協力隊の訓練前補完研修等で役立つ知識や技術も伝えたいです。自分が活動していたパラグアイや南米の研修生なども受け入れていきたいです。

高齢過疎化の進む里(村)を守るという意味を込めて名づけた、しゅり(守里)の里。
協力隊時代の経験を生かし、三原村の村おこしと活性化に是非頑張ってください。

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しゅりの里

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鶏はすべて放し飼い 現在3000羽

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一日に2,000個ほどの卵がとれる 地元販売のほかはネット販売

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藤田さん

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中野さん

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どぶろく醸造と農家食堂「青空屋」を営む斉藤さん

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生みたて卵を見守る親鶏

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藤田さん(左)と中野さん(右)

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放し飼い鶏

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里の入り口に立つ看板