地球市民を育むために[前編]

【画像】高知県高岡郡四万十町立七里小学校校長 坂山 英治さん

S57年度2次隊 パプアニューギニア 船舶機関
高知県高岡郡四万十町立七里小学校校長 坂山 英治さん

四万十町立七里小学校の校長として、毎日子供たちの笑顔を作り続けている坂山英治先生。身の回りで起こるいろいろなことに気づき、相手を思いやり、地元に、日本に、世界の抱える問題に思いを馳せることのできる地球市民の育成に日々励んでおられる坂山先生のヒューマンストーリー、前編です。

なぜ協力隊に参加されたのですか?

高知の久礼という漁師町に生まれ、小さい頃からの夢は外国航路の船乗りになることで、中学卒業後、愛媛県にある弓削商船高専に進学しました。卒業前の乗船訓練で、アメリカ・トンガ・ニュージーランド・中国に行き、トンガに停泊した時に青年海外協力隊員として活動していた大島商船高専の先輩が実習船に遊びに来てくれたのが協力隊との出会いでした。アメリカや日本と比べると貧しくてモノがない暮らしをしているトンガの人たちがとても明るく楽しそうにしている様子を見て、「自分の価値観と違うものをここの人たちは持っているのだろうか」という南の島の人に対する思いが、「チャンスがあればこんな南の島に住んでみたいな」と思う気持ちに変わり、協力隊がそのひとつのチャンスかなと漠然と思うようになりました。
 その後、愛媛県の会社に就職したのですが南の島への思いが消えず、「もっと世界を見てみたい」と2年間勤めた会社を辞め協力隊に参加しました。

パプアニューギニアではどんな活動をされていましたか?

職種は船舶機関です。任地は希望通りパプアニューギニアのブーゲンビル島という小さな島でした。そこの島の人たちは魚を捕って食べてはいるけど、町のスーパーで売っている魚は外国からのもので、捕れた魚で現金収入を得ることはあまりありませんでした。そこで、州政府が船を造ってその船で村々を廻って魚を買い、町で売ることにより村の人たちが現金収入を得られる、というプロジェクトを始めました。その船の管理とプロジェクトの担当が私の仕事でした。しかし、村の人たちは現金収入に大きな魅力を感じなく、村を廻っても魚はあまり集まりませんでした。
その後、製氷機を島の3カ所に設置したのでその管理をしたり、漁具を作って新しい漁法にも挑戦もしました。しかし、どれも上手くいきませんでした。
成果の上がらない活動に悩んだ時もありましたが、とても楽しい充実した2年間で協力隊での活動は全て私の財産になっています。

転職するきっかけは何でしたか?

転職のきっかけは南の島の人との出会いですね。協力隊が私の人生の舵を大きく切り替えてくれました。パプアニューギニアの人たちと一緒に生活をして異文化理解の大切さを肌で感じることができ、日本を外から見ることで日本の良さや改めないといけない点を感じることができました。この経験を教師になって子ども達に伝えていこうと思い教師の道を目指しました。
しかし、商船学校卒業ですので、船の免許は持っていても教員免許はありません。大学に入学すると卒業時には教員採用試験の年齢制限をオーバーしてしまいます。教師の道は無理かと思って悶々と過ごしていた時、中土佐町の教育長をしていた中学時代の恩師が「海外の指導もよいが自分の地元の後輩の面倒もみてくれないか」と、中土佐町の補導センターに勤めるようにしてくれました。同じ頃、別の恩師が「通信教育なら2年間で免許が取れる、これなら採用試験を一度受けるチャンスがあるぞ」と通信教育のパンフレットを持ってきてくれました。二人の恩師は中学時代の校長・教頭先生でした。それから、二人の恩師をはじめ勤め先の中土佐町教育委員会の人たちが勉強に集中できる環境を作ってくれるなどものすごく応援してくれました。そんな周りの人たちの温かい支援のお陰で一度しか受けることのできない教員採用試験に無事合格することができました。



>>以下 [後編]に続きます(2月下旬更新予定)

次回は教員になられてからの活動や子供たちに期待することをお伺いします。

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七里小学校にて

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坂山先生の授業風景

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漁具作り

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日本へ帰る時、村をあげての送別会を開いてくれました

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貴重な豚を料理してくれました